「twitter」ではなく「X」でよい、とやっと思えた[日記と短歌]25,1,26
飛ぶ鳥を落として空は空であることを忘れた痛みすらなく/夏野ネコ
私はtwitterがtwitterだった頃にtwitterをはじめたので、twitterが持っていたtwitter的なカルチャーを愛していました。だからtwitterがある日「X」になってしまってからも、意固地にtwitterと呼びならわしていたのですが、ようやく現実を受け入れることができました。という話です。
ところで最近、藤井太洋さんの『まるで渡り鳥のように』という短編集を読みました。テクノロジーが人間の未来を、ほろにがくも自由にしていくすばらしいSF短編集なのですが、掲載作品『おうむの夢と操り人形』の中にGoogleの社是「 Don't be evil(邪悪になるな)」について言及されていて「お」ってなりました。
つまりテクノロジーで人間社会の未来を作る、という事業に対する戒めですよね、すごくいいと思います。現在のGoogleがその通りやってるか、は置いといて、でも理想はわかる。とても。
これは特に言論空間のプラットフォームを扱う企業は本当にそうあって欲しいと思うし、twitterがtwitterだった頃はまだその残り香があったように思います。
でも今の「X」にはそれがない、本当にない。唯一コミュニティノートが悪くないのを除くと、もうとことん evil じゃないか。
自分の持ち物だからといって特定勢力に肩入れをしたり他国の政治に首を突っ込んだり、デマを放置するどころか拡散したり、Grokはルール無用でフェイク画像を作りまくる始末で、もはやパブリック・エネミーです。そこにまだ居ようとしている自分への怒りも含めて、つらい場所になったな、と思います。
だからもう、こんなにいかれてしまった場所には「X」みたいなだせえ名前が本当にふさわしい。
わたしの居場所だったtwitterをメタメタにしてくれた事については恨みつらみもあります。ただその焦土に「X」という別の名前をつけて、twitterの頃の穏やかな記憶を守ってくれた一点についてのみ、感謝していますよ、イーロン!
はいそんなわけでして、藤井太洋さんの「まるで渡り鳥のように」はこちらです!めっちゃいいですよ!とこれが言いたかったのです。
技術っていうのは、こういう未来を見せてくれるものでなくては。