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文学と詐欺

 文学も詐欺も言葉を駆使したものである点で同じである。スウィフトもデフォーも小説をさも実際に自分が体験した出来事のように書いている。十九世紀まで小説は実録とフィクションの境界はあいまいで作者の体験記と称した嘘八百の出鱈目話を本当の話だと信じ込む読者は数多くいたのだ。そもそも文学とは一種の詐欺行為であり、ありもしない理想や真実という出鱈目を言葉を駆使して語って人を騙すものでしかない。詐欺と違うのはただ実際に大した被害を与えないという点だけだ。文学の被害なんてよほどの宗教がかったバカでなければせいぜい書籍代ぐらいのものでしかない。

 文学も詐欺も結局のところどこかの物語かありがちな体験談からの拝借である。人の想像力など貧しいもので彼らは自分が経験した、あるいは誰かから教えられたものだけでできている。それらのものから外れた出来事を聞かされると人は出鱈目だと判断しまともに取り合わないのだ。文学も詐欺もその人々の貧しい想像力に訴えることで成り立っている。文学はより高尚に語り、詐欺はそれを低俗な形で語る。だがどちらもそれをいかにも真実めいたように語るのだ。相手にそれを真実だと信じ込ませるために。

 ここに天才詐欺師と呼ばれる男がいた。彼は詐欺のために言葉を厳選し時にはシェイクスピアとなり、時にはジャン・ジュネとなって詐欺行為を働いていた。彼は言葉の力で今まで億を超える金をゲットしていた。その時に豊穣で時にシンプルに使い分けた言葉の正確さ。その詐欺文句を詩を音楽の調べに乗せて歌うような感じで囁く声に相手は簡単に騙され小切手の頭数字の後に無限のゼロを書かせてしまうのだった。

 だが彼は最近言葉が出なくなってしまった。長年の詐欺行為で完全に言葉を使い切ってしまったのだ。彼の頭の中にはもうかび臭くなった言葉しか浮かんでこなくなってしまった。今更こんな言葉を使っても誰も騙せない。そんな古い詐欺には騙されないって警察に通報されてしまう。泣きの演技だって今はシェイクスピアやチェーホフの時代じゃないのよとバカにされてしまうだろう。どうしたら俺はまた詐欺を働くことが出来るんだ。このSNSやAIの時代にふさわしい詐欺言語をどうやって生み出したらいいんだ。

 詐欺師は考えに考えたが結局何一つ詐欺言語を発案できなかった。やはり俺も潮時か、詐欺なんかやめてサギのウォッチングでもするしかないのかと引退さえ思ったが、しかし詐欺師はそこで思いとどまった。このまま詐欺師をやめていいのか?一生詐欺師として生きていくって決めたじゃないか。まだいけるはずだ。言葉がダメだったら、声がダメだったら、この体全体で詐欺をやるんだよ!

 それから数日後詐欺師は騙そうとしている女の前で泣きながら身を震わせていた。

「俺には金も言葉も使い果たした。だけど……だけど」

 女はこの詐欺師の切羽詰まった表情を見て号泣した。

「お金だったらいくらでもあげるわ!それであなたが救わるなら!ねえ私の所に来ない?私があなたの面倒を見てあげるから!」

 これを聞いて詐欺師は涙で濡れた小切手を差し出して言った。

「わかったよ。じゃあその前にこの小切手に金額とサインしてくれ。今の言葉を使い果たした俺にはこれしか言えないよ」

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