一行で矛盾してみよう
今日、妻に勧められてnoteの記事を書いてみた。
冒頭のつかみをちょっとひねってみたくて「今日から始めた日課のnoteサーフィン」という一文を思いついた。
初めてやったことなのに日課とは言わないだろ(笑)という反射的なツッコミを期待して書いた一文で、我ながらいい出来だ…(うっとり)としていたが、妻に伝えたところ良いことだねと真面目に肯定してくれた。優しい。
こういう一行で矛盾した文が結構好きで、見つけると少し心が躍る。
昔、新人会社員時代に資料の誤字脱字を上長に指摘されて関係者に訂正謝罪の返信を書いたことがある。確か、こんな感じだった。
なんでメールの誤字は送信した後に気づくんだろう。きっと気が張っていると視野狭窄に陥って気付けることも気付けないのだろう。返信が来る前にすぐ二通目のメールを送った。
社内向けの内容で、心の底ではこんなのBullshit-jobだと思っていたのもあるし、今となっては仕事を舐めていたなぁという反省もある。
当然、怒られるし(なんでこんなミスを…)と自分が嫌にもなる。
でも、一行で矛盾って面白いな〜なんてどこか他人事に感じて独り笑ってみたりもする。
「まぁ、そんな日もあるよ。ユーモアを忘れないだけマシだよ」
と、もう一人の自分に慰めてもらった。
そういえば、もう一人の自分が日に日に肥大化していって(まずいかな…)と不安になっていたこともあった。全然忘れていたけど、やっぱりnoteにこうやって書いていると思い出すこともある。こういう昔の自分との再会も面白い。
もう一人の自分、というとイマジナリーフレンドとか精神疾患の前兆とかいろんな言い方をされるけど、チベット密教では奥義とされていてタルパというらしい。当時の自分は当然奥義を会得できるほど修行していたわけではないけれど、こいつには随分助けられた。
「一行で矛盾してるじゃねーか!」と叱ってくれたのももう一人の自分だった。
ただ、もう一人の自分がずっと味方だったわけではなかった。睡眠障害やアレルギー薬の常用でインペアードパフォーマンス状態になってミスが多くなっていったとき、このもう一人の自分はずっと自分を罵倒してくるようになってしまった。
この人生の黒歴史については、いつか機会があればnoteに吐き出そうと思うけれど、今では会社を辞めてもう一人の自分も消えた。
…と思う。もしかしたら、分解・飛散して脳みそのそこかしこに散在したままかもしれない。そう思うとちょっと不安だな。あいつ、ホントに性格悪くて嫌なヤツだったから、願わくば消えていて欲しい。
さて、当時は嫌な思い出だけど笑い話にできる、っていうのはすごくポジティブなことで人生を楽しむコツのように思う。僕にとって、
”一行で矛盾する文”
というのは、昔のダメな自分を笑って許してあげられたトロフィーのようなもので、見つけると心が燃える。
これからも多くの矛盾文を見つけて、克己心を思い返していこうと思う。
直近で読んだ矛盾文は、
『迅速に対応させていただきますが、少々お時間を頂戴いたします。』
だ。ゆっくりがんばってね。
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