感情スイッチ ON/OFF の切り替え
感情は人間にとってとても大事なものである一方、ときどき邪魔になってしまうことがある。本当はやるべきことや言うべきことがあっても、感情が揺れてできなくなるのはよくあるだろう。反対に、つい感情的になって余計なことを言ってしまってややこしいことになるパターンもある。
めんどくさいからと、夜中まで風呂に入るのをぐずぐずと先のばしたりすること。嫌いな人に会いたくなさすぎて授業をサボってしまうなどもある。
とくに、不安や怖さ、不快感などの感情から逃げるために、目的を断念してしまうことはけっしてめずらしいことじゃない。
当然、常に目的意識をもって動けるはずもない。ときどきはサボったり、逃げたり、黙ったり、ぐずぐずしたりする。
でも、だんだんと大人になってくると、感情に流されていては生きていけないことを知り始める。日々をこなそうとすると、感情が障害になる。
だから、感情OFFのスイッチを設置するようになる。
感情OFFモード
感情OFFモードを使えるようになると、すごく楽だ。
わたしはビビりで臆病で神経質なので、感情をONのままにしておくと何もできない。ずっと安全な家のなかで、ひとり自分の世界に没頭することしかできないだろう。
でも、社会に出るとそんなわけにもいかない。
どの人に、どんな顔で、どんな口調であいさつをすべきか。
話しかけられたら、何を答どうえるべきか。
笑うべきか、真顔でいるべきか。
意見を言うべきか、指示に従うべきか。
根性で踏ん張るべきか、融通を利かせてもらうべきか。
見守るべきか、𠮟るべきか。
我慢すべきか、申し出るべきか。
見て見ぬふりをすべきか、出る杭になるべきか。
べきかべきかべきか!
自分の一挙一動の、正解、不正解を考え、迷ってばかりだ。
さらにそのすべての迷いの天秤に、感情がくっついてしまうと、秤の揺れは大きくなる。もしくは、正確に測ることができない。
天秤の揺れが落ち着きぴたりと止まるまで、時間も長くかかる。
だから感情をOFFに切り替えて、目的のことだけを考えるようになる。
感情をOFFにしてぐんぐん進めるのはとても楽で、気持ちがいい。
他人の気持ちも、自分の気持ちも気にしない。空気は読まない。言っていないこと、書かれていないことは知らない、わからない。
こうやって生きるのは、本当に楽だ。
これがわたしの感情OFFモードである。
感情をONにするのを忘れる!
そうやって過ごしていると、感情をONにするのを忘れてしまう。
仕事が終わったら感情をONにして、家族と情緒的な会話をする。友人との他愛もないやりとりでは、相手の感情に目を向けて言葉をかける。
そういう、感情的なふれあいが大事だということを、忘れてしまうことがある。
感情OFFモードのままプライベートの人に接してしまうと、衝突が起こるのだ。
たとえば、外で抱えてきたいらだちやストレスを、なんとか言葉にして、吐き出している目の前の人に対して、ド正論で返してしまう。
「つらい現状を改善する」という目的に向かって「じゃあこうすれば?」「ここが課題なのでは?」「こういう方法は試したのか?」と、言ってしまうのだ。
それがよく働くこともあるし、おもしろい議論になることもある。でも、なんだか一辺倒だなと思う。
人に対してだけでなく、自分に対しても同じだ。感情がない楽さを維持したくて、生活に余白を持つことも忘れる。
ずっと何かしら作業をしていて、慌ただしい。ちょっとした時間にも、何か片づけられることはないか、やっておくべきことはないかという意識が働いている。ボーっともしないし、心から笑ったりしない。
感情スイッチをONにすることを、早い段階で思い出せればよいが、しばらく忘れたままだと身体にガタが来てぶっ倒れたり、キレたり泣いたり制御不能エラーになる。
負の感情をOFFにしたままで起きるエラー
OFFにしているのは負の感情のほうが多い。
OFFにしていた間に溜まった負の感情が、電源をONにしたとたん、どわっと流れてきてバランスを崩す。
すると、過去の嫌なことや理不尽な出来事にばかりに思考がいく。
「こういうこと、言う人いるよなぁ。あ、あの人もよく言ってた。あの人今何してんだろう。っていうか、あの人なんで最後まで連絡よこさないのかな。そもそも、わたしとあの人はなんであんなにケンカばかりしてたんだろう。そうそう、ケンカになるとああいう言葉を使うんだよな。本当に毎回同じパターンだったよな。このパターン法則というのは……」
ってな具合に、嫌な体験や思い出にどんどん入り込んでいって、蒸し返して、分析し始める。何年も前のことを、まるで今日の出来事のように感じて、怒りが湧くことさえある。
普段は思い出しもしないし、思い出の5ページくらいになったはずなのに。
だから、長時間感情OFFモードで無双せず、適度にON・OFFを切り替え抵抗負担を分散させなくちゃと思っている。
ポジティブな感情はOFFにしないのか?
ところで、ポジティブな感情はずっとONなの? という疑問も浮かんできた。
いや、そんなことはないだろう。嬉しい楽しい大好き! を、そのまま言って回っているなんてことは全然ない。
もちろん負の感情よりは出しやすいし、相手に好影響を与えることもあるだろう。
でも、こちらのポジティブ感情で相手に負荷をかけることもある。ポジティブな感情表現を使えば、相手を意のままに動かせると思っている人だっているくらいだ。
たとえそれが自分にとっての美しい前向きな感情でも、目的のために言うべきか・黙っておくべきか考えて制御している部分はある。
だから結局、ポジティブでもネガティブでも、自分の感情は重視しないOFFモードになっているのだ。(簡単にいえばいわゆる理性のことなのだろうけれど、わたしはこういう風に理解する)
電源切り替えのスイッチは「儀式」
わたしは、気持ちの切り替えが苦手なところがあると、家族にもよく言われていたことを思い出す。
だから「電源入れたか?」「電源切ったか?」の確認を自分に入れてあげるために、儀式をするのがよいと思った。
儀式とは、スイッチのことだ。
人は、心や意識を切り替えるために儀式をするのではないか。
結婚式、葬式、入学・卒業式などは、人生の節目や喪失といった大きな出来事を経て、気持ちを切り替えるために行う側面がある。
そのような大きな儀式じゃなくても、わたしは毎日いろんな儀式をしていると気づく。子どもや夫が出かけるときに玄関で見届けるとか、家事をするときはラジオをつけるとか。休憩するときは食事をサイドテーブルに持って行って、決まった配信番組を見るとか。
これらはルーティーンともいわれるが、すべて「切り替える」ためにやっているので、どれかの儀式ができなかったときは、けっこうがっかりするし、流れが狂ってパフォーマンスが明らかに落ちる。
そして、わたしには、感情をOFFにするための儀式はあるけれど、ONにする(戻す)ための儀式を決めていなかったことに気づいた。
やる気を出して、感情を捨てて、何者かを演じて振り切るための儀式はあるけど、本来の自分に戻るやり方を知らなかったのだ。
魔法をかける呪文を使ってみたはいいが、魔法を解く呪文を知らない……!みたいな感じ。
今日の宿題は、感情ONにする儀式を決めること。家族や気心の知れた友人とは、思う存分感情論を楽しみたい。
つまらない、機械人間にはなりたくない。
※儀式についてはこちら ↓ の記事がよかったので参考までに
「儀式」を実践することが癒しの効果をもたらす|スコット・ベリナート