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徳之島移住への軌跡

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徳之島への移住までの体験記を記録しています。
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#移住

移住・出発の日

2019年5月31日、とうとう徳之島へ移住するための出発。

まずは東京から鹿児島まで飛行機で向かいます。

鹿児島までの飛行機なんて、旅行ならどうってことないけど、「移住」となるともう東京に戻ってこれないんじゃないかという錯覚。とても感傷的な旅路となりました。

鹿児島空港に着いてからは、市内にバス移動して、フェリー乗り場へ向かいます。徳之島にも、鹿児島から飛行機は飛んでいるのですが、「距離」を

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移住直前、別れ。

移住を直前に控えた最後の一か月は、とても忙しいものでした。肉体的にも、精神的にも。

このころは、お世話になった友人知人たちが、島へ送り出すために送別会をしてくれました。それほど友人の多くない自分でも、毎日のように会が行われました。やっぱりいつでも会えると思うとなかなか会わなくても、簡単に会えなくなると思うと会おうってなるんですね。送別会は、少人数でじっくりと。そのたびに懐かしさと寂しさが入り混じ

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手配手配手配

移住のための準備はいろいろ忙しくやることがあるのですが、、、

謎にヨーロッパ旅行をぶち込んだので、しかも「すべて個人手配の3か国14日間」ということで、旅行手配が大変でした。チケット、チケット、ホテル、チケット、、、これは機会があれば触れますが、ヨーロッパいってよかった。いい思い出になった。

さてさて帰国後に、家財処分をするのですが、何故なら引っ越しでまともに持っていくと、離島までの運賃がはん

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考えてわからないならやってみる

2019年になり、最適解は見つからないけれど、できることから行動することにしました。

目標としては2019年の5月ぐらいに移住する。そのため、仕事を辞めて、親との時間を長く持てるようにする。

葛藤してきた過程の中で、仕事時間が無駄だという結論は出ていました。もちろん生活があり、給料でご飯食べて家賃払っているのですが。それよりも大事なものがあるので、大事なものを優先するために退職することにしまし

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葛藤、自分の想いと親のこと

島での素晴らしい日々を終えて、また東京の日常。それにしても、東京から行く島はキラキラと美しい。コントラストなんだろう。

このころにはいよいよ歩けなくなってきた父のために介護ベッドをいれた。介護ベッド入れるスペース作るにも一苦労。介護サービスの方々には頭が下がるが、それでも家族がやらなきゃいけないことも多い。

ぼくたち夫婦は、父や母との時間を取りながら、移住についても話し合いを重ねた。

夫婦の

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考えもしなかったを実践されていた

2018年の夏、またしても島に渡ることに。

毎日に仕事に疑問を感じ、親のことに心を割いて、それでも島には行きたいという目標をもって動いていました。

台風の影響で奄美大島一泊することになり、奄美大島のすばらしさの片鱗にも触れました。徳之島より全然おしゃれなお店があって笑

田中一村の美術館は素晴らしかったな。島の風景とアートって成立するんだと刺激ももらいました。

さて、徳之島に渡ってからは、先

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ジレンマ

日常は仕事と介護サポートに追われるようになっていた。

職場では、典型的な「人に厳しく自分に甘い」上司の元、ぼくも他メンバーも士気が下がっていった。理不尽な毎日に「人生ってこんなんだっけ?」と疑問を持つようになった。この理不尽さや酷さは、その環境にいた者しかわからないので具体的にはやめておきます。

後日談だけど、ぼくと他メンバーそれぞれの背中を上司が押してくれたのだと解釈しています。こんな場所に

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できるときに、やるべき。

島から帰って、日常に戻る。職場は出向先から復帰できることになり、一安心。しかし、戻る先は悪名高い営業所だった。なかなかうまくいかないもんだ。

人を大切にしない環境での毎日、そして父の病状の進み具合を見ていて、自分の中で価値観が変化してきた。というか、気づいたという感覚かもしれない。

人生を惰性で過ごしてはいけない。今は今しかない。やれるときにやらないと、やれなくなったときに後悔する。

今、持

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島のおじいちゃんは101歳

島に住む嫁のおじいちゃんは、御年101歳のご長寿だ。つい最近までバイクにまたがり畑にいって農作業をしていたというから驚きだ。さすが徳之島。長寿・子宝の島と言われることだけはある。

長寿の島:伊仙町出身の泉重千代翁と本郷かまとおばあは、ギネス記録を持っていた世界長寿だ。

子宝の島:徳之島は出生率2.81という日本一の数字を誇る伊仙町があり、ほかの天城町、徳之島町もそれに次ぐ出生率を誇っている。

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これぞ島の結婚式

これぞ島の結婚式

義弟の結婚式に参加することとなり、「島の結婚式」はどんなものなのかワクワクしていた。

ぼくが知っている東京の結婚式は、きれいなホテルで決められたフォーマットで行うことが多い。1日に何組も代わる代わる挙式していく流れ作業にも疑問があった。そもそもコストが高すぎやあしないかい。若い夫婦の門出を祝うのに、かように過大な出費を被らせるのは本末転倒だ(何目線かわからなくなってきた)。

島の話に戻ります。

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発信し続ければ変わる世界

発信し続ければ変わる世界

先輩移住者に会いに行く2月、徳之島にいる義弟の結婚式に参加するため、再び島へ渡ることになっていた。

初めての冬の徳之島、初めての島の結婚式。この頃は島に行くことだけが楽しみで。せっかく行くのだからと、島に住む人たちに会えないかと、インスタグラムを使って発信した。

「また島に行きます。おひまでしたら、島の暮らし、もしくは雑談でもいいので聞かせてください。島に知り合いが増えたら嬉しいです。」

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島暮らし体験で触れた優しい気持ち。そして、思い出のセルフウェディングフォト。

島暮らし体験で触れた優しい気持ち。そして、思い出のセルフウェディングフォト。

夏休みは一軒家を借りて島暮らし2017年の夏、初めて徳之島に行ってから、ちょうど1年が経っていた。この頃は、夫婦すれ違いの毎日と、新しい環境での内向きな働き方に疑問を持つようになっていた。そして、以前に感じた島の空気、時間の流れに強く惹かれるようになっていた。本来あるべき暮らしがそこにあるような気がして。

二週間の夏休みを、徳之島で一軒家を借りて移住体験することにした。古民家を改修した「あむとぅ

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気付けなかった、思い立ったが最良の時ということ。

気付けなかった、思い立ったが最良の時ということ。

初の徳之島から東京に戻ってからは、入籍日をいつにするか、結婚式はどうするかを考えながら、日々過ごしていました。

時には富士山に登ることで共に試練を乗り越え、夫婦としてやっていくためのキズナづくりをしました。ちなみに台風が来てる最中に登頂し、山頂は暴風、雷で、他の外国人の登山者達と励まし合い、お互いを鼓舞しながら下山したという、無謀な登山でした。

そんな折に、ぼくの父が肩を骨折してしまいました。

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