読書とファッションと 想像力の退化
学生時代は ひとりの時間ができたら、本を読むか 服について考えてるかだったので
好きな作家の文章に服装の描写があると、読んでる時間が いっそう心躍るものになっていた。
🌿 文章とファッションで まず思い出すのが 小学生の時に読んだ 不朽の名作「若草物語」
自分で服を買うこともできないし、海外にも行ったことがなかったけど
文章と 白黒の小さな挿絵だけで四姉妹の服装を想像して楽しむことができた
家が貧しくて いつも古ぼけたドレスを着ていたメグに
裕福な友達が「私の着なくなった青いドレスを貸してあげる」と申し出る件が特に好きで
自分もステキな服を着たような気分になってわくわくした。
大人になってからも、読書を通してファッションについてあれこれ思い巡らすのが好きで
「村上春樹って ワンピースを着た女の人が好きなのかな?」と思ったり笑
海外在住の女性が『流行に流されない自分らしいおしゃれ』をするパリジェンヌやミラノマダムについて書くエッセイを読んで、心をヨーロッパの街角へと飛ばしたりしていた。
今よりアジア差別が露骨だった時代に パリコレのランウェイを歩いた日本人モデル 秀香さんの本を読んだときは
背が高いことがコンプレックスだった女の子が 自分に似合う1枚の服に出会って「身長は私の武器なんだ」と覚醒する話に感動した。
「 絵や写真がなくても、その衣服や着た人がどんな様子なのか すぐ頭に浮かぶ
文章ってそういう力もあるんだな」と思った。
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そして、時代は変わって ファッションに関する情報が桁違いに多くなった
・膨大な商品数の通販サイト
・ウェブメディアのコーディネート提案
・年齢性別国籍 お金のあるなし、あらゆる人がSNSで投稿するお買い物レポ etc
情報が多過ぎて 自分が選ぶべきなのは何なのか、分からなくなるほど。
ある日、note内のファッションに関する記事を読んだ
詳細な描写と読みやすい文章で書かれていたが、読み終わって つい心の中で呟いてしまった
「え?『運命の一着に出会った』と書いてるのに画像ないんだ?つまんな」
思ってからハッとした
以前なら 読みながら『運命の一着』と それを着た書き手の姿を思い描いて楽しんでいただろう
なのに今は「文字だけじゃ分かりにくいな」と思うほうに傾いている
自分は 画像がある文章に慣れ過ぎて
想像力が退化してしまったのだろうか。
今のところ、そんな風に感じるのは 服装だけで済んでるけど
そのうち、人物の佇まいや風景を伝える文章まで
「画像がないからつまんない」と感じるようになってしまったらどうしよう‥と少し怖くなった。