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『欲の涙』(④)
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【街の光】
歌舞伎町がネオンに彩られる時間だ。文字通り、人もネオンみたく光っていて、街も様ざまな欲望の色に染まる時間帯。このまがまがしい「光」の誘惑に惹き込まれ、戻れなくなった人が何人いるのだろうかーー。
この街を「つくっている」人たち、この街で「踊っている」人たちが、誘惑と欲に溺れているのかもしれないな。
そんなことを考え始めると、吐き気をもよおすんだ。考えすぎか?おかしいのはオレなのだろうか。
ここから逃げたいーー。事務所兼自宅に戻ることにした。生活も仕事も居場所が、そこにはある。落ち着かない時がほとんどだ。つねにオレは「ここ」にいるだけなのかもな。
ソファに腰かける。「動くか寝るか、どちらかを選べ」と、選択を迫られているようで嫌な気分になるんだ。
その中間の「休み」をとることにした。オレはU2の”Staring At The Sun”のCDをかけた。
JBLのスピーカーから流れる、音に耳を澄ます――。ちょっとしたぜいたくなんだ、こうして音楽に聴き入る時間は。
イントロのギターのソロが、感傷的だけれども、寂しさに負けないよう励ましているように聴こえる。
元妻との思い出を消したい。同時に、オレの稼業に理解を示してくれた、唯一の女性に、この上なく感謝しているモンだから記憶は消えないがな。
今は素直な自分でいさせてくれよ。感傷的だろうとさ。
不思議だよな、音楽っては。どのような「音」かは、聴き手に委ねられる。オレ以外の人が聴いたら「激しい」ギターソロと思われるかもしれない。
きっとさ、聴く側が曲に、自分を投影させたり、感情移入すると、聴き手の数だけの感じ方やストーリーが、あるんだろうな。
ボーカルの、ボノが“I am not the only one,”――「一人じゃない」と歌う。
元妻、ミサキといた日々は、一人ではなかった。
“Don’t think at all,”――「何も考えるな」。
今のことだよな。振り返っても仕方がないことを振り返る。意味ないのは重々承知でも、思い出に浸りたくなる時ってあるだろう?
【記憶の香り】
曲の進行に伴って、記憶が鼻腔を刺激する。
数年前の話さ。もと妻との会話だ。
――何回言えばわかるの!と元妻のミサキはつねに怒っていた。
――カイ、いい加減にしてよ。「マトモ」な仕事に就けないのかしら?
――もうここまで来ると・・・
と言うや否や、即座に自分の荷物をまとめた。
――オイ、もしかして・・・
――その「もしかして」が今日よ!
と、言い放ち、荷物をまとめて出て行った。
このワンシーンを夢の世界で忠実に再現していたんだ。皮肉なもので、悪い記憶ほど鮮明だったりするんだ。
夢の中――このタイミングで目が覚めた。なんだか憂うつだ。今は夜中の3時だ。
睡眠薬をあおるかどうするか、悩んでいたところ・・・
「今日はミズミの嬢の管理大変だったな」
「いや〜、北条(店長)さんも無茶言うよ。自分の担当の娘には」。北条は、二人の働くホストの経営者だ。続けて、
「ウリをさせろってな!」と言うと、ホストモン二人は、大声で笑っていた。ーーやめればいいのに。大家がキレるぞ。
「で、ましてや、クスリ漬けにさせろだなんて、北条さんはエグいよな」
「まあ、貢がせるためなら仕方ないっしょ」と、夜中の暗い廊下を陽気な笑い声を上げながら、ホストモンが歩いていた。
「肝っ玉大家」が目を覚ましたもよう。
【肝っ玉大家と万札】
「静かにしな!バカ!」ーーああ、もう手遅れだな。
オレは事務所のドアを開け、「詳しく」とだけ言い二人に事務所に入らせた。
半ば強引だった。コイツらから訊き出したいことはある。大家に殴られる一歩手前だ。タイミングもいい。大家からのお気に入りポイント、1加点だな。
「オイ、用があるから部屋来い」と言って、片方ーー大学生のホストモンの胸ぐらをつかんだ。
「アンニョン(ありがとう)」と、大家はオレに言ってくれた。
黙らせたと思っているのだろう。同じくアンニョンで返した。オレは、「またね」の意味で。
この言葉には「ありがとう」と「バイバイ」の二つの意味がある。文脈によって使い分けられる。便利な言葉だよ。
「どうしたんですか?中山さん」と身長の低い、ホストモン(本業)が食いつき気味に訊いてくる。
「ヒビキって娘以外にも良く来る客はいるか?太客っつうのかな」
「いるもなにも・・・」と言いかけた途端に、もう一人の現役大学生ホストが割り込み気味に、
「ボクたちの系列はミズミ御用達ホストですよ」と一呼吸おいてから「コンカフェ嬢は接客にウリをやっていると、ストレスが溜まるでしょう?ホスト通いかクスリでストレス発散っすよ。両方もありますね。ボクたちに貢ぐことで、発散するんですよ。コレが歌舞伎町の食物連鎖かもしれません」と言ったところで二人とも揃って、満足げな様子だった。
「頂点に君臨しているワケか?ホストたちは」と、球を投げると、今が笑う場面なのか、緊迫した場面なのか、見当がつかず困惑しているようにみえた。さきの得意げな表情に、オレは怒りのような感情を抱き、一発ずつ腹にパンチした。
「プライドっつうか自慢はいいから。ま、続けて」
「その前に・・・中山さん、痛いですよもう」と大学生ホスト。
「オレも」
「少し静かな声で話してもらいたかっただけなんだ。手荒でごめんよ。大家に文句言われるのもイヤだろう?お前ら、イエローカードだぞ」と、本心で抱いている感情を隠すために、ウソの理由づけをした。
大学生のホストモンが自分の学力を誇示するかのように語り始めた。ここでは学力なんていらないのに。
大事なのは、順応力と処世術。大学で使う頭脳と、ここで活用させるそれとの違いをわきまえてなさそうだな。
「アノ店の近く――場所は秘密ですが――に、売春用のアパートがあるんですよ。二階がコンカフェ嬢たちの寮で、三階が『ハコ部屋』なんです」と言い終えた時に、
「職安通り沿いだろ?」と返すと、驚いている様子だった。驚くもなにも、調べ上げるのがオレの仕事だ。つねに一歩先を歩く。それでも分からない時は知恵を借りるんだよ。
「なんで知っているん・・・」と、言いかけた途端にもう一人のホストモンが「調査のプロだぞ」と、小声で図に乗らないように、クギを刺していた。
「設計を教えてくれてありがとうな。さっき言っていた『クスリ』は何を使っているんだ?高確率でシャブだとは思うが」
「はい。客側、まあ買い手は『キメて』できるので、人気なんですよ。ましてや若いですし」と、ホストモン(本業)が返した。
「オッサンらの娘と同い年くらいの女の子を喰って楽しいのか・・・」と本業。コイツはこの街で生き残れるタイプだ。
立ち居振る舞いをわきまえている。どう交わすか、どう応えるかを、客観的視できている。
「スタートは夜か?」
「いや、フル稼働です。いつ何時でも『キメ』できるように嬢の待ち時間・合間にするんです」。欲望は眠らない。つねに目を見開いている。「それで、プッシャー(売人)は?」と訊くと、
「さすがに・・・」と、決まりが悪そうだった。
「他言するな」と上のモンに徹底されているんだろう。「これでどう?」と7万円を見せつけた。
「言うのは御法度なんだろう?」と確認。「7万の価値はあるからな」と付け足し、念のため「それ以上の価値があるなら上乗せするぜ?」と添えておいた。
もう一人の学生ホストモンと、コソコソと話していた。どこまで言うか、もしくはカネを返すか、7万以上に引き上げるのか、迷っているようだ。迷いあぐねいた結果「三上さんです」と答が返ってきた。
背筋が恐怖で凍えた。というのも、三上は歌舞伎町のトー横界隈を実質支配している、極道モンだからな。「あの」エリアは、極神組系の2次団体、憎堂一家が縄張りにしている。
何度も他の組織と、縄張りをめぐった対立や抗争があった。が、勝ち抜いて、あのシマを納めたんだ。かなりどう猛なコトで有名。手段を選ばないーー相手がカタギだろうと、シノギだろうと、容赦はない。
オレがウロチョロしていることに気づかれている可能性すらある。
実際に捌いているのはこの組の下っ端なハズだ。大元は三上――。すると、だ。一つの仮説を立てた。ミズミのケツ持ちは憎堂一家だ。
売春宿もな。それで、だ。そこでヒビキが組のモンと店をつなげている。そこの手数料、仲介料をもらっているのかもな。
「で、ヒビキのキックバックはいくらくらいだ?」と自分の仮説を伝えた。推測の域なのに、裏づけがあるように振る舞うのも重要だ。外れたら赤っ恥だが、大体の筋さえ読んでおけば、トントン拍子で話は進む。
「やはり、ここに目をつけますよね。一人あたりの売上――コンカフェと売春の両方で20%。そのキックバック料の一部を憎堂一家に上納ですね」
「憎堂一家への上納率は訊かないよ。さすがに言ったらマズイだろう?こっちも知ってちゃまずいんだよな」と本音を付け足した。
本題。「ヒビキはかなり儲けているだろう。本業にキックバックで、まあ月に500は余裕で超えているな」と、言った。
これはかなりラフな投げ玉。正直、コイツらもヒビキが一定の額以上稼いでいれば、100万円だろうと、ゼロが一つ増えようが、関係ないだろう。太客が金を落とせばいいだけだからな。
「はい、おそらく」と、脱力しきった表情で返事をした。何かあったら真っ先に詰められんのは、このホストモンたちだからな。余計に顔色が青ざめていたよ。
「憎堂一家からピンハネされた、まとまった額をヒビキが管理。要するにアイツは、ミズミのコンカフェコミュニティの財務省的な立ち位置。日銀は憎堂一家。で、財務省のヒビキがカネをコンカフェ嬢たちに分配。下の嬢たちは、そのカネで生活か」
そう言うと、すぐさまホストモンたちは、力の抜けたかっこうでうなずいた。「出してくれ」と言わんばかりだだ。
低学歴でも、どう見せるか・振る舞うか理解しているホストモンは、器用に渡り歩く。「ありがとうよ。7万で足りなかったら追加で渡すさ」とカッコつけた礼を言って、「疲れたろ」と付け加えた。
「ちょっとの話のつもりが、もう朝5時だ。長引いちまったな。これで明日は美味いモンでも食ってくれよ」と言い、追加で1万円を渡した。実際7万円以上の価値はあるしな。
二人ともそそくさとオレの部屋から出て行った。ホストモンが部屋に戻る最中に、大学生のほうが「8万ももらっていいのか?」と訊いていた。「バカ、もらうのが礼儀だ。お前、偏差値高いんだから『受け取る』理由はわかるだろう?」
「・・・」
「バカだな」とため息を吐きながら、自分たちの【室内=寮】でこの街のマナーを教えるのだろう。
第一に「割るな」と言われたことは、他言してはいけない。次に受け取るのが礼儀ということーー。相手から渡されたカネを拒否するのは「カネなし」と蔑むようにも解釈されてしまう。
物分かりがいい。本業ホスト=ツバサは大成するだろうな。予想通り、5年後にホストの経営者になった。店を持って2カ月で街から消えたがな。
よくあるハナシさ。
まず、どう考えてもオレ一人の力では解決できない問題だ。憎同一家とモメるリスクもある。助っ人を呼ぶしかない。谷川だ。アイツは気が早いが、俊敏だ。かなり助かるんだよな。
ヒビキのイヴェントまでもう少し。溶け込まないと浮いてしまう。毎日、夕方ごろに店に通い、売春宿も確認した。
ビンゴ。
プッシャーがヒビキとやりとりしている瞬間を、遠目から見られた。薬物を路上で「押して」売るのが名前の由来とされている。プッシュには押すという意味がある。そこから派生してできた、ストリートの用語だ。
プッシャーは長髪で身長は低い。痩せている。多分コイツもネタを喰っているんだろうな。憎堂一家の末端が雇った、そこらのチンピラだ。
とにかく見張るのが今の仕事。出てくる人間関係の整理と、どの時間帯に誰が動き出すか、頭に叩き込まないと依頼のミッションは失敗するに決まっている。
2日目にも、いつもの観察をしていた。ここが、あのガキたちの居所なのだろう。
【ココにいるよ】
Mos Defの"Brooklyn"の歌詞を思い出したーー。
"Sometimes I feel like I don't have a partner,
Sometimes I feel like my only fiend
Is the city I live in, is beautiful Brooklyn,
Long as I live here believe I'm on fire"
「パートナーがいないように思えて、
唯一の友人は、オレの住んでいる
美しい街、ブルックリン。ここに
住んでいればオレはノリノリだ」
といった意味になるのかな。
この街にいるヤツらに「パートナー」――腹を割って話せる人や、恋人――はいない。裏切りが当たり前だ。信用出来るのは歌舞伎町だけ。
このエリアにいれば、調子がいいんだろうな。ドライな赤の他人とみせかけのつながりを作る。それがホンモノの仲と信じ込むーー信じるがあまり、不信になるヤツらを山ほど見てきた。
皆が皆、というわけではない。きっと、この街以外に居場所のないヤツらはたくさんいるんだろうな。
オレもその一人かもしれないしな。
【捨てられた人格】
***
当日は助っ人が来てくれた。谷川が売春宿を見張ってくれる段取りになった。昔からの付き合いで、何かあった時は力を貸してくれる。コイツもなかなか危ない。
危険を顧みず、相手がヤクザモンだろうと平気でケンカを売る。ところがさすがに、憎堂会の三上となると、分が悪いのは察しているようだった。
それだけ敵に回すリスクの大きい相手というコト。
オレは一人でコンカフェに行った。憎堂家が絡む話に首を突っ込んだ以上、自分たちが、想定以上に危ない橋を渡っているのは確かだ。もし、長野が、暴力団がウラで糸を引いている、と知っていたら、あの報酬は安いのかもな。
そう考えながら、ミズミに入店した。相変わらず派手な内装だ。キャストも同じく。
新宿のネオンを一箇所――このコンカフェに集中させているようにみえる。店内はもちろん、人もがネオンだ。カンだ。コイツらは居場所がなくて、ここに流れてきたんだろう。言ってしまえば、孤独だった。もしくは今も。
ヤクづけにされて、体を売ってキャストとして働いても拭えない孤独や後悔はあるはずだよな。孤独ってヤツはよく光るのかもしれないな。と、思いながら、時間を過ごしていた。
相変わらずオレは浮いている。他の客は若い。オッさんもいるが、鼻の下を伸ばしたスケベ野郎だ。ミズミの娘とセックスをして、興奮の尾をまだ引いているといった感じだ。冷めた目でオレは見ている。
ヒビキがソロで曲を歌う、イベントの開催5分前だ。
「お越しいただきありがとうございます!」と、声をかけたのは、どこにでもいそうな、一見普通な娘だ。ほかのネオンガールズとは違う雰囲気。かえって浮いている感があるが、清楚系も必要としているのかな。
ところがだよ。よくよく見てみたら、普通じゃないことに気がついたが。
腕には注射痕があり、ガリガリに痩せていた。
それを見、その娘から可愛さが消えた。重度のヤク中だ。まだ18〜20歳くらいに映った。次の瞬間に、買春宿のことが思い浮かんだ。この娘もウリ要員か。
ヒビキのソロライブが始まった。単純に、露出度の高いコスプレ服を着て、歌って踊る――。よくあることさ。アイドルに疎(うと)いオレでも分かる。
それにしても、だ。10,000円は高すぎるだろう。たかが15分のライヴだ。こんなにまで値段が高くつく理由が分からない。
演目はたいしたことがない。ただ、歌のヘタなヒビキが踊っている。合いの手で、若い男にロリコンオヤジが踊っているだけ。つまらないから、早く店を出たかった。
苦行だ。まあ最後まで見届けたよ。嗚咽しそうになったけれどな。出口に、コンカフェのキャストたちが立ち並んで、客に握手している。オレはもう用がないので、店を後にした。
カオリさんはいなかった。ムダ骨ってことか、と失望した矢先に、谷川から電話だ。
「どうした?」
「写真渡してきたが娘いただろ?あの娘とウリ二つな女が売春宿から出てきたぞ」
こんなに早く仕事が終わるとはな。
売春宿まで急いで向かった。谷川にも一緒に詰めてもらう。出てきたのは間違いなくカオリさん。写真と名前は一致している。ところが、今ではガリガリで生気がない。
「恩にきるぜ、谷川」。谷川に少し離れるよう伝え、オレは、お尋ね人に声をかけた。
「長野カオリさんですよね?」