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全ての現代文学は翻訳である
文学が何か新しい美学とか価値観とかそういった幻想、とハッキリ言っていいと思うが、を与えていたのはとうの昔で、今の文学ってのは流行のタームを文学に落とし込んだ物でしかなくて、その文学も特段新しいものでもなくて、まぁ言って見れば十九世紀から綿々と続く近代文学の延長線にあるものでしかない。
まぁ、二十世紀の前半から中盤にかけていろんな作家が数々の先鋭的な試みを行い、注目すべき作品も生まれたが、そもそも文学というのは音楽や美術と違い所詮は既製の言葉の寄せ集め的なものでしかないので、どんなに破格な作品でも真にオリジナルなものなど何もありはしないのである。まぁそんなこんなで前衛も飽きられて作家たちも普通に伝統的な小説を書くようになったのだが、それと同時に文学というものの自立性も揺らいできたように思える。
冒頭にも書いたように今の作家は某有名文学賞の受賞作のほとんどがそうであるように、伝統的な小説のスタイルに流行の風俗や思潮を取り入れてようやく現代性を確保しているようなものが殆どだ。しかしそれらのものを知るのだったら、わざわざ小説なんていうお話なんか読まなくても、直接それらのものに当たればいいのではないかと思う。
しかし文学というものがもう発展の見込みがなく、またAIでも書ける程度にまでになってしまったこの現代で生き残るには、とりあえず時事的なテーマを取り上げてそこに何か偉大なものがそこに描かれているようなものを装っていくしかないのであろう。
要は現代の文学とは過去の文学の翻訳である。昔の海外の文学の翻訳が古びたので現代の言葉で訳し直した新訳がでるように、文学もまた昔ながらのテーマを時事的な問題などを使ってアップデートしているに過ぎないのである。