『ダブル・ミーニング』の謎。
翻訳本を読んでいると、時どき「おや?」と思う文章に出会うことがある。
それはかなり奇妙な現象で、うまくコトバにはできないのだけれど「これ、本当に原文はこんなこと言っているのかな?」なんて心がザワザワする。そして原文を求めてインターネットを旅したり、原書(あるいは英語版)を手に入れたりする。
それは、たとえばこんな何の変哲もなさそうな文章に出会った時だったりする。
パウロ・コエーリョ著『アルケミスト』の一節。スペインの少年がエジプトのピラミッドへと旅する物語。タイトルが『The Alchemist = 錬金術師』なのだから、錬金術の材料や、錬金術の研究を命令しそうな王様が出てくるのはアタリマエかもしれない。でも、こんなトコロがなぜか気になる。
作者はブラジル人で、原書はポルトガル語。残念ながら私にはわからない。そこで試しに英語版を取り寄せてみることにした。
おや、と思われるかもしれないが(大文字部分も含めて)これで原文ママ。
となっている。
「うーん、なるほどなあ……」
わたしは思わず唸った。どう考えても、日本語と英語の語感がちがいすぎるのだ。
MERCURY はすべて大文字。
これは「水銀」かもしれないけれど、ローマ神話の神「メルクリウス」かもしれないし、夜空に浮かぶ「水星」かもしれない。
salt は「塩」かもしれない。
でももしかすると、the salt of the earth、つまり「地の塩(善良なヒト)」かもしれない。
そして dragons は「龍1匹」ではない。kings もまた、「ひとりの王様」ではない……。
つまり、こういうことだ。
英語の場合、ここに登場する「奇妙な本」というのは、化学の本かもしれないし、神話かもしれないし、ビジネス書かもしれないし、天文学かもしれない。あるいは料理本かもしれないし、法典や経典、ファンタジーや歴史、伝記物かもしれない。もしかすると、それらの要素がすべて詰まった『聖書』かもしれない。あえて明言を避けることによって、ありとあらゆる本への広がりをもたせている。
それが日本語訳では、おそらく意図的に、綺麗サッパリとかき消されている。
翻訳は、これが面白い。そして、恐ろしい。
ひとつの英単語には、いろんな意味がある。文学でも、ビジネスの場でも、どれか1つだけが正解なのではない。ダブル・ミーニング(double meaning)、つまり「すべてが正解!」ということだってあり得るのだ。
ところでこの本には、何度もくり返し登場するメッセージがある。
英語で宇宙は universe。
uni- は「ひとつ」、verse は「まわること」。森羅万象はどこかで繋がり、とめどなくめぐり巡っている。それを<神>視点で捉える、あるいはバタフライ・エフェクトを彷彿とさせる言葉。
コトバの意味だって、もとを辿れば「すべてはひとつ」だったりする。数千年の人類の思考の積み重ね。それが語源に見え隠れする。
個人的には、英単語が一気にまとめて覚えられるとか、ひと目でわかるとかいった現世的なご利益よりも、この<数千年の奥行きと幅>を楽しめる瞬間というものが、<語源>の一番の醍醐味なのだと思いひとり楽しんでいる。
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◆最終更新
2021年11月3日(火) 10:15 AM
※記事は、ときどき推敲します。一期一会をお楽しみいただければ幸いです。