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ドラマ「海のはじまり」を観て⑤。海ちゃんに届けられる「いるよ」。こどもに本当に必要なこと。

ついに最終回でしたね。
ついに、観ましたよ…!

リアルタイムは間に合わず(寝かしつけ)
とうとうTVer入れちゃったよ…!



どの登場人物も愛らしいというか
その人なりの今を生きていて
だからこそ「あの人、どうしてるかな…」みたいに
何年後かの姿も見てみたかったけど

まぁ、そうだよね
それは出てこないよね(笑)

みんなが「はじまった」ドラマだもの
その先は「こうですよ」って
示す必要はないんだよね。

はじまったから、大丈夫だし
ちゃんとすすんでいくんだ。
その先は、私たちが感じていけばいい。



というわけで、最終回。
今回は「感想の感想」ではなく
本当の感想を書きたいと思います…!

(他の方々の感想を読むのも楽しみです…!)
(もともと感想読むのがメインの楽しみです)




↓ これまでの感想の感想



最終回、ふたつ書きたいことがあって…
どっち先書こう。

んー、どうしよ
んー…よし。

本当はトリにしたかった方
先に書いちゃいます。

みんなが最終回を観て
まだその余韻が残っているうちは
きっとこっちがいい。



このドラマ、最後のセリフが

「いるよ」

なんです。



もうこれがすべてを物語っているようで
この物語で起きたすべての問題を
この一言ですくいあげられるようで

見事だなぁ、たまらないなぁと。



こどもはさ「いるよ」があれば
大丈夫なんだよね。



親の責任が、とか
あの時どうすれば、とか
誰がどうすべき、とか

海ちゃんを取り巻く人たちが
「どうあるべきか」が書かれた感想を
たくさん見てきたし

私も「こうなってほしい」
「こうなればいいのに」という思いがありました。



でも、極論、どうなっても大丈夫なんだよね。
この「いるよ」さえあれば。

どこに住んでも、誰と住んでも。
誰が育てても。



水季のように、後ろをついていく子育てをしていたら
見事に後ろ姿の写真ばかり…



これは保育士になる勉強をする時に
必ず出てくることなのですが…

こどもは赤ちゃんの時
泣いて大人を呼んで
抱っこで「いるよ」を感じるの

少し大きくなってくると
おててをつなぐことで
「いるよ」を感じるようになったり

目が合うこと、見ててくれることで
「いるよ」を感じるようになる。

形を変えながらだけど
「いるよ」を感じることで
こどもは「大丈夫」を感じる。
安心して、大きくなっていけるの。



それでね、この「いるよ」
別にお母さんである必要はないの。

一番近い人がお母さんである確率が高いだけで
別にお父さんでもいいし
おじいちゃん、おばあちゃんでもいい。
地域の人でもいいし、先生だっていい。
なんなら何のつながりもない人だっていいの。



だからね、海ちゃんに「いるよ」を言うのは

夏くんでもいいし
朱音さん、翔平さんでもいい。
津野くんでも、弥生さんでも
大和くんでも、月岡さんちでもいい。



最終回見ていると
みんなこれからも「いるよ」を届けたいと思ってる。

思ってるだけじゃなくて
本当に届けに来る人たち。

関係性の名前なんて関係ない。
海ちゃんに「いるよ」が届くこと
もうそれだけでいいんだよね。



そしてね、水季の手紙にあったように
これまでも、アパートの管理人さんとか
担任の先生とか、図書館の人たちとか
たくさんの人たちが
海ちゃんに「いるよ」を届けてきてくれた。

お引っ越しして、なかなか会えないかもしれないけど
きっとこれからだって
「いるよ」を届けたい人たちがいる。



「いるよ」を届ける人は、いればいるほどいい。

私には最後の夏の言う「いるよ」は
夏だけの「いるよ」に思えなかった。

海ちゃんをとりまく
たくさんの大人たちの声が重なって
「いるよ」と聞こえた気がして。

みんなからのアンサーな気がして。



「いるよ」とついていく子育ては
そのままのその子が育っていって
とても楽しいよ☺︎



そしてこの「いるよ」
もう少し続きがあるんです。

抱っこから手をつなぐへ
そして見ていることで「いるよ」を感じる

この変化って「距離」なんです。



肌が触れて感じていた頃から大きくなるにつれて
少しずつ「いるよ」を確かめる距離が伸びていく。

もっと大きくなると「心に思うこと」で
「いるよ」を感じられるようになるんだよ。



小学生が学校にいる間
ママと離れていてもママを思えば頑張れたり

実家を離れて上京した時に
故郷を思うとあたたかい気持ちになったり

そういうのも、そう。



つないでいた手を見えないひもに持ち替えて
少しずつ長さを伸ばしていくように
たまにちょんちょんって引っ張って
相手の存在を確かめてみたり

そうやって、「いるよ」の距離を伸ばしてく。



そしてこの距離は「いるよ」を越えるの。

「いなくなっても」「いるよ」



あぁ、いろいろ説明書こうかと思ったけど
この一言でもういいよね。

「いなくなっても」「いるよ」

それは本当のことなんだよ。



ただ、距離が伸びただけ。
こっちの世界と、あっちの世界にまで
伸びただけ。

ただ、それだけなんだよ。



だから水季の「いるよ」は、なくなりはしないんだ。



最終回だけだったけど
観ることができて、よかったな。

noteで感想を書いて
私にこのドラマを届けてくださった方々に
本当に感謝です。

そして、こんなにいっぱい
溢れるように感じ取れるドラマがあるなんて。
作ってくださった方々にも感謝。

またこんな素敵な物語に出会えるといいな。



*ホントはここできれいに終わりたい…!
 でもあとひとつ、つづきます


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