
『よくあるハナシ』(上)
【逆転】
暑い日のことだ。「歴史的」猛暑の東京都。気になるよな、歴史っていつから遡ったモンなのか。
オレの事務所でホストモン二人と野球賭博をしていた。二人とも、色白だ。
酒を受け付けない体質なのに、飲めないのに飲め、と圧がつねにかかっているように、青白く映った。ウンザリしているのだろう。気が休まらないのかもな。
笑顔は絶やさないがしんどそうな様子。コイツらの真の姿は、憂うつなのかもしれない。明るい世界は「ガマン」によって支えられているのかもしれない。
――そこで逆張りですか?
――ああ、時に「負け予想」をするのが賭けのテクニックでもあるからな
――珍しいですね。基本は順張りなのに、ともう一人のホスト者。
――順張りしすぎもつまんねえよ
それから3時間が経った。オレたち三人は野球に見入っていた。打つたびに大声を上げては、ゴロだとホスト者はブチ切れる。賭けにむいていないな、コイツたちは。
ところが、今日はオレだった。予想を外して、内心では気を取り乱していたのは。
逆転ホームランで、ホスト者が順張りで賭けていた球団が、勝ちやがった。決勝戦。オッズのレートは高めに設定した。
オレはマイナス15万円。ホスト者は、7.5万円ずついただきます、と。
チクショウ。
といっても、博打ばっかやっていると、この額が手痛いのか、軽傷なのか分からなくなる。鈍るんだよ。
――ったく、と舌打ちしながら言い放って、オレは外に出た。相場感は別として、負けたことに腹を立てていたからな。
気分転換だ。出てすぐに目を疑ったよ。
10代の娘が、どこの馬の骨か分からないホストにブン殴られて、倒れていた。
――やりすぎだろ、兄ちゃん
――掛け金バックれるほうが悪いですよ
そう言い残して、どこかへと消えた。どこだかは分からない。別の女を見つけては、ボコボコにして掛け金を回収するのだろう。
女の顔は腫れていた。病院行くか?と声をかけても、保険証ないからムリ、と。
――近くの公園で休んでいきなよ。手当てキット、持ってくるから待っててな、とオレは事務所に戻ってから、その娘に渡そうとした。
が、いない。消えたのか、また別のホストに――知らないところで――ブン殴られているかの二択だな。
見慣れたよ。
違和感のない光景に同期していると思える、オレが正気なのか、それとも狂気に染まっているのか、確かめたくなる時がある。
映画・アニメで、よくあるだろう?つねって現実か確かめるワンシーン。つねって、痛いのなら正気。違うなら、イカレている。
分かりやすい判断材料があれば、楽なのに。
感覚が世の中のそれと違って、鈍るんだよ。こんなことはしょっちゅうなんだ。非日常が日常だ。
よくあるハナシ、この街じゃ。
【日常の狂気】
マヒしちまう。対外的にあえて見せないようになっている、見ないようにしているだけで、耳を塞ぎたくなるような事件は、毎日のように、この街じゃあるんだ。ここまで来ると正常な判断ができない。
というか、善悪の判断とは何か――。といった具合に、そもそも論に回帰するのがオチだ。
極悪なのは、悪事を働いているガキどもなのか、クリーンなフリをした大人たちなのか。もしくは、異常性に支えられていないと、この街は回らないのか。
考えたらキリがないだろう?
オレが見ているのは、パッと見では分からない、特有な世界の絵図だ。
その絵図の一コマは事務所だ。話すが、身バレは伏せたい。
最小限のことだけになるが許してくれ。都内某所。日の当たらない、安っぽいマンションの一室。
ここがオレの事務所だ。この地域で利便性が良ければ、普通なら10万円以上の家賃でもおかしくない。というか、それくらいが妥当だ。
ところがオレは、その半値で借りられた。奇跡かって?そんなわけない。「ワケあり」な物件だ。とはいえオレにとって、いや、この稼業にとってはありがたい「ワケあり」だった。
窓がない――。
正確には元々あった窓を、前に住んでいたヤクザモンが取っ払って、日曜大工で外の光を遮断し、人に見られないよう、ひと仕事したみたいだ。
そのヤクザモンは事務所として使おうとしていたらしい。
韓国人女性の大家は、このウルトラC級なDIYにブチギレた。おかしいと気づいて、大家は通報。その組員は生活保護の不正受給をしていたのが明るみになった。
にしても、だ。
ここの大家は、アウトローだろうとお構いなしにキレるモンだから、話を聞いただけでもヒヤヒヤする。うまくやっていけるかがネックだった。
この業界では「肝っ玉大家」と呼ばれている。それだけ不正や、曲がったことが許せないタイプ。だが、オレには妙に優しくしてくれた。
探偵なんてオブラートに包んでいるが、実態は非弁行為――弁護士資格がないと違法な業務など――に抵触することなんてしょっちゅうさ。
じゃないと事件は解決しない。
詳しくは追って話す。そんな探偵業を営むヤツに、真っ当な大家なら、事務所なんて貸してくれるハズがないだろう?例外を除いては。
肩身も狭い業界さ。非弁行為をカマすのは探偵だけではなく、意外とホストだったりもする。もちろんヤクザモンも。細かく挙げたらキリがない。
おおまかに、オレら探偵のような「介入」商売と水商売、はみ出しモンの間で流通されている、物件貸し手の名簿がある。
そこに載っていたのが「肝っ玉大家」ってことだ。マンション全体は、ホスト用の寮となっている。右、左隣もホストの住み込みだ。おかげでホストモンとは仲良くなれた。
物件の話はここまででいいだろう?
オレの事務所に来る依頼人は基本、誰かに紹介される人が大半だ。個人間のトラブルだったり、公になったら困るトラブルだったり、火消しを目的としたり・・・と。
要は表だった探偵事務所で解決できない事件を引き受けるワケだ。
賭けには負けたが、仕事の勝率はすこぶるいい。
こういう時こそ気を引き締めなきゃいけないのは重々承知だが。今日は火曜日だ。
残暑を感じさせる、9月の風が心地いい。天気の良さも相まって、やや有頂天になりつつある自分がいる。
このことに気づけるかがネックなんだ。
とある有名な議員からの依頼。――消えた娘を見つけ出してほしい。報酬は140万円だ。
手付金が異例の40万円で、成功報酬で100万円。条件のいいハナシだった。当たりくじを引いた気分だった。
警察に捜索届なんて出そうものなら、週刊誌のネタになる。どうにか表立たないようにしたくて、オレの元に来たんだろう。
ところが、だよ。この依頼が泥沼化するなんて、微塵(みじん)も思っていなかった。そんな経緯(いきさつ)をまとめた。
そうしないと正気を保てない気がしてな。たまにいるんだよ。色んなトラブルに巻き込まれて、ブッ壊れるヤツが。
ようこそ、よくあるハナシへ。
【失踪】
ある日突然のこと。
門限を過ぎても帰ってこなかったという。最初に身代金をたかられるのでは、と震えたらしい。だが、誘拐犯と思わしき者からの連絡はなかった。2日目も脅迫電話は来ない。
そこで、娘自身の家出と判断したようだ。「突然」。というものの、予兆を見逃していたに違いない。写真を見させてもらった。娘のカオリさんが中学の卒業式に撮り、長野に送ってきた写メ。
かのじょは一人っ子でかわいいのだろう。
待て。何かがヘンだ。――なぜ家族旅行の写真ではないのか。捜査依頼で対象が未成年の場合は、家族旅行での写真を見せる人が総じて多い。
こうした小さな違和感を当たり前のように、つかむよう昔は先輩に教わった。――ヒントは依頼主だけが持っている。引き出せ、と。
それとはまた別に、妙な違和感があった。
いたって普通な今風の10代の娘だ。目だった、気になったのは。笑顔なのにくぼんでいる。目力はないのに、何かを訴えかけている。
「青春を返して」と、こちらに投げかけているようだった。
この稼業に就いていると、外見から何かしらのシグナルを受け取る。一見して、マジメでもその奥には、心のくすみがある。マトモそうな外見を取り繕っているだけなのだ。
写真と学校名、好きなアイドルやハマっているものなど、その娘に関することはこと細かに尋ねた。例えば、好きな本。ここにヒントがある。
趣味趣向は属性を示す、一つの標識みたいなもので、どこに向かうのか、目星を付けるのに重要な判断材料になる。
想定内だが、怪訝(けげん)な表情だ。ギリギリのところで自分を制御しているように映った。
――わたしはカオリの好みの話をしにきたわけではありません。プライヴァシーを詮索しているとしか・・・と、唇を震わせながら言ってきた。即座に返した。
――初めて、娘さまのお名前を出されましたね、長野様
意表を突かれた、といったところ。
さっきまでシャープだった目つきが、今は満月のように丸くなっている。瞳孔も見開いていて、身体中に何かが瞬時に駆けめぐったようだった。冷房で適温なはずなのに、汗がどっと流れていた。取り乱している。
うまく隠そうとすればするほど、焦りが伝わる。ジャブ1発目でこんなにリアクトする顧客は、長野が初めてかもしれない。
決まりが悪そうに、
――ご存じなのに黙っておられたんですね
――余計なことを話さないのが信条です。この業界で生き残れませんので
――意表をつくようなことだけはやめてください。国会で何度も経験していますので、と本人はユーモアを交えたつもりなのだろうが、顔はちっとも笑っていないもので、かなり深刻な状況にあるのだろう。
さらに訊くことにした。娘は誰と仲がいいのか、SNS(交流サイト)を使っているか、電話着信の頻度など、こと細かに。
長野はイラ立たしいと言わんばかりの様子。段々と怒りをあらわにしてきた。些細(ささい)な行動の変化に、兆しは見られる。
家族で一緒の時間を過ごそうとしない、携帯電話ばかりいじる、急な電話対応で席を外す、つるむ相手が変わる――。こうしたところに、行動の変化のサインがある。見落とすだけだ。
「あっち」側に行く前は模範的だった――しょっちゅうこんなことを言う。模範生を演じるのに嫌気が差して、反動が大きくなった結果、豹変(ひょうへん)するだけなのに、大げさに反応する。
――カオリの趣味嗜好を話しにしにきたわけじゃない。捜してほしいからなのに、これではラチがあきません!プライヴァシーと名誉もあるのに!
――もちろんです。こちらも捜し見つけ出すのが目的ですよ。目的は同じです。小さな、長野さんが見落としているかもしれないところにヒントは転がっています
下手(したで)に出るのも疲れてきた。
――依頼される方のご協力なしには、進められない。実際、長野さんの議員としてのキャリアや、報道されることなどわたしは気にかけていません、と追い討ちをかけた。どう切り出すかもネックだ。続けて、カオリさんを見つけるのが仕事です。違いますかね?
効果があったと、確信めいたものを抱いた。
感情――それが何であれ――がむき出しになれば、相手の懐に踏み込める。同時に相手がこちらに心を開いた瞬間とも言える。興味のない相手にはキレたりしないだろう?
そろそろ畳みかけたい。
――よく思い出してください
――そういえば、カオリは最近とある「コンカフェ嬢」に憧れていると電話で言っていました
――大丈夫ですよ。女性に人気なコンカフェ譲は、すぐ見つかるかと
憧れの「コンカフェ嬢」に逢いにいくのが目的か、もしくはそのコンカフェ譲を軸とした人たちのつくりあげる、現代特有のコミュニティに同化するのが目的か。
人に接触するのか、居場所を求めているのか――。この二者択一かもしれない。
コンカフェなど、年代の違うオレには最新の流行に追いつけない。というか、ここ最近は流行のサイクルが早すぎるように思えるのはオレだけか?
この手の話なら、あとで隣のホスト者に訊くのが手っ取り早い。
話をある程度まとめた。依頼主は総じて、取り乱していることが多い。ただ、他人には言えないことを吐き出せば、一気に落ち着く。
ファーストコンタクトで、「信頼」されるかだ、この業界で重要なのは。
長野が提示した手付金の額は、人捜しのなかで一番高かった。それにこちらから提示するものを、相手側から提示するのもかなり稀(まれ)だ。
――手付金が発生するとは今井氏から聞いています。人捜しはお安いとか
――そこまで手間のかかる作業でもないので
――40万円でいかがでしょう?
――相場は訊きましたか?他の事件屋などにも尋ねました?
――いや、《今井さん》の紹介される探偵以外は信用しません
いやいや、手付金がこんなにも高いことはこれまで一回もなかった。もっと安くても請け負うと言ったものの、一向に引き下がらない。
なぜこんな額を自ら提示するのか、答はのちに解(わか)った。手付金は人探しで10万円が相場と決めているし、そのことは今井も分かっているはずだ。長野に紹介するときに言わなかったわけはないだろう。
成果報酬で50万円程度。見つからなかったら、返金をするのがモットーだ。
――それでは、お言葉に甘えて
応えるや否や、現金をその場で手渡してきた。焦っている様子。何かがヘンだ。
違和感を抱えながらもオレは、長野を玄関まで見送った。議員であり父でもある長野は、早歩きで外へ出て行こうとしていた。
たった1時間だ。たった1時間、長野と話していた。
かれはこの事務所で話しただけなのに、3日分の疲労感が滲み出ていたと、思い返す。憔悴(しょうすい)しきっていた。背中から疲れが痛々しいほど伝わってくる。
【あの場へ】
即座にオレはホストモンのところに向かった。
人気なコンカフェ嬢とは誰なのか、まず訊き出して、そこから始めるのがいいと思えた。SNSの影響を多大に受けやすい10代。
おそらく、突然家出をした背景には「反撥(ぱつ)」と、崇められている「アイコン」の磁力があると読んだ。
カオリさんが虜(とりこ)になっているコンカフェ嬢は、ホストモンの店の常連客と解った。
かなりのショートカットだ。話は早い。コンカフェ嬢の写メを見せ、知っているか訊ねた。
――コンカフェのキャストで売上が一位ですからね。羽振りはいいですよ。よく来ますね、うちの店にと本業ホスト。
――名前は?コンカフェの店名も教えてくれないか?
――「ヒビキ」が名前で、店は「ミズミ」です、と言い、オレは謝礼金の1万円を渡した。
――まあこれで遊んで
そう言い残し、急いでミズミに向かうことにした。
オレみたいに流行と縁のない人間は、コンカフェと言っても追いつけやしない何が何だか。サッパリだ。ホストモンは逆だ。
流行の感度が高く、今・何が人気で、これから人気になりそうなのは何か――。嗅覚が鋭い。流行のサイクルを即座にキャッチするよう、感度がつねに高いのだろう。
その日はミズミに行き、人気の「ヒビキ」がいるか確認した。コンカフェとは、コスプレをした若モンの女性がサーヴィスする飲食店。乱雑だが、そういう店と位置付けてもらえるとイメージしやすいと思う。
メイド喫茶を思い浮かべてもらえるとわかりやすいかもしれない。ミズミに入店して驚いたのが、キャストの皆が皆、髪をネオンのような色に染めている点。
「なんだコレ?」と声に出す一歩手前だった。
【店内】
「お帰りなさいませ、お客様」だなんて言ってくるものだから、調子が狂う。一見だぞ?初めましてからだろ、と言葉の揚げ足を内心では、とっていた。
こんな店には長居したくない。ヒビキが在籍しているか、確認するだけだ。それ以外の用はない。
テーラードジャケット服を着た人間がコンカフェにいるのも場違いだ。ましてやオレは30代。周りの客は大体10代後半から20代前半だ。
内装はゴシック模様。中世のゴシックだろうな、意識しているのは。よく「ゴス」◯◯って耳にするだろう?和製用語のさ。
そのゴスの要素も散りばめられている。洋のゴシックを取り入れ、日本特有の「ゴス」文化を融合させている感が伝わる。
古典的な文化と特異な文化を合体させ、新たな文化をつくりだし、発信する――。この新陳代謝に追いつけるヤツが異常に思えるのは、オレだけか?
疑問しか抱かないんだ。この店に、溶け込むなんてどだいムリな話だ。早く出たい。内心では違和感しかないワケだ。それなのに、無理やり新たな文化に惹かれたフリをする。
多少の演技・演出は必要なのは、職業柄十分に分かっている。とはいえ、冷静に考えるとオレは、趣味のおかしなオッさんにしかみえないだろう。内心ではモジモジしながら平然を装うのは、堪(こた)える。
店内ではかなりテンポの速い音楽が流れていた。BPMは148以上でオートチューンのテクノみたいな音楽――。この手の音楽ジャンルをヴォーカロイドというらしい。後日、ホストモンに教わった。
音楽も心地悪い。オレはもっとゆったりとした音楽が好きなのだから。さっさと店を出たかった。そう思った矢先に、ポスターが目に入った――ヒビキがメインキャストを務める、ライブイベントが3日後に開催されるのだ。
――チケットはまだ残っていますか?とポスターに指を差し、オレは長広く開かれたスカートを履いた、一人のキャストに訊ねた。ガリガリで髪は緑色。
どうなっちまっているんだ?若い連中は。
甲高い声で、もちろんです!と返してきた。
やせ細れるのを越えて、皮膚と骨が一体化しているような、見たところ18歳ほどの娘は、どこからそのエネルギーを発しているのか、気になった。病的なやせ方だ。見ているオレが恐怖を覚えたさ。
――お待たせしました!会場はココ、ミズミです!
――ああ、ありがとう・・・1枚頼むよ
――ヒビキちゃんがメインのイベントにようこそ!
と、異常なテンションに驚がくしながら――金額は1万円と高かったが
――前売り券を買うことにした。もしかしたら、そのイベントがある日にカオリさんが来る可能性もあるのだから。
店にいても特になにもすることはない。むやみやたらにコンカフェ嬢に声をかけるオッさんがいた。なかなか悪趣味だな、と思えた。一方で、それくらいグイグイ、若い娘に迫るくらいが客としては「普通」なのだろう。
さっきも言っただろう?
オレは同じようにはなれない。
異常にしか思えないって。
それにしても寒い。冷房が効きすぎている。長くいても耐えられない。ギンギンに冷房が効いた部屋から出、心地がいい。同時に少し、心寂しさを覚えもする。
店を出たのは、夕方の五時だった。コンカフェの店員も同じタイミングで、裏のドアから退勤していた。
何かヒントがあるかもしれない――。野生的なカンを頼りに、オレはその娘を尾行した。その娘は、歌舞伎町の職安通り沿いの、目立たないマンションに入っていった。
30分ほど何か手がかりはないかと、隠れながらマンションの住人の動きを確かめた。まさか、と息を呑むような光景を目の当たりにした――。
60代のオッサンとコスプレをした娘が、手をつないで部屋から出てきた。おそらく売春宿。アウトだ。
オッサンに詰め寄りたい気持ちはあったものの、衝動的な動きは機会ロスにつながる。その日は、「ヒビキ、ミズミ、売春宿」。この三つを収穫した。ただ、確信のカオリさんには迫れていない。まずは周辺をとことん調べ上げることに決めた。
【残暑の雨上がり】
なにかが手からこぼれていったような喪失感。
期待が詰め込まれた、気球がしぼんだ感覚だ。オレも長野と同じように疲労が、ドッと押し寄せてきた。35歳、バツイチの男がみっともないことに、歌舞伎町の路上でタバコをフカした。
「許してくれ」――。と街に申し訳なく思いながら、タバコに火を点けた。その矢先だ。ストライキをしている団体の姿が目に映ったのは。その中に長野もいた。
<オイオイ、いくらなんでも切り替えるのが早すぎるだろう>
左派寄りの衆院議員。来年の選挙に向けて、労働組合と距離を縮め、活動にも参加しながら娘の不祥事はもみ消す――。本人はさぞ複雑な感情が渦巻いているだろう。
賃金は上がらず、不正行為がまかり通る日本社会――。この国が機能不全になっていった。ストライキの数を受け、デモに懲罰金を課す政策を施行した。
逆効果になった。失敗に終わった国策の負の遺産を、清算するには増・課税しかなかった。
「未来人への投資」と銘打った、「子ども手当」の拡充を施行した。ところが、出生率は過去最低の水準で推移。1.05~1.10%と、臨界値の1をギリギリ保っている。バラマキ政策とも批判された。
国策を推し進めた結果、アドバイザリーボードが、有名企業と癒着していることが明るみになった。広告代理店、コールンターや特定NPO(非営利組織)などとの癒着といった不正が、国民の怒りを買った。
バラマキに癒着――。
特に前者のバラマキ分を回収するには、増税と課税しかなかった。10%台まで低下した、内閣支持率も持ち直すには景気刺激策での人気集めしかなかった。
対策の一環として、「万博計画」を来年に実行しようとしている。
雇用が増えると喧伝する。日本の各産業界の技術力を見せるショーということで、国民は喜びに沸いた。一時的に。
会場建設は癒着が疑われていた。それが国民の反感を買った。ただでさえ、貧困にあえぐ日本人が増えている時代だ。国家主導のプロジェクトで、特定の有名企業が大もうけするなど、一般人の怒りの火に油を注ぐようなものだ。
デベロッパーに広告代理店、人材派遣会社などが揃って談合したと、報道がされていた。もちろん独禁法に抵触する。ところが、この国家プロジェクトをけん引した、税務官は不審死を遂げた。
もちろん自死説が濃厚だ。
国会審議に問われても「所轄は違う」の一点張りで、何も前進しない。見たことあるだろう?要領をえない、くだらない答弁の言葉尻を取る質疑応答。あんな様子が毎日、ニュースに流れていたわけさ。
依頼人の長野は、プロジェクトの解明を、一貫して与党に追及した。談合に死亡事件――与党はこれらを上手く交わした。死人に口なし、与党のみが全てを知る事件となった。
国民の生活は圧迫され、真実が闇に覆われる、異常な時代。
追い討ちをかけるかのように、日本政府は、愚策のかぎりを押し通した。軍事費の積み増しを実行に移した。背景にあるのが、集団的自衛権の先制行使。アジア諸国が、先んじて攻撃するのは認めることに。
21世紀の新冷戦期――。
依頼人の長野は、国会答弁では猛反発。「軍事大国日本」と揶揄(やゆ)していた。首相は、煙たがっていた。当たり前かもな。「ジャマ」されたって、内心かなりイラ立ってだろうよ。
議員っていい仕事に思えるよな。
席に座っているだけで、給料をもらえもするわけだ。ところが、長野は真逆だ。身を削っているように映った。主張が正しい,間違いなんてどうでもいい。とにかく表にたてるかどうかだけ。
ジャマ者は「消される」だけだ。
政治って難しいようでカンタンだよ。気に食わなきゃ、あらゆる手で首相の定義する、反対勢力たちをやっつける。
体力の衰えを感じる。20代の時は、ホストモンと同じく、この街の「更新」に追いつき、先取りできただろう。変則的に感じられる時の感覚にも、耐えられたハズだ。
ところがしんどさを感じている。今日の時間の動きは、長く早くと、リズミカルだった。そのリズムに徐々に乗っかれなくなるのが、年を重ねた証拠なのかもしれない。
そうだ。長野と話を進めた時は、時間が長く感じられた。たった1時間なのにな。
ところが、歌舞伎町にいると時間は倍速のように、早く、目まぐるしく感じられる。この街の代謝に追いつこうとしても、追いつけない。
生まれてこのかた、一度もコスプレした女性のいる、喫茶店に行ったことはなかった。というか行こうとも思わない。まさか、依頼を受けてヒントを探る先が、コンカフェになると考えたことすらなかった。
なんだかみっともなく思えるんだ。
それにしてもだ。長野の体力に驚きを隠せない。
娘の失踪依頼で、疲労困憊なはずなのにデモでは、先陣を切っている。議員には体力も求められるのだろうな。「ムリ」と分かっていようが、ポーズは見せなければ務まらない仕事だとしたら、オレには向いていない。
いや、オレも「ムリ」なのかどうかは、賭けでその時の運に左右されている。パフォーマンスはしない――。演出以外は、根本的に長野と同じなのもしれない。
【街の光】
歌舞伎町がネオンに彩られる時間だ。文字通り、人もネオンみたく光っていて、街も様ざまな欲望の色に染まる時間帯。このまがまがしい「光」の誘惑に惹き込まれ、戻れなくなった人が何人いるのだろうか――。
この街を「つくっている」人たち、この街で「踊っている」人たちが、誘惑と欲に溺れているのかもしれないな。
そんなことを考え始めると、吐き気をもよおすんだ。考えすぎか?おかしいのはオレなのだろうか。
ここから逃げたい――。事務所兼自宅に戻ることにした。生活も仕事も居場所が、そこにはある。落ち着かない時がほとんどだ。つねにオレは「ここ」にいるだけなのかもな。
ソファに腰かける。「動くか寝るか、どちらかを選べ」と、選択を迫られているようで嫌な気分になるんだ。
その中間の「休み」をとることにした。オレはU2の”Staring At The Sun”のCDをかけた。
JBLのスピーカーから流れる、音に耳を澄ます――。ちょっとしたぜいたくなんだ、こうして音楽に聴き入る時間は。
イントロのギターのソロが、感傷的だけれども、寂しさに負けないよう励ましているように聴こえる。
元妻との思い出を消したい。同時に、オレの稼業に理解を示してくれた、唯一の女性に、この上なく感謝しているモンだから記憶は消えないがな。
今は素直な自分でいさせてくれよ。感傷的だろうとさ。
不思議だよな、音楽ってのは。どのような「音」かは、聴き手に委ねられる。オレ以外の人が聴いたら「激しい」ギターソロと思われるかもしれない。
きっとさ、聴く側が曲に、自分を投影させたり、感情移入すると、聴き手の数だけの感じ方やストーリーが、あるんだろうな。
ボーカルの、ボノが“I am not the only one,”――「一人じゃない」と歌う。
元妻、ミサキといた日々は、一人ではなかった。
“Don’t think at all”――「何も考えるな」。
今のことだよな。振り返っても仕方がないことを振り返る。意味ないのは重々承知でも、思い出に浸りたくなる時ってあるだろう?
【記憶の香り】
曲の進行に伴って、記憶が鼻腔を刺激する。
数年前の話さ。もと妻との会話だ。
――何回言えばわかるの!と元妻のミサキはつねに怒っていた。
――カイ、いい加減にしてよ。「マトモ」な仕事に就けないのかしら?
――もうここまで来ると・・・
と言うや否や、即座に自分の荷物をまとめた。
――オイ、もしかして・・・
――その「もしかして」が今日よ!
と、言い放ち、荷物をまとめて出て行った。
このワンシーンを夢の世界で忠実に再現していたんだ。皮肉なもので、悪い記憶ほど鮮明だったりするんだ。
夢の中――このタイミングで目が覚めた。なんだか憂うつだ。今は夜中の3時だ。
睡眠薬をあおるかどうするか、悩んでいたところ・・・
「今日はミズミの嬢の管理大変だったな」
「いや〜、北条(店長)さんも無茶言うよ。自分の担当の娘には」。北条は、二人の働くホストの経営者だ。続けて、
「ウリをさせろってな!」と言うと、ホストモン二人は、大声で笑っていた。――やめればいいのに。大家がキレるぞ。
「で、ましてや、クスリ漬けにさせろだなんて、北条さんはエグいよな」
「まあ、貢がせるためなら仕方ないっしょ」と、夜中の暗い廊下を陽気な笑い声を上げながら、ホストモンが歩いていた。
「肝っ玉大家」が目を覚ましたもよう。
【肝っ玉大家と万札】
「静かにしな!バカ!」――ああ、もう手遅れだな。
オレは事務所のドアを開け、「詳しく」とだけ言い二人に事務所に入らせた。
半ば強引だった。コイツらから訊き出したいことはある。大家に殴られる一歩手前だ。タイミングもいい。大家からのお気に入りポイント、1加点だな。
「オイ、用があるから部屋来い」と言って、片方――大学生のホストモンの胸ぐらをつかんだ。
「アンニョン(ありがとう)」と、大家はオレに言ってくれた。
黙らせたと思っているのだろう。同じくアンニョンで返した。オレは、「またね」の意味で。この言葉には「ありがとう」と「バイバイ」の二つの意味がある。文脈によって使い分けられる。便利な言葉だよ。
「どうしたんですか?中山さん」と身長の低い、ホストモン(本業)が食いつき気味に訊いてくる。
「ヒビキって娘以外にも良く来る客はいるか?太客っつうのかな」
「いるもなにも・・・」と言いかけた途端に、もう一人の現役大学生ホストが割り込み気味に、
「ボクたちの系列はミズミ御用達ホストですよ」と一呼吸おいてから「コンカフェ嬢は接客にウリをやっていると、ストレスが溜まるでしょう?ホスト通いかクスリでストレス発散っすよ。両方もありますね。ボクたちに貢ぐことで、発散するんですよ。コレが歌舞伎町の食物連鎖かもしれません」と言ったところで二人とも揃って、満足げな様子だった。
「頂点に君臨しているワケか?ホストたちは」と、球を投げると、今が笑う場面なのか、緊迫した場面なのか、見当がつかず困惑しているようにみえた。さきの得意げな表情に、オレは怒りのような感情を抱き、一発ずつ腹にパンチした。
「プライドっつうか自慢はいいから。ま、続けて」
「その前に・・・中山さん、痛いですよもう」と大学生ホスト。
「オレも」
「少し静かな声で話してもらいたかっただけなんだ。手荒でごめんよ。大家に文句言われるのもイヤだろう?お前ら、イエローカードだぞ」と、本心で抱いている感情を隠すために、ウソの理由づけをした。
大学生のホストモンが自分の学力を誇示するかのように語り始めた。ここでは学力なんていらないのに。
大事なのは、順応力と処世術。大学で使う頭脳と、ここで活用させるそれとの違いをわきまえてなさそうだな。
「アノ店の近く――場所は秘密ですが――に、売春用のアパートがあるんですよ。二階がコンカフェ嬢たちの寮で、三階が『ハコ部屋』なんです」と言い終えた時に、
「職安通り沿いだろ?」と返すと、驚いている様子だった。驚くもなにも、調べ上げるのがオレの仕事だ。つねに一歩先を歩く。それでも分からない時は知恵を借りるんだよ。
「なんで知っているん・・・」と、言いかけた途端にもう一人のホストモンが「調査のプロだぞ」と、小声で図に乗らないように、クギを刺していた。
「設計を教えてくれてありがとうな。さっき言っていた『クスリ』は何を使っているんだ?高確率でシャブだとは思うが」
「はい。客側、まあ買い手は『キメて』できるので、人気なんですよ。ましてや若いですし」と、ホストモン(本業)が返した。
「オッサンらの娘と同い年くらいの女の子を喰って楽しいのか・・・」と本業。コイツはこの街で生き残れるタイプだ。
立ち居振る舞いをわきまえている。どう交わすか、どう応えるかを、客観的視できている。
「スタートは夜か?」
「いや、フル稼働です。いつ何時でも『キメ』できるように嬢の待ち時間・合間にするんです」
欲望は眠らない。つねに目を見開いている。「それで、プッシャー(売人)は?」と訊くと、
「さすがに・・・」と、決まりが悪そうだった。
「他言するな」と上のモンに徹底されているんだろう。「これでどう?」と7万円を見せつけた。
「言うのは御法度なんだろう?」と確認。「7万の価値はあるからな」と付け足し、念のため「それ以上の価値があるなら上乗せするぜ?」と添えておいた。
もう一人の学生ホストモンと、コソコソと話していた。どこまで言うか、もしくはカネを返すか、7万以上に引き上げるのか、迷っているようだ。迷いあぐねいた結果「三上さんです」と答が返ってきた。
背筋が恐怖で凍えた。というのも、三上は歌舞伎町のトー横界隈を実質支配している、極道モンだからな。「あの」エリアは、極神組系の2次団体、憎堂一家が縄張りにしている。
何度も他の組織と、縄張りをめぐった対立や抗争があった。が、勝ち抜いて、あのシマを納めたんだ。かなりどう猛なコトで有名。手段を選ばない――相手がカタギだろうと、シノギだろうと、容赦はない。
オレがウロチョロしていることに気づかれている可能性すらある。
実際に捌いているのはこの組の下っ端なハズだ。大元は三上――。すると、だ。一つの仮説を立てた。ミズミのケツ持ちは憎堂一家だ。
売春宿もな。それで、だ。そこでヒビキが組のモンと店をつなげている。そこの手数料、仲介料をもらっているのかもな。
「で、ヒビキのキックバックはいくらくらいだ?」と自分の仮説を伝えた。推測の域なのに、裏づけがあるように振る舞うのも重要だ。外れたら赤っ恥だが、大体の筋さえ読んでおけば、トントン拍子で話は進む。
「やはり、ここに目をつけますよね。一人あたりの売上――コンカフェと売春の両方で20%。そのキックバック料の一部を憎堂一家に上納ですね」
「憎堂一家への上納率は訊かないよ。さすがに言ったらマズイだろう?こっちも知ってちゃまずいんだよな」と本音を付け足した。
本題。
「ヒビキはかなり儲けているだろう。本業にキックバックで、まあ月に500は余裕で超えているな」と、言った。これはかなりラフな投げ玉。
正直、コイツらもヒビキが一定の額以上稼いでいれば、100万円だろうと、ゼロが一つ増えようが、関係ないだろう。太客が金を落とせばいいだけだからな。
「はい、おそらく」と、脱力しきった表情で返事をした。何かあったら真っ先に詰められんのは、このホストモンたちだからな。余計に顔色が青ざめていたよ。
「憎堂一家からピンハネされた、まとまった額をヒビキが管理。要するにアイツは、ミズミのコンカフェコミュニティの財務省的な立ち位置。日銀は憎堂一家。で、財務省のヒビキがカネをコンカフェ嬢たちに分配。下の嬢たちは、そのカネで生活か」
そう言うと、すぐさまホストモンたちは、力の抜けたかっこうでうなずいた。「出してくれ」と言わんばかりだ。
低学歴でも、どう見せるか・振る舞うか理解しているホストモンは、器用に渡り歩く。「ありがとうよ。7万で足りなかったら追加で渡すさ」とカッコつけた礼を言って、「疲れたろ」と付け加えた。
「ちょっとの話のつもりが、もう朝5時だ。長引いちまったな。これで明日は美味いモンでも食ってくれよ」と言い、追加で1万円を渡した。実際7万円以上の価値はあるしな。
二人ともそそくさとオレの部屋から出て行った。ホストモンが部屋に戻る最中に、大学生のほうが「8万ももらっていいのか?」と訊いていた。「バカ、もらうのが礼儀だ。お前、偏差値高いんだから『受け取る』理由はわかるだろう?」
「・・・」
「バカだな」とため息を吐きながら、自分たちの室内=寮でこの街のマナーを教えるのだろう。
第一に「割るな」と言われたことは、他言してはいけない。次に受け取るのが礼儀ということ――。相手から渡されたカネを拒否するのは「カネなし」と蔑むようにも解釈されてしまう。
物分かりがいい。
本業ホスト=ツバサは大成するだろうな。予想通り、5年後にホストの経営者になった。店を持って2カ月で街から消えたがな。
よくあるハナシさ。
まず、どう考えてもオレ一人の力では解決できない問題だ。憎堂一家とモメるリスクもある。助っ人を呼ぶしかない。谷川だ。アイツは気が早いが、俊敏だ。かなり助かるんだよな。
ヒビキのイヴェントまでもう少し。溶け込まないと浮いてしまう。毎日、夕方ごろに店に通い、売春宿も確認した。
ビンゴ。
プッシャーがヒビキとやりとりしている瞬間を、遠目から見られた。薬物を路上で「押して」売るのが名前の由来とされている。プッシュには押すという意味がある。そこから派生してできた、ストリートの用語だ。
プッシャーは長髪で身長は低い。痩せている。多分コイツもネタを喰っているんだろうな。憎堂一家の末端が雇った、そこらのチンピラだ。
とにかく見張るのが今の仕事。出てくる人間関係の整理と、どの時間帯に誰が動き出すか、頭に叩き込まないと依頼のミッションは失敗するに決まっている。
2日目にも、いつもの観察をしていた。ここが、あのガキたちの居所なのだろう。
【ココにいるよ】
Mos Defの"Brooklyn"の歌詞を思い出した――。
"Sometimes I feel like I don't have a partner,
Sometimes I feel like my only fiend
Is the city I live in, is beautiful Brooklyn,
Long as I live here believe I'm on fire"
「パートナーがいないように思えて、
唯一の友人は、オレの住んでいる
美しい街、ブルックリン。ここに
住んでいればオレはノリノリだ」
といった意味になるのかな。
この街にいるヤツらに「パートナー」――腹を割って話せる人や、恋人――はいない。裏切りが当たり前だ。信用出来るのは歌舞伎町だけ。
このエリアにいれば、調子がいいんだろうな。ドライな赤の他人とみせかけのつながりを作る。それがホンモノの仲と信じ込む――信じるがあまり、不信になるヤツらを山ほど見てきた。
皆が皆、というわけではない。きっと、この街以外に居場所のないヤツらはたくさんいるんだろうな。
オレもその一人かもしれないしな。
【捨てられた人格】
***
当日は助っ人が来てくれた。谷川が売春宿を見張ってくれる段取りになった。昔からの付き合いで、何かあった時は力を貸してくれる。コイツもなかなか危ない。
危険を顧みず、相手がヤクザモンだろうと平気でケンカを売る。ところがさすがに、憎堂会の三上となると、分が悪いのは察しているようだった。
それだけ敵に回すリスクの大きい相手というコト。
オレは一人でコンカフェに行った。憎堂一家が絡む話に首を突っ込んだ以上、自分たちが、想定以上に危ない橋を渡っているのは確かだ。
もし、長野が、暴力団がウラで糸を引いている、と知っていたら、あの報酬は安いのかもな。
そう考えながら、ミズミに入店した。相変わらず派手な内装だ。キャストも同じく。
新宿のネオンを一箇所――このコンカフェに集中させているようにみえる。店内はもちろん、人もがネオンだ。カンだ。
コイツらは居場所がなくて、ここに流れてきたんだろう。言ってしまえば、孤独だった。もしくは今も。
ヤクづけにされて、体を売ってキャストとして働いても拭えない孤独や後悔はあるはずだよな。孤独ってヤツはよく光るのかもしれないな。
と、思いながら、時間を過ごしていた。
相変わらずオレは浮いている。他の客は若い。オッさんもいるが、鼻の下を伸ばしたスケベ野郎だ。ミズミの娘とセックスをして、興奮の尾をまだ引いているといった感じだ。冷めた目でオレは見ている。
ヒビキがソロで曲を歌う、イベントの開催5分前だ。
「お越しいただきありがとうございます!」と、声をかけたのは、どこにでもいそうな、一見普通な娘だ。ほかのネオンガールズとは違う雰囲気。かえって浮いている感があるが、清楚系も必要としているのかな。
ところがだよ。よくよく見てみたら、普通じゃないことに気がついたが。
腕には注射痕があり、ガリガリに痩せていた。
それを見、その娘から可愛さが消えた。重度のヤク中だ。まだ18〜20歳くらいに映った。次の瞬間に、買春宿のことが思い浮かんだ。この娘もウリ要員か。
ヒビキのソロライブが始まった。単純に、露出度の高いコスプレ服を着て、歌って踊る――。よくあることさ。アイドルに疎(うと)いオレでも分かる。
それにしても、だ。10,000円は高すぎるだろう。たかが15分のライヴだ。こんなにまで値段が高くつく理由が分からない。
演目はたいしたことがない。ただ、歌のヘタなヒビキが踊っている。合いの手で、若い男にロリコンオヤジが踊っているだけ。つまらないから、早く店を出たかった。
苦行だ。まあ最後まで見届けたよ。嗚咽しそうになったけれどな。出口に、コンカフェのキャストたちが立ち並んで、客に握手している。オレはもう用がないので、店を後にした。
カオリさんはいなかった。ムダ骨ってことか、と失望した矢先に、谷川から電話だ。
「どうした?」
「写真渡してきたが娘いただろ?あの娘とウリ二つな女が売春宿から出てきたぞ」
こんなに早く仕事が終わるとはな。
売春宿まで急いで向かった。谷川にも一緒に詰めてもらう。出てきたのは間違いなくカオリさん。写真と名前は一致している。ところが、今ではガリガリで生気がない。
「恩にきるぜ、谷川」
谷川に少し離れるよう伝え、オレは、お尋ね人に声をかけた。
「長野カオリさんですよね?」
【転生】
ひめのです――。そう言い放つカオリさんはこの街で「転生」したというワケか。写真で見たカオリさんは確かにここにはいない。
栄養失調でいつ死んでもおかしくない姿だ。髪もツヤがなく、目がうつろ――シャブを覚えてすぐに、こんなにひょう変するとはな。
「何の用ですか?」と、か細く震えた声で話した。やっとの思いで振り絞ったような声音が蚊の鳴き声のようだ。身体全体もが震えている。
横に客、40代半ばくらいの男が立っている。ソイツは「何が何だか」といった様子。
「私は帰る!」と荒げた語気でオレに言い放ってきた。早とちりしたようだ。自分で墓穴掘るなんて。谷川に目で合図した。目線が合うや否や、すぐにこちらへ来た。
オレは強面ではない。表面上は一般人の表情を装っている。温厚に見えるだろう。いや、正確には、見せるようにしている。
というのも、「いかにも」な顔で「いかにも」なことをすると、真っ先に持っていかれるのが関の山だからな。
一方の谷川は真逆だ。
表情と雰囲気から、つねに戦闘態勢と伝わる。言葉を荒げず、相手を威圧する。痩せ型低身長。そのシャープな体から放つオーラから、くぐりぬけてきた修羅場の数かずが存分に伝わるモンだから、相手は怖気づく――何をするか、次の一手が読めないんだ。
本職はもちろん危ない。ただ、半グレなのか、チンピラなのか、よく分からない谷川のように、躊躇なく人を殺めかねないタイプも、敵に回すと厄介だ。
【狂気】
2年前のこと――。早朝の一コマだ。歌舞伎町の路地裏で、谷川は相手にパウンドを取ってノシていた。やりすぎだ。
――死んじまうぞ、そこまでにしときなよ
――誰だよお前?
――訊く前にズラかったほうがいいんじゃないか?
と、黙り込んで首を縦に振った。死人なのか区別がつかないところまで叩きのめしていた。どうやったらここまで詰められるだろう?相手は明らかに谷川より大柄なのに。
何より、暴力事件なんてこの街ではザラで、通りがかりに見かけてもスルーを決め込むオレが、谷川に声をかけたのもよく分からない。誰かに似ている気がして、コイツとは仲間になれそうだと、変な確信があった。「誰か」がいまだに分からないのだが。
声をかけた矢先に、警察官が現場に駆けつけた。どうにか身を交わした。
傷害やら暴行やらで、持っていかれかねないところを助けたコトには感謝してほしいよ、谷川には。
――何があったんだ?デコがこんなに来てんぞ、とオレはその場しのぎに逃げた、ゲーセン内で訊いた。ゲーセン内のコインゲームをしながら、タバコを吸って時間をつぶした。
――多分、話すとお互いここに居づらくなる。やめよう、その話は
その日を境に打ち解けた。お互い持ちつ持たれつ――。どちらかが困ったら応援という関係になった。オレは素性を教えていないし、谷川のそれを訊くのは、なんだかナンセンスに思える。
なんやかんやで、2年間お互いが「何者」か、知らないままってコト。知らぬが仏とは的を射ている。名言は時代がこんなにも変わっても、生き残るんだ。フシギなもんだよな。
確かに、お互いが素性を明かしたら敵になりかねない。谷川がオレの関係者をシメていたかもしれない。そうすれば縁もヘチマもない。逆もしかり。谷川がオレを狙う可能性もある。
アイツの貫徹した考えは、理にかなっているのかもな。
谷川が口を開いた。「少しいいですか?」とたった8文字。それだけで、50代半ばのオッさんは怯んでいた。語の圧に押しつぶされたオッさんは、帰らず、ヒザを震わせながら、その場に居とどまっていたよ。
前日には、カオリさんを見つけ出したら即座に、現場に来るよう、長野に伝えておいた。「見つかるかもしれませんので」と意図を言うと、きまりが悪そうに「もちろん行きます。行けなければ秘書が・・・」と、気が進まないような回答。
自分の娘じゃないのか?依頼時は、大量に汗をかくほど、焦っていた。話しぶりから、精神的に追い込まれているような雰囲気を、十二分にかもし出していた。
ところが、だ。見つかる可能性があると、ほのめかすと、態度が一変している――「関わり」を避けているように、依頼を後悔しているように、思えもした。
とにもかくにも長野にその場で渡すんだ。
カオリさんを救い出せてもオレの事務所に居させるワケにはいかないだろう?現場で長野に引きとってもらわないと、かなり危険な目に遭いかねない。詰められたら、オレと谷川では生き残られない。
要するに渡したあとは、長野でどうにかしろってコトだ。手付金が高かろうが、そこまでのリスクを引き受ける必要はない。その点は事前に伝えてある。
アパートの出口で谷川は、オッさんの持ち物検査を始めた。「何を!」と言い返す勢いは、もうなさそうな様子。カバンの中には特になにもなかった。
「ハコの中で打っているんですか?」と谷川は訊いた。うなだれるように、降伏したかのように、オッさんは、うなずいた。
オレはカオリさんに長野の依頼で、捜しに来たことと、これから長野か秘書が迎えにくることをカオリさん、いや、ひめのに伝えた。オレが出来るのはここまでなんだ。
「お父様から捜索の依頼がありました。それでここにいるのです。じきにお父様か代理のどなたかが来られるでしょう」と言った途端に、「ゼッタイにイヤだ!戻りたくないもん!!!」と金切り声を上げた。
「と言われても・・・」とできるだけ、無難に受け流すように努めた。ここで荒波を立てると、他の人間もやってきて泥沼になりかねない。谷川には、オッさんをいったん手放し、カオリさんを見張ってもらうよう頼んだ。
長野に電話をすることにした。これではラチがあかない。携帯電話を取り出した瞬間、カオリさんがこちらにやってきて、取り上げようとした。
「アイツに電話なんてやめてよね!!!」。「アイツ」ーー。反射的に父を「アイツ」呼ばわりだ。相当嫌われているんだろう、議員ではない、パパとしての長野は。
やむを得ない。谷川に身体を抑えるように伝えた。うまくなだめようとしても、言葉で自分の動きを制御できそうにない。錯乱状態にあるとしか思えなかった。
【後ろの正面】
長野に電話をかけた。6、7コール目で出た。それも、本人ではなく、秘書が。「今、長野は席を外しておりまして・・・」
「娘さんを見つけました。娘さんの番号からかかってきているから、確実でしょう?住所を言うから来てくださいよ。本人がいなければ『秘書が代わりに身柄を引き受ける』と話していましたよね?」と相手を逆撫でするような、話し方でオレは秘書に住所を教えた。
「伺います。5分以内」と、急ぎ気味に相手は電話を切った。「なんでこんなヨゴレ役引き受けなきゃいけないんだよ」と、理不尽に怒りを覚えているような話ぶりだった。
こっちだって困るというのに、さ。すったもんだで目立ちかねない。カオリさんでもひめのさんでも何でもいいや、この際。かのじょは大声で「ヘンタイさんです!!!」と。確かにってなる絵面だから余計にこじれる。
男二人でオッさんを詰めているのか、男三人が未成年の女の子を狙っているのか――。いずれにせよヤバいか、ヘンタイさんのどちらかだ。
早く切り抜けたい。オレらは谷川の用意した車が止まってある、コインパーキングに向かうことにした。強引に押すわけにもいかない。先に谷川とオッサンが車で待機。それからオレとカオリさん・ひめので乗り込む算段だ。
ここで交代。秘書が来た時に谷川がカオリさんを抑えていると、話がややこしくなりかねない。オレがかのじょの身をどうにか。余裕をカマした谷川は、オッさんを先に、車に押し込もうとしていた。
「お、誰かと思えば谷川クン。覚えてる?」とプッシャー。
「殺すぞ、ガキ」と谷川。
素性を訊いておくべきだったのかもな。