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クラシックはフォルテシモに聴け! 〜カリスマ指揮者大振拓人の超過激クラシック案内 最後まで毎日更新します!ベルリオーズ追加しました。

 現在日本で一番注目されている指揮者大振拓人。あらゆる名曲をフォルテシモに聴かせる華麗なる指揮は観客を魅了してやみません。今回はその大振拓人がバッハから二十世紀までのクラシックを語りつくします。題して『クラシックはフォルテシモに聴け!』です。皆さんご準備はいいですか?我らがマエストロは最初から飛ばしますよ!最初は音楽の父であるバッハです。

※この記事の作曲家評はすべてカリスマ指揮者大振拓人氏の意見であって筆者の考えは一ミリも反映していません。ですので特定の作曲家へのあまりにも酷いディスに対する抗議は直接大振氏にしてください。

J.S.バッハ

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(独: Johann Sebastian Bach, 1685年3月31日(ユリウス暦1685年3月21日)- 1750年7月28日)は、ドイツの作曲家・オルガニスト

 間違いなく偉大なる作曲家。後の作曲家に与えた影響は計り知れない。モーツアルトやベートーヴェンがどれほどバッハから影響を受けたか。彼らのような偉大な作曲家でもバッハがいなかったらあれほどの名曲が書けたか。それを考えるとバッハなきクラシックなど考えられない。だがなんとそのバッハは死んでから百年近く世間から忘れ去られていたのだ。僕はバッハをバロック時代のロマン主義者だと思っている。彼の数々のオルガン曲や宗教曲はロマン主義なき時代のロマンを求めるフォルテシモな祈りだ。当時の西洋音楽の主流はバロック音楽であり、僕らにとって馴染み深いクラシック音楽はまだ生まれてさえいなかったが、バッハはロマンもクラシックもなき時代でひたすら神という超越したものを求めて曲を作り続けた。彼の己が熱情を押し殺した神への祈りとも言うべき曲にはフォルテシモなまでに熱いロマンが隠されている。先に書いたようにバッハは没後長い間忘れられた存在であったが、ロマン主義全盛時代にメンデルスゾーンによって見事復活を遂げた。メンデルスゾーンきっとバッハの中に己と同じロマンの血を感じたに違いない。僕はバッハの曲に深く感動しながらも、彼がロマン派の時代に生まれたらもっと素晴らしい曲が書けたのにと歯痒くなるのを禁じ得ない。もしバッハがロマン派の時代に生まれたらきっとベートーヴェンを遥かに超えるフォルテシモな交響曲を次から次へと生み出したに違いない。

代表曲『トッカータとフーガ』『G線上のアリア』『ブランデンブルク協奏曲』『フーガの技法』『マタイ受難曲』『ヨハネ受難曲』他多数。

G.F.ヘンデル

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル1685年2月23日 - 1759年4月14日)は、ドイツ出身で、イタリアで成功した後にイギリスで長年活躍し、イギリスに帰化した作曲家

 このヘンデルという奴は男のくせに何故か音楽の母と言われている。この男はあの偉大なる同時代人バッハと並べられているが全くとんでもない話である。僕はバロック時代に一流作曲家と呼べる人間はバッハしかいないと考えている。勿論ヘンデルは三流の駄曲しか書けない作曲家ではないが決して一流ではない。しかし彼にはバッハほどではないが十分な才能があった。もしヘンデルがバッハのように己がすべてを音楽に捧げたとしたら彼はバッハと並ぶ真の一流作曲家になれたかもしれない。しかしヘンデルはあまりに不真面目すぎた。芸術を追求するよりも目の前の金に転んでしまったのだ。ヘンデルを音楽の母というのは改めて考えてみるとなかなかいい得て妙な言葉である。彼は母は母でも自堕落な育児放棄の母なのだ。きっと音楽の父のバッハと結婚してもこの自堕落女は厳粛なバッハと性格が合わず子供を捨てて家を飛び出していただろう。ヘンデルの曲はBGMとしてはかなりのものだが、芸術と呼ぶにはフォルテシモが少なく、ゆえに二流の代物にすぎない。

代表曲『水上の音楽』『王宮の花火の音楽』『合奏協奏曲』『メサイア』『サムソン』他多数。

A.L.ヴィヴァルディ

アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日 - 1741年7月28日)は、現在はイタリアに属するヴェネツィア出身のバロック音楽後期の作曲家。

 作曲家ストラヴィンスキーはヴィヴァルディを同じ曲を四百曲作っただけと嘲笑していたらしい。僕は身の程知らずにも程があると腹が立つが、冷静に考えれば確かにそうかとも思えてくる。たしかに彼の曲はみなどこか似ている。しかしである。僕は彼の曲にバッハにないフォルテシモなロマンチズムを感じるのだ。きっとそれは彼がドイツという北方の厳格な土地ではなく、イタリアという開放的な太陽の降り注ぐ土地で生まれたからだろう。僕は彼の代表曲の『四季』をフルオーケストラで演奏したことがある。演奏している間僕は何度もフォルテシモな恍惚を覚えた。特に夏の第三楽章のあのすべてをなぎ倒すブレストは僕をフォルテシモな風で吹き飛ばしてしまった。確かにヴィヴァルディもヘンデルと同じく二流の作曲家だ。だが僕はヘンデルなんかよりずっと彼の事がよほど好きだ。

代表曲『四季』『調和の霊感』『和声と創意の試み』

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732年3月31日 - 1809年5月31日)は、現在のオーストリア出身の音楽家であり、古典派を代表する作曲家。

 絵にかいたような凡庸な男である。しかしこのハイドンという男は音楽のルールブックを書くことにだけは長けており、その点であの天才モーツァルトを苦しめた極悪人で凡庸極まりない人間のクズのサリエリよりも遥かに勝る。また彼は善人であり、自分よりもはるかに天才であるモーツァルトを認め崇め称えていた。彼が音楽家として評価される点はただクラシックという音楽のルールブックを作った事だけだが、このルールブックがなくてはモーツァルトもベートーヴェンも今のような傑作を残させなかっただろう。彼がクラシックのルールブックを作り、そのルールに従って後代の作曲家が曲を書かなければ我々は今もバロック時代のバッハやヘンデルと同じ曲を聴いていただろう。彼がクラシックの真の生みの親である。たとえその曲がフォルテシモが少しも感じられないつまらない曲でもそれなくしてモーツァルトもベートーヴェンも生まれなかったのだ。

代表曲『交響曲第94番 ト長調『驚愕』』『交響曲第100番 ト長調『軍隊』』『交響曲第101番 ニ長調『時計』』『弦楽四重奏曲』『天地創造』他多数。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(独: Wolfgang Amadeus Mozart )、1756年1月27日 - 1791年12月5日)は、主に現在のオーストリアを活動拠点とした音楽家。

 天才の中の天才である。この天才の大振拓人が唯一歯が立たない作曲家である。僕がモーツァルトに対しては偉そうに評するなんてとんでもない。ただ彼の偉大さを延々と称える事しかできない。彼は本当に人間であったのか。もしかしたら神が遣わした天使ではなかったか。この地上に降りた天使の一生は悲劇と言ってよい。彼の天才は呪わしいものとして忌み嫌われ、そしてついにはボロカスのように墓場に捨てられた。ああ!モーツァルトの悲劇を思う度に僕はとっくに地獄落ちしたサリエリをさらなる地獄に突き落としたい衝動に駆られる。この凡庸な極悪人のクズ作曲家は身の程知らずにもモーツァルトの才能に嫉妬し彼を死ぬまでいぢめぬいた。僕は死ぬまでサリエリを許さないだろう。この男はモーツァルトをいぢめることで地上から天使の音楽を奪ったのだから。モーツァルトの曲は天使の曲であるから我々のような地上の人間には解読などできるはずがない。一聴して曲が単純に思えるのはそれは曲の外側しか聴いていないからだ。中身をのぞくとそこには人知では理解できない茫漠とした空間が広がっている。僕はモーツァルトを理解しようと木星を研究したし、彼の疾走する悲しみを理解しようと大学の陸上部で短距離を習った。だけどいくら努力しても彼の羽の先さえ見えない。きっと今頃モーツァルトは天空から地上で自分を必死に解読しようとしている僕を眺めてあざ笑っているだろう。

代表曲『交響曲第四十番』『交響曲第四十一番『ジュピター』』『アイネクライネナハトムジーク』『ピアノ協奏曲第二十番』『レクイエム』『ドン・ジョヴァンニ』『フィガロの結婚』等他多数。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、1770年12月16日頃~ 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家、ピアニスト。音楽史において極めて重要な作曲家の一人であり、「楽聖」とも呼ばれる

 僕は師というものを一度も持ったことはないが、それでもあえて師と呼べる人間を探すとすればそれはベートーヴェンをおいて他にない。僕は幼いころよりずっと彼の交響曲に夢中になり彼を心の師として慕っていたが、成長するにしたがって彼の存在が倒すべき巨大な壁だと思うようになった。確かにベートーヴェンは素晴らしい。まさに楽聖と呼ばれるにふさわしい音楽を書いている。だが僕はいつまでもその音楽に囚われたままでいたら自分は音楽家として成長できないのではないかと考えるようになった。それから僕はベートーヴェンを敬愛の対象から倒すべき敵だと思うようになったのだが、それは弟子が師を乗り越える過程そのままだ。ベートーヴェン自身が師匠のハイドンを乗り越えたように僕も彼をリングに沈めて勝利宣言をするつもりであった。だが僕はいまだにベートーヴェンを乗り越えられない。今僕が彼に出来ることはそのモジャモジャの髪の毛を引っ張ることぐらいだ。前置きが長くなったが本題に入ろう。人はベートーヴェンはロマン派ではなくて古典派の作曲家だという。だが僕はそんな意見には与しない。はっきりというがベートーヴェンこそロマン派の真なる始祖なのだ。彼は確かにモーツァルトほどの才能はない。あの天使ほど無邪気に曲と戯れることはできない。モーツァルトが天使なら彼は地上の王だ。王ではあるが我々と同じ人間だ。だが彼は王として新たな時代を切り開くための勇気があった。彼はハイドンが作り上げたクラシックのルールブックにロマンとフォルテシモを融合させ全く新しい芸術を作り上げた。これはあの天使モーツァルトにさえ成し遂げられなかったことだ。その交響曲やソナタはハイドンやモーツァルトとは比べ物にならないほど巨大なものになった。僕はベートーヴェンの登場によって初めて正々堂々とフォルテシモできる曲が生まれたのだと思っている。僕は彼の運命で初めてフォルテシモしたあの演奏会を今もはっきりと覚えている。指揮をしている最中僕はベートーヴェンが何度も早くフォルテシモしろと言っているのを聞いたのだ。恐らく彼も生前耳が聞こえない中音の感触を確かめるために必死でフォルテシモしていたのだろう。そのフォルテシモをしろと僕に迫って来たのだ。僕は彼に言われるがままにフォルテシモと絶叫した。そのベートーヴェンがフォルテシモに切り開いた道をシューベルトやそれ以降のロマン派の作曲家が続いて行ったのだ。

代表曲『交響曲第五番『運命』』『交響曲第九番『合唱』』『交響曲第三番『英雄』』『交響曲第六番『田園』』『ピアノソナタ 第14番 『月光』』『クロイツェルソナタ』他多数。

フランツ・シューベルト

フランツ・ペーター・シューベルト(ドイツ語: Franz Peter Schubert 1797年1月31日 - 1828年11月19日)初期ロマン派の作曲家。

 シューベルトの事を思い浮かべると僕はどうしてもモリエールの喜劇『いやいやながら医者にされ』のタイトルを連想してしまう。想像の赴くままに歌曲を次々と書きながら、一方でベートーヴェンに続かんと交響曲やピアノソナタ等膨大な楽曲を書いていた。だがそれらの殆どは発表される死ぬまで引き出しの中にしまってあったという。シューベルトはベートーヴェンが死んでまもなくチフスにより若くして亡くなった。もし彼が死なずに引き出しの中の膨大な楽曲を出版することができたら恐らく彼はベートーヴェンの後継者として大作曲家と世間にもてはやされたであろう。しかしそれは彼が本当に望んでいたことなのか。シューベルトは勿論ベートーヴェンを深く尊敬していたが、同時にベートーヴェンの存在を疎ましいものに感じていた。彼は常日頃ベートーヴェンがもたらした悪影響について語っていたそうだ。シューベルトが真に敬愛したのはモーツァルトであったという。この事実は彼の歌曲を聴けば即座にわかることであろう。そのメロディはモーツァルト直伝の天使メロディーだ。だが時代はすでにベートーヴェンのものであったのが彼の不幸だった。シューベルトは次代の作曲家として成功するためにいやいやながらベートーヴェンの王太子になったのである。彼は己の中のモーツァルトを歌曲に封じ込め、ベートーヴェンの後継者として交響曲やピアノソナタを書き続けた。僕はシューベルトの生き様にロマン派がいかにモーツァルトを求めていたのかを痛切に感じる。決して届かぬ理想を追い求めてこの世界から飛び立とうと思うが、しかし翼のない自分たちには空など飛べずこの現実の中で夢を見るしかない。その夢とは勿論モーツァルトである。ああ!もしかしたらあのベートーヴェンでさえもモーツァルトを夢見ていたのかもしれない。僕はシューベルトの未完成交響曲を演奏するときいつもモーツァルトを思い浮かべている。時折混乱して間違ってモーツァルトの第四十番を振ってしまうことがあるがシューベルトはきっと笑って許してくれるだろう。

代表曲『交響曲第八番『未完成』』『交響曲第九番『グレイト』』『アヴェ・マリア』『弦楽四重奏曲第十四番『死と乙女』』『ピアノ五重奏曲『ます』』『歌曲集『冬の旅』『美しき水車小屋の娘』『白鳥の歌』』歌曲『魔王』『野ばら』他多数。

エクトル・ベルリオーズ

ルイ・エクトル・ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz、1803年12月11日 - 1869年3月8日)は、『幻想交響曲』でよく知られているフランスのロマン派音楽の作曲家である。

 ベートーヴェンが築き上げたドイツクラシック帝国にフランスから乱入してきた成り上がりのナポレオン。それが僕のベルリオーズ評だ。だがこんなことを書いているが、僕はベルリオーズは嫌いではない。それどころか僕はベルリオーズを深く尊敬し愛している。このシューベルトと同世代のフランスの作曲家はシューベルトよりもはるかに果敢にベートーヴェンが切り開いた道を突き進んだ。僕は彼の『幻想交響曲』を愛してやまない。この曲はベルリオーズのフォルテシモが全編にあふれている。恋に破れた挙句阿片に取り憑りつかれ破滅してゆく芸術家を描いたこの曲は、今聴いてもなお、いや今聴いたほうがはるかにリアルだ。僕はこの曲を演奏している最中にマネージャーに命じて阿片を持って来させようとした事がある。いつの間にか交響曲の主人公のような気分になってやけのヤンぱちになってしまったのだ。あの人が二度と戻らぬのなら人生などいらぬ。阿片で幻想を夢見て死んだ方がマシだ。そんなこそさえ思った。だが、僕は生きねばならぬと自分を叱咤した。全てを失っても僕には芸術がある。そして僕は張り裂けんばかりに叫んだのだ。「フォルテシモぉ〜!」と。

代表曲『幻想交響曲』『死者のための大ミサ曲』『ロメオとジュリエット』『イタリアのハロルド』等。


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