『大麻記念日』--走れ田口Ⅰ--
【友情】
最初に言っておく--。これは友情の話だ。いびつであれ、どんなかたちであれ、友情は記憶の中に生き続ける。
たとえ縁が切れたとしても。別々の道を歩んだとしても。
***
色鮮やかに映った。
公園での遊びが、こんなにも刺激的なもので、ここが異世界なのか疑った--。これは、今目の前で目にするものは一体なぜいつもと色彩がちがうのだろう、錯覚なのか?いや、これは現実だ。--錯覚と現実の区別がつかない高揚状態で、僕ら三人は公園を走り回っていた。
ブランコに乗り、勢いづけて揺らす。高くまで登る。上に上に。高いところから見渡す、森林や街の景色が、ネオンライトに彩られたかのように、光っている。昼間だというのに。
そんな具合に遊んでいたら、僕ら三人は笑い始めた。なにが面白いのか分からない。
ひたすらゲラゲラと腹を抱え、大爆笑していた。その場にいた、子を連れた母親たちが、まるで詮索するような目で見ていた。
それすらもギャグ。
「おい、俺は芸能人じゃねえのに、なんなんだよ」と、高く昇るような話ぶりで丸井が切り出した。
「いや、有名人かもしれないぞ!」と腹を抱えていた、武田。「なあ、田口?」
「俺は『酔ってない』よ、もう」と言った瞬間、地面に寝転び仰向けで空を見上げた。「酔うってなんなんだ?」と大笑いしてしまった。
太陽の光がまぶしい。
吸い込まれそうな気分になった。
陽の光が呼んでいる。
高校1年の1学期、最後の登校日に帰りにたむろしていた、公園で大麻を吸って遊んでいた。普段は放課後にタバコを吸う、秘密のスポット。
ところがその日にかぎっては、丸井が自分で育てた大麻草を初めてみんなで吸う、という「大麻記念日」にしようということになった。
--このネーミングに至るまでの話。
6月に遡る。梅雨の湿度と木々の緑の香りが漂う、とある日のこと。この時には、すでに1学期末に「例の公園」で大麻を吸い込むと決めていた。トイレでその日のネーミングを話し合っていた。
今思い出せば、ものすごく下らないのだが…
アホだな、と記憶する思い出の色は、なぜだか鮮明だ。
「俵万智の『サラダ記念日』ってあんじゃん。大麻も野菜に入るからさ、『野菜記念日』ってのもありかと思うんだよね」と丸井。
「俵万智が『野菜記念日』って聞いたらキレるだろ、間違いなくさ。なあ?田口」
「キレるかは分かんないよ。もしかしたらタイトルを『サラダ記念日』から『大麻記念日』に変えるかも。そうなったら教科書に載らなくなるだろうけれど、俵は」
なぜかサラッと「大麻記念日」が出てきた。
即その名前は採用された。
大麻記念日に三人で見上げた空。
夏の熱と多幸感や異世界にいる感覚が、入り混じった、言葉にするにできない状態だった。--あの青春の1ページをめくることは、今となっては、もう難しいのかもしれない。
「なあ、俺たちが大人になるころまでには太陽までのエスカレーターでもできてそうじゃね?」と丸井。
「20年後には円盤に乗れる時代になってるかもよ、なあ田口」
「そんなのも必要がない時代かもね。念じれば目的地に行ける、超能力を駆使できる時代になってんのかも」
この時には、もうシラフだった。三人揃って、ヨレた後シラフで太陽までの行き方について、真面目に未来予想図を語り合っているのは、振り返れば「淡い」ひと時だった。
太陽の陽のもと、友情が太くなってゆく。
将来も親友でいられる。
――青い期待を抱いていた。
【17年後】
結局、未来予想図は外れた。
太陽につながるエスカレーターはない。円盤も、超能力もない。テクノロジーは進化した。それでも人間事態はアナログなままだ。
永遠と思えた友情は壊れていった。--丸井と武田が「ドラッグ」をめぐってモメてしまった。仕入れ値や分配で仲違い。絶縁状態になったまま。
間に挟まれた僕はなにも出来ない状態。なるがまま身を任せた。「どうにかなるだろう」と。
美大に進学した僕はフォトグラファーとして仕事の依頼がじょじょに増えつつあった。固定給のない不安定な仕事だ、悪く言えば。キレイごとを並べるなら「やりがい」はある。
武田は大手商社に勤めている。妻子持ちで安定した、誰もが羨むような生活を送っていた。高校の同窓会で一目置かれる存在だ。実力で入社したと、本人は語る。本当のところはコネクション入社なのに--。父親の働き口と同じ。知っているのは、僕と丸井だけ。
二人でコネ入社を暗黙の了解で隠していた。
僕が大学を卒業したてのころは、仕事もなにもなかった。定職がない。その日暮らしをするのか、と卒業年の一月ごろにため息をついていた。「はぁ」と言い終えて、丸井から電話が入った。
「やべ、俺留年しちゃったよ…」
「マジ?何単位足んないの?」
「70」
「70か。70!?結構残ってんじゃん!」
「留年2か年計画かな…」
内心では「よっしゃー!」と思っていた。丸井の在学期間が延びれば、どうにかしてヤツの学生寮に転がり込める。僕と丸井とでブラントを…と考えたら、絶望が希望になった。
「半分はだすからさ」というと快くOKしてくれた。2年ほど丸井のところに居候していた。途中途中で丸井の女も来ることもあった。この時のカノジョの名前がモモちゃん。丸井とはバイト先の居酒屋で知り合って交際するに至った。
よく三人で遊んだ--お察しの通りブラントを吸い込む日々だった。
キマッたまま「ラ・ラ・ランド」を劇場で観た。三人とも青を基調とした、色鮮やかなビジュアルに感動し、泣いてしまった。
おかしな制度でさ、日本は。
大麻の「使用罪」がなかった--。「所持」はダメ。それなら、と僕らは開き直っていた。所持している分を吸いきれば、罪に問われないなんて、幼稚な考えで大麻を吸っていた。
丸井の寮でガッツリ吸い込んで外に出る。量が多いったらありゃしない。そんな状態で観ていても、映画の内容なんて一切、入ってこない。
当時の僕は、フォトグラファーとして生計を立てると、腹を括り切れていなかった。ダラダラとカメラで何かを撮って、応募しては落選の繰り返し。夜中にアダルトグッズ店にアルバイトとして勤めていた。
夜勤明け。
「ただいま。って丸井、お前寝たままじゃ2限遅れるぞ」
「えええ?」
「授業行かねえの?」
「一回の休みくらい、別に」
そんな調子。また留年するのは、目に見えていた。
僕は僕で、丸井に頼りっぱなしになるのも、どこか情けなく思えていた。丸井には、取っ替え引っ替え、違う女ができて一緒に居るのも申し訳なくなってきもした。
実は僕は当時、モモちゃんとちゃっかり交際していた。フリーターが借りられる物件なんてないもんだから、モモちゃんのところに転がり込んだ。悪く言えば「ヒモ」みたいな生活。
おかげさまで写真を撮る時間が増えたが、僕の生活費も稼ぐという体(てい)でソープランドに勤務していた。僕は一時期--意識してではなく、単に--丸井と連絡していなかった。
その間に商社に勤めている武田とヒビが入ったようだ。
経緯はこう。
武田がバツを注文。〜グラムと指定。丸井は調達ルートを知っているから、そこから仕入れる(誰から買うかは口を割らなかった)。一般相場より、金額を上乗せして武田は丸井に依頼。リスク代ということで多めに出していた。丸井はバツの一部をくすねて武田に渡していた。
双方の言い分。
武田は「上乗せ金額と知りながら…アイツぁコジキ」
丸井は「商社って立場を使って俺をナメてる」
--平行線をたどる一方で、二人は連絡もしなくなった。
正直、どっちもどっち。又聞きしてはいたが、下らなく思えたのでなにも関与しないことにしていた。こちらとて撮影や応募もあるし。専念したい。二人の衝突は「ノイズ」だった。
この頃にはフォトグラファーとして活躍しようと、決意が固まりつつあった。
今思えば、仲を取り繕うのが、優しさだったのかもしれない。違うかもしれない。いつまで経っても分からないし、答えはでない。
ヒビは入っても武田は順調。仕事もうまくいき、25歳で結婚した。丸井はもう大学を中退していた。--もうハードドラッグに手を出し、ジャンキーたちの仲間入りデビューをしていたらしい。ここの記憶は、本人も断片的にしか覚えていないという。
武田の結婚式。
ご祝儀に見合わないくらい豪華だった。曲がりなりにも僕の実家はテーブルマナーにうるさかった。そのおかげなのだろう、マナーはクリアできた。高校の同級生は「え?どうやって食うの、これ?」なんて笑っていた。
丸井は呼ばれなかった。丸井がどこに居るのか、話題にもならなかった。みんな冷淡なわけではなく、武田に気を遣っていた。ここで「その話」を持ち出すとサムい。縁起のいい日くらいは黙っておこうって暗黙の同意。
この年は特に皆がみな、大変な思いをしていた。ウォール街の証券会社を震源地とした、経済危機のあおりを受けていた。友人たちは民間企業に勤める父が大変、と口を揃えていた。僕は勘当されたので親と接点はなかったが。
また、丸井の居場所は不明だった。僕はもちろん、周りの友人すら、皆目見当がつかない。
3年後になって、だ。
ようやく丸井の居場所が分かった。
ドラッグ乱用者向けの更生センターの一人だった。「ハイアーパワー」だとか「12のステップ」だとかを、丸井は勉強していた。時折、僕はそのセンターに顔を出し、そこでの一日が終わった段で、僕と丸井とで食事に行くようになっていった。
「なあ、そんなに寒いか?」店内の冷房は適温なのに、寒そうな姿。相反して汗をかいている。体温調整機能が壊れたのだろう。
「あ、ああ。店員さんに下げてもらえるよう言ってもらえるかな」と、声すら震えていた。
重症なのだと悟った。本人から聞いたこと--。3年間ジャンキー荘にいたこと、アダルトDVD鑑賞用の漫喫にいたこと、司法書士(ナゼ?)を目指し始めたこと、森林浴をしに山にこもっていたこと--どれもが、重症なヤツの特徴。
覚せい剤に溺れると、居られるコミュニティが限定される。性感が異常に敏感になる。シャブがキマッた状態での射精は格別だとか。女性も感度指数が急上昇する。キメセク相手に困ることもなかったとか。
で、司法書士はなかなかヤバい。本当にブッ壊れる二歩手前。ポン中は総じて眠らず、異様に一つのことに集中する。そこから「出来る」と錯覚して司法書士を目指した。もちろん頭に入っていない。
森林浴--。入院か犯罪の一歩手前だ。なぜだか分からないが、シャブ中は発作的に自然界に行こうとする。このステージに突入すると、理由を説明できなくなっている。ワケがわからないのだ。
森林で化学製のヤクブツをしっかりとキメるという矛盾。
丸井と会う機会も徐々に減った。
28歳の時には僕がようやく、プロとしての仕事を獲得できるようになった。生計も立てられるようになった。モモちゃん?ここにいない。ある日消えた。ネオンの闇に吸い込まれたのか、知る由はない。
念のために言っておく。
これは友情の話だ。
29歳になった丸井はとうとう狂ってしまった。
更生施設を抜け出し、ふたたび乱用。「どこそこの誰かが丸井のウワサをしている」「武田が殺しにくる」と、あり得ない妄想に取り憑かれてしまった。
で、本人はナイフを持って「どこそこの誰か」を探しだろうとしたとか。幻想世界にしかいないのに…と。
結果、逮捕だ。「良かった」とこぼしたそう。お手本のようなジャンキーだ。捕まって「良かった」と言ってしまうのはかなり重症な証拠。もう入院しかない。
***
逮捕された日に丸井は精神病院に緊急入院した。2年はそこで過ごしていた。仕事の合間を縫ってはお見舞いに行った--端的に廃人しかいない。
換気をしようと、喫煙所に行った。
「なあ、どこで俺は狂ったんだろう…シャブで家族にも見捨てられて。バツで武田ともモメるし」
「どうでもいいだろ、そんなの。早く抜け出せよ」
「出たらどうしよう。クサ合法化のために司法書士になろうかな」
「お前大学ん時も同じこと言ってたぞ」
「いや、一貫したテーマなんだよ。法制度がおかしい。それにクサが合法なら俺はケミに走っていなかったと思うな」
「ケミはやったことないけれどキマリがね。『無理やり』って感じがするから持っていかれそうで怖かったな」
「そうそう。武田だ。アイツはバツを仕込みながら仕事をすると頭が冴えるって。人によるのかな。パーティドラッグなのに。総合商社なんてストレス溜まりそうだし」
「その話はやめよう。タバコがまずくなる」と言い、僕は持ってきたカメラで丸井を撮影した。
それが彼の遺影になると1ミリも思っていなかった。
丸井は30歳で肝炎と診断された。回し打ちをしたがゆえになってしまう。ポン中はロシアンルーレットみたく、肝炎の弾を引いてしまう。丸井がそいつを引くとは…
そこから総合病院に移転。その頃には「シラフ」な丸井になっていた。すべてが下らなく思えたとか。病状は悪化する一方。「死」と隣り合わせな、危篤状態に陥ったところで、僕は丸井の親族とともに死後のことを考えていた。
その日はやってきた。丸井はベッドの上で息を引き取った。僕は撮影の仕事で、病院を離れていた。しかし、いつ「向こう側」にいってもおかしくかったからか、新たな情報が入ることに、非常に敏だった。
仕事中、お母様から連絡が入った。
「とうとう…」
「今行きます」とモデル撮影の仕事を当日に断らせてもらうよう、伝えてから病院に向かった。事情を話したら、モデルさんに事務所は一週間空けてくれた。ラッキーだ。
--気にしないでね。ツラかったらいつでも言ってね。こういう経験あるのよね、わたし
そういうことか。
葬儀は執り行われた。僕は家族でもないのに手配も進めていた。高校の同級生の連絡先を引っ張り出し、片っ端から電話をした。仲良かった友人の9.9割は参加した。
丸井がジャンキーだったことは割と知られていた。「来るべくして来た」最期とみていたのだろう。とはいえ、悲しみは悲しみ。皆が泣きながら思い出を話していた。
--夜中に突然電話が来た
--共通知人がジャンキー荘にいた
--武田にバツを高値で吹っかけた(厳密には違う)
--ネタ欲しさに金の無心をしてきた
等々。
丸井の名誉のために、ヤク中なのは黙っていたが、意味がなかったってわけか。悪いウワサは、即座に拡散されるのだろう。ましてや伝言ゲームで丸井は武田との衝突の火種になっている。
葬儀に来なかった残りの、0.1割は武田。いくら仲違いしたといっても死に際しても、距離を置くのは、人間として卑劣極まりないと、僕は憤りに満ちていた。怒りと悲しみしか残らない。この時の妻は、丸井の姉だった。色いろと協力する過程で、互いに好意をもった。
日数が経過し、丸井の死は風化していった。僕はやるせなく、打ちひしがれる時があった。「そんなもんなのか」と、人の命が軽視されている気がし、卑しさを垣間見た気がした。つまりは割り切れる大人になれていなかったのだ。
成熟しきれていない僕はある日、仕事帰りの武田にバッタリ遭遇した。武田は「よう」と。続けて、
「今年収いくらだ?」
限界だった。思い切り顔面を殴った。いてぇな…と言いながらも反撃してこない。自分の非を認めたのだろう。
込み上げた怒りを発散した。
空からは雨が。雨は死者の涙と誰かが言っていた。
泣いているのは丸井なのだろうか?
武田と僕の衝突を悲しんでいるのだろうか?
答えを確かめに、仕事の合間に丸井の墓に向かった。
(終)
【最後に】
このフィクションは私体験を基に、脚色をし想像を膨らませて書き上げました。実際、覚せい剤を覚えた友人がいます。段々と「ハード」な、いわゆる化学物質を覚せい剤以外にも乱用するようになりました。
危ないものに走ってほしくない--。この思いも込めてあります。のちに払った失敗の代償は、あまりにも大きすぎました。
カンの鋭い方は、見当がつくかもしれませんが、覚せい剤以外のハードな物質の副作用を挙げていくと、▼筋肉痛▼動悸▼意識障害などです。
いわゆる「クリーン」(何も接種していない状態)な時によく遊ぶ相手でした。よく口にしていたのが「シャブ(覚せい剤)は本当に後悔している。家族にもたくさん迷惑をかけた」--「(合法のもとで)大麻に始まり大麻に終わるのが理想的なんだよね」
友人がそのようなことを言ったのが、皮肉なことに、アメリカ合衆国で大麻合法化の動きが加速し、実現した年のことです。違法行為のなかの非行は奇行--。僕はそのように解釈します。
そうなる前に、止めてあげるのが、友情であり思いやりでもある、と締めくくります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
(了)