跳ぶ前に見ろ〜蝦名泰洋の短歌と飯田蛇笏の俳句を読みつつ[日記と短歌]24,11,25
わたしへの招待状の色をして銀杏は君の胸に止まれり/夏野ネコ
あるとき蝦名泰洋さんの歌集『ニューヨークの唇』を買いました。
ですがその詩的跳躍の高さと空間の広さに私はまだ全然ついていけていないな、と、読んでいて本当に思いました。きっとまだ引き出せるものは沢山ある気がして、で、止まっています。
ひとつの歌から掴める情報量は、たぶんもっとあるはずで、その見えない余白がもどかしい。もっと見たいのに自分の目が未熟なのでまだ見えてこない、そんな感じがする。
私の短歌に足りないものはたくさんあって、言葉の選択も無論そうですが、どこかで理屈を超えた跳躍力のようなもの、また一方で写生の力もまったく足りていないと感じています。
そしてどっちかというと跳躍の前に足腰である写生がベースにあるべきなんだろうな、と思う。「見る前に跳べ」じゃなくて「跳ぶ前に見ろ」です。
芸術活動における自然主義、絵画で言う初期印象派の特にバルビゾン派にあるような「徹底して視る」というようなことが、たぶん私の短歌には必要で、象徴化や比喩の跳躍はさらに先にあるんだと思います。ニューウェーブ以降に派生した短歌のマジカルな面白さをなぞるだけでは全然ダメだ…
そんなわけで飯田蛇笏&龍太の俳句集を入手したのでした。正岡子規の直系、ホトトギスです。
蛇笏と龍太の全集的なものは普通にみつかるのですが、評論と解説を交えた代表句集はなかなかなく。蛇笏の故郷山梨の地元新聞社が編じたものを買えたのは僥倖でした。以来月々の季節のうつろいとともに読んでいます。名句を中心に月ごとで編集したアンソロなのがとてもいい。
手に入れてからもう4ヶ月、でもあと8ヶ月。来年の夏まで、蛇笏&龍太の怜悧かつ温かな写生の世界に季節の速度で触れながら「視る」の凄みを味わい、また感じたいと思っています。
そうして視る力、ひいては読む力をほんの少しでも身につけて、蝦名さんの歌集にも戻ってきたい。
戻ったら少しづつ、きっと何年もかけて読むでしよう。