春が散る
バカげているにも程がある状況だった。彼女が突然別れたいと言ってきたのだ。昨日会ったばかりなのにこの仕打ちはなんなのだろう。
「突然で申し訳ないけどやっぱり合わないって思って。とにかくこれで君とはもう終わり。君は優しい人だから私なんかより良い人に会えるよ。じゃあさよなら。ps:電話も返信もいらないんでよろしく。電話もメールもNGに入れてるから送っても無駄だよ」
あまりのつれなさに僕はこれがあの彼女かと疑った。僕は自分の見たものが信じられず、何度も差出人が彼女か確認したが、残念ながら差出人は彼女で、しかもホントに電話もメールも通じなかった。
こうして就職も決まったし彼女も出来たしで良いことづくめだった僕の春は一瞬で散った。だがこんなに彼女との関係があっさりと終わるなんてやっぱり納得がいかない。僕は彼女にどうしても別れる理由を話してもらいたくて、通じないのはわかっているのに、電話とメールを交互にうんざりするぐらいしてやった。だけど帰ってくるのはお決まりの「お客様は電波の届かない所にいる」ってメッセージか「下記のメールアドレス宛のメールが、配送できませんでした」だった。
だけど一体どういうことなんだ。昨日までのあれはなんだったんだ。またディズニーランド来ようねなんていけしゃあしゃあとよく言えたもんだ。あの時から俺と別れようって考えてだんだろうに。彼女の事を思えば思うほどムカついてくる。言っとくけどこれは未練なんてもんじゃない。好きな女、もしかしたら結婚だって出来るかもって思ってた女に裏切られた純粋な怒りだ。
僕は彼女の通ってる大学の前で見張って見つけたら捕まえて何故自分と別れたいって思ったのか徹底的に問い詰めたいと思った。多分僕は完全に冷静さを失っているのだろう。だけど昨日今日であなたと別れたいなんて言われて納得できる奴がいるのかよ。思ったら即実行。僕は翌朝早速彼女の大学へと向かった。
だけどいざ大学に着いたら急に後悔に襲われた。やっぱりこんな事はサイコじみている。いざ会って別れる理由を聞いてそれでどうしようというのか。しかし同時に一目だけ顔が見たいという思いもあった。一目顔を見て軽く挨拶がわりに話したら、ひょっとして寄りを戻せるかもしれない。僕はカバンの中を開けて中の部屋から衝動的に持ち出した彼女の写真や手紙の束を覗き込んだ。特にこれらをどうしようともいうわけではなく、ただ本当に怒り任せに持ち出したのだが、今こうして見てバカな事をしたもんだなと自己嫌悪で一杯になった。だけどたしかにそれほど長くは付き合ってないけど彼女との思い出はこんなにあるのだ。一体なんで別れるなんて言い出したんだよ。僕といる時ずっと楽しそうだったじゃないか。最後にあった一昨日だってずっと笑ってたのに。あれは全部演技だったのか。
僕は彼女が来るのを見張りながらこんなことばかり考えているのが嫌になった。よく考えてみれば彼女も今年卒業だ。別に毎日学校に来なくてもいい身分だ。彼女も僕と同じようにすでに就職が決まっていて、僕らは互いの前途を夜明けまで祝福したが、それからいくらもしないうちにこんな事になるなんて。ああ帰ろう!ここで彼女を待っていても無駄。さっさと家に帰って彼女なんか忘れてしまえ。ほら他の女子大生もチラチラ不審者を見るような目で僕を見ているじゃないか、と思って踵を返して家に帰ろうとした瞬間、僕は彼女と視線がかち合った。
彼女の思わぬ登場に僕は驚き戸惑ったが、彼女の反応はそれ以上だった。彼女は僕を見るなり足を止めてまるで僕をストーカーか何かのように睨みつけ、そのまま後ずさって逃げようとした。僕は思わず彼女を呼び止め、何もしないよ!ただちょっと話がしたいだけだと訴えた。周りの人達は明らかに僕をストーカーか何かみたいに見ていたが、この僕の言葉とそれを聞いている彼女の反応を見てどうやら僕らが顔見知りだと判断したらしく、僕らを見て事態を見守っていた。彼女は周りの視線にたまらなくなったのか、僕に近寄ってくると、いかにもウザそうな顔で大学の前の公園にある桜の木を指さして、あそこで話そうと言ってきた。
「で、なんなのよ!こんなとこまで来てさ。あなたストーカーのつもり?君さ、ちゃんと私のメール読んだ?」
いきなりのお説教だった。自分が一方的に別れを切り出したことへのお詫びの心や罪悪感なんてこれっぽっちも思っていないようだった。
「読んだからここに来てるんじゃん。ほんとはまず電話とかメールで詳しく理由を聞こうとしたけど、君が一方的に両方とも切断したからね」
「そりゃあれ以上話すことがないからでしょ?私の別れの理由はあそこに書いてある事で全てよ。それ以上何言えっての?」
「だけど一方的に別れられた俺の気持ちはどうなんだよ。あんな短いメールで納得できるわけないじゃん!大体一昨日のデートだってそんなそぶり全く見せなかったじゃん。いつものように楽しそうだったじゃん。俺はわからないんだよ。デートの時とかあんなに楽しそうだった君がなんで突然別れないなんて言い出したのか!なんでなんだよ。何があったんだよ。包み隠さず話してみろよ!」
と彼女に訴えながら僕は、あれだけ彼女のところに来た事を後悔していたのにいざ会ったら意外に口に出せるもんだなと思った。いざ会ったらみっともなさなんてどうでも良くなるんだなと思った。彼女は僕の話を聞いてますます顔をこわばらせた。彼女は僕の話を聞きながら苛立ちからか時折舌打ちし、頭を振りながら踵で地面を蹴った。
「はぁ〜!ホントに腹立つよね。あのさ、君今さ私がデート中に楽しそうだったとか言ってたけどさ、結局なんも私の事見てなかったんだね。あれってただの愛想笑い。つまんないけど笑ってあげてただけ。なんかメールに書いたことあなたに全く伝わってなかったみたいだからもっとわかりやすく話してあげるよ。私が君と合わないって書いたのは本当に言葉の通り、何もかもが合わないって事を書いたわけ。わかる?それにこうも付け加えておくよ。君に合わないっていうのは性格とか態度とか以前に生理的に合わないってことなの。初めは私だって君の事を表面的にしか知らなかったし、なんか変わったところがあるけど可愛いな、なんて思ってたよ。だけどだんだんわかってきたらもう悍ましくて怖くなった。それで別れようって思って君にメール送ったんだけど、君今自分で君自身がどんだけキモいか証明しちゃったね。なにいきなり大学まで来て。もしかして朝からずっといたの。ホントキモい。ハッキリ言って死ねばいいと思ってる。てか今すぐ死ね。というわけでもう二度と私に近づかないで近寄ったら警察に通報するから」
本気でこの女を締め殺したくなった。僕は怒りで我を忘れて手に力を入れた。今すぐこいつをボコボコに殴って締め殺してやりたいって思った。何が死ねだ。死ぬのはお前だ。死んだらお前をこの桜の木の下に埋めてやる。桜はきっとお前の死体から栄養を吸って来年は一際赤い花を咲かすから!
だけどボコボコにされ、首を絞められ、赤く血まみれになったのは彼女ではなく僕の心だった。彼女は僕に言いたい事を言って去り、後に残された僕は瀕死の重傷で立っていられるのがやっとだった。こうして全てが終わったのだ。桜は瀕死の重傷で息も絶え絶えの僕の前で腹立たしいぐらいに春めいた色鮮やかな花を咲かせている。桜の花びらがパラパラと降りてくる。僕は卒業という言葉を思い浮かべて激しく笑った。全く見事な卒業式だよ。僕は彼女から大人になるとはどういう事か学んだんだ。僕はカバンから彼女の写真と手紙の束を取り出して細かく引きちぎり、そして桜の花びらみたいにあたり一面に撒き散らした。