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【エッセイ】ことばと細胞の分裂とはじまり

なにかを明らかにするより、なにかを隠すために、ことばを使っているという気がしている。

ことばが発されるたびなにかが遠ざかっていくという感じがする。

はじまりの細胞はみずからを維持するために分裂する
細胞はひたすら分裂を繰り返し、ついにははじまりと似ても似つかないなにかがそこにできあがる
もちろん、みずからを維持しようとしたのだ
結果したのは、分裂につぐ分裂。ついに見出せるものは、はじまりと比べればもはや怪物としか言いようがない

ことばにしても似たようなものだ
はじめにことばはある分裂をもたらして、そこからことばが連なるほど、そうやって持ちこたえようとするほど、はじまりのなにかとは似つかないものになっている

遠ざかることによって、はじまりを繋ぎ止めておこうとする点で、細胞の分裂とことばの増殖は似ている
おびただしい分裂の結果として、この手足が、この舌が、この目がある
はじまりにあったはずとされるなにかからは無限に遠ざかって
自己保存の矛盾

はじまりと似ても似つかないものになることによって、ことばは、その「はじまりがあったこと」を、果てしなく間接的に証そうとしている
もはやそこにはじまりはない
それでもなお、その「ない」ものを隠そうとすることで、それがあったことを訴えるかのようだ

隠されているのは言葉の意味ではない。真の意味なんてものはない。そもそもことばとことばの意味という分け方からして、ある分裂だろう。

私たちは細胞の集合体よりも、むしろ細胞の分裂の集合だ
そして分裂はこの瞬間にも、この体のいたるところで多発的に起こりつづけている
これだけ無限回の否定が至る所で際限なく繰り返されるのなら、化け物が生まれても仕方はない

ことばにはたぶん、細胞のようなはじまりはない
だとしたらことばは細胞と違い、はじめからある種の怪物的なのかもしれず、
けれどもことばを発するたび、そこになにかが隠されているように思えるのもたしかなのだ。それが幻なのもきっとたしかだ

私たちは、細胞のはじまりには親しみを抱くことはないかもしれない
けれど、ことばにおけるこの幻のはじまりには、無性に焦がれてしまうところがある
たしかに、細胞にもはじまりはある。
が、私たちにとってのはじまりはむしろこちら、ことばの幻のはじまりなのかもしれない
どこまで突き詰めても怪物でしかないこの影
それを、私たちは、遠ざかることによって引きとめようとする


読んでくれて、ありがとう。

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