第169回芥川賞候補作 私的感想『ハンチバック』
市川沙央さんのハンチバックはなんと言っても「最後が」の問題でしょう。
この物語は冒頭で主人公が風俗ライターとしてWordPressに文章を書いているところから始まる。
なのでタグの命令文が出てくる。
それに対して最後の部分にはそれがない。
だから作者の書いている文章ではないような気がしてくるけれど、冒頭で書いているのはWordPressに書いているものだからタグの命令文があるけれど
普通の小説だったらいらないわけで、私はあれは釈華の書いたい小説なんだと感じた。
田中さんとの事があって、熱が出て入院して釈華はかなり体力が落ちた。
それで疲れたんだろうね、今まではあまり見なかったテレビを見ようとするんだよね最後の方のシーンで。
だけどテレビは故障してた。
直してまでテレビを見る選択を多分、釈華は取らなかったんだと思う。
結局、リハビリがてら書き始めたのが田中さんの妹を思わせる女性が実は釈華の今までの事を小説として書いてたんじゃないか?と思わせる最後の部分だったと思うんだよね。
私個人としては、初読みの時にそう読んだから何の引っ掛かりモノなく、ああ面白かった。
で、この作品を読み終えた。
けれど選評やネットでの感想を見て、「最後が」というのをいくつも見かけて
それってもしかして、この小説は風俗嬢の紗花が描いた釈華の物語だったという夢オチみたいな終わりだったという事なの?え?そうなのと焦った。
紗花って釈華のアカウント名だったから私はすんなり釈華の書いた小説だって思っちゃったんだけど、そういう見方が多いんだ、ドキドキ、とね。
けれどさ、その辺り読み返してみると夢オチ系ではなく、やっぱり釈華が存在する物語なんじゃないかなって私は思えたんだよね。どっちが正しいとかじゃなくてさ。
そしてこの小説ではその部分だけではなく、私がとても影響を受けたのは「電子書籍」に関する部分だ。
釈華が紙の本を憎んですらいるような部分がチラホラ出てくる。
世の中では「やっぱり紙の本が」というのを定期的に見聞きするから、私としてはこの表現が爽快ですらあった。
電子書籍って良いものなんだよ、紙の本より楽なんだよというのを思い出させてくれた。
そしてねこの小説、設定や内容が衝撃的と言われるようなものだから見過ごされガチだと思うんだけど
ところどころに「純文学的表現」がいくつかあって
私はそれもこの小説の好きなところです。
会社員とか主婦とかになれない私は、40を過ぎても大学生の3文字にお金を払ってしがみついていた。
の部分、ある意味マイナーあるあるだと感じた。
(私は純文学ってマイナーあるあるがある小説だと考えている)
障害があってそのカテゴリーになれない人だけじゃなく引きこもりの人だってそういう人いるかもしれないしね。私は会社員だけど、何か分かるって思ってこの部分を見過ごせなかった。
という感じで私はこの小説とても面白かったと思うし、いい小説だったなとかんじた。