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「五十肩」にはヒアルロン酸だってよ

昨年11月初めに卓球の体験に行き、そのままスクール生となった私。
中学時代卓球部の血が騒ぎ、次の12月には初級から中級に変更。(小さいスクールですので、自由な感じです)
「打倒!夫」で練習していたとはいえ、週1回だけのレッスン。無理しているという感覚は一切なかった。

12月中旬、朝起きてカーディガンに袖を通す時に右二の腕の裏側にピキッッと痛みが走る。
年末〜1月入っても、二の腕裏の痛みは取れない。ただ、右手を後ろに回したりしなければ普通に生活できていたし、卓球も続けていた。
ヨガレッスンに行ってみると、痛くて出来ないポーズがあり、その頃から右腕を下に寝ると痛くて眠れない。痛いから、動かさないという悪循環。そのうち治るだろうと、こんなときだけポジティブ思考。

2月に入り、息子と話していて何気なく腕組みをしようとしたら、右腕全体に激痛が!!
腕を抱えてしゃがみ込む程であった。その後、今まで痛みのなかった前腕や手首に痺れが…。

「お母さんは僕が病院に行かないと、『自分で体調管理もできひんのか。人間として終わってる』とまで言うのに、自分は行かへんのか!」

いや…そんなひどいこと私言ってました??息子の一喝により病院行きを決心した。

次の日は朝から雪が舞い散る天気。行きたくないが倍増する。行きつけの整形外科は大人気で朝一並ばなければ、2時間待ちは当たり前なのだ。
8時にバスに乗り、徒歩含めて8時半到着。なんとか10番目を確保。9時になるまで、常連のお年寄り達と雪の中待ち続けた。

院内に入り、やっと呼ばれてレントゲン撮影。パソコンに映る画像を見て、小さなパンフレットを先生が差し出した。

五十肩

先生は、私の症状についてレントゲン写真と具体的な図を基に説明を続けていく。
少し前に「50代なのに四十肩と診断を受けて少し嬉しい」というnote記事を読んでいたので、私は四十肩ではなかった…とぼんやりと落ち込みかけた。仕方ない、カルテに55歳と書いてあるのだから。


ここで、五十肩について説明しよう。
名前の通り、四十代に発症すれば四十肩。五十代なら五十肩。
正式名称は「肩関節周囲炎」
肩には複数の関節が有り、その関節のそばにある組織(関節を覆う滑液包・腱・靭帯)の異常により起こる症状。この組織が炎症、癒着などによって関節内のスペースが狭くなり、痛みが出る。

私は「滑液包」の部分が
全部すり減って無くなってしまった。


もともと、滑液包がすり減っていたのに、急激な運動により筋と筋が摩擦して痛みとなったのだ。


先生は私の肩にエコーを当てながら言った。
「まず、ヒアルロン酸を注射して、リハビリを行っていきましょう」

ヒ、ヒ、ヒアルロン酸ですと!!

芸能人や美魔女の方々が、顔のシワやほうれい線に注入するやつですか??

すぐさま私の頭の中に浮かんだ言葉
「先生〜ヒアルロン酸なら、私の顔のシワにお願いしますぅぅ〜」

関西に来て36年。これくらいの小ボケ言えますよと思っていたら…
「アーモンドさん…かなり酷いですよ。完治は5月ぐらいになるでしょうね」

はあぁぁぁ?? 5月?
いや、どんだけかかるんよ
小ボケも飛んでいったわ



肩に直接注射をするということで、ビビりまくっていたが、さすが名医。全く痛みは無かった。

すでに巻き肩なのに、さらに肩を落としながら診察室を出た。
その時点で10時前。受付で今なら11時半のリハビリが予約できると聞き、早速お願いする。どこに出かける用事もないので、待合室でnote記事を1本書き終えた。

隣接するリハビリ施設に移動。理学療法士さんに施術してもらい、家での体操を四つ教えてもらう。これを毎日するかしないかで、GWまでに治るかが決まると少々脅された。
とにかく巻き肩が酷く、姿勢が悪いと指摘される。後ろ姿が縁側に座った小さい婆ちゃんみたいと思われているのだろうか。そんなに姿勢悪いなんて思ったことないけどなぁ。
「家事は掃除機や洗濯物など重労働なんですよ。痛かったでしょう」
さっきは脅されたのに、今度は天使のようなことを言ってくれる。
ヨガもレッスンだけではなくて、毎日しないと意味がないと思い知った。



昨日から実家に帰省しているが、痛くて片付けも進まない。父に五十肩のことを話したら大笑いされて、軽めの殺意を覚えた。
ヒアルロン酸注射は回数に上限があり5回まで。あと残り4回で、ほうれい線ネタを先生に披露できるだろうか。知らんけど。




少数だとは思いますが…ノラちゃんファンの方へ♡今日も会えました。3日前雪だったし、心配していましたが元気でした。

カリカリ食べたら、サッサと
どこかに行きました。
強風の中、来てくれてありがと♡


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