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やりたいことも夢も仲間も失った虚無の果てに残ったのは、諦めの悪い自分だけ
年明けから、いくらか日が経って、気持ちも少し落ち着いてきたので、書こう書こうと思ってかけていなかったことをnoteに綴っていけたら、と思う。
そして、これを読む方で必要な人に、自分の指針としている"不屈の精神"を表しているような、この歌の歌詞にある言葉が誰かの心に届いたら良いなと思う。
努力は大抵報われない
願いはそんなに叶わない
それでもどうか腐らずに
でかい夢見て歩いて行くんだよ
私の人生は、一度終わっている
ここで言う"人生が、一度終わっている"の意味合いは、
「人生の意味とか、生きている意味とか、そういうものがすっかりと抜け落ちた生の営みになった。」
もしくは
「心に決めた何かに向かっていたはずの自分とその世界ごと失ってしまった。」ということ。
そして、最も問題だったのは、意思決定における判断基準のいっさいがなくなったこと。
これのせいで、自分の人生がこの先どうなろうと至極どうでも良くて、何でも良かった末に、何も選べなくなってしまった。
自分のことと同時に、志していた夢のはずで全くどうでも良くなかったはずの地球の未来のことも、自他共にどうなろうと、もうどうでも良かった。
(こうなるきっかけこそ、所属していたベンチャー企業のチーム半壊だった。)
"自分"という人間が、一度壊れ、今は再生されてる途中のように、今感じている。
読んでいる人のほとんどは何言っているかわからないかも知れないのだけれど、私の体験としては本当にそうであったので、そのまま感じたことを書いておきたい。
今感じてる実況をイメージで例えるなら、一度死んで、墓に入った後にゾンビとして蘇り、"ゾンビが人間になる過程"に今いるような感じだ。
そしてここで指す"破壊"とは、アイデンティティクライシス(自我喪失)のことだ。
アイデンティティー‐クライシス(identity crisis)
自己喪失。 若者に多くみられる自己同一性の喪失。 「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。
破壊なくして創造(再生)などない、と心から実感している。生きる上で必要な破壊は必ずある、と自分の体験から断言したい。
前に書いたnoteに、自由・破壊と創造について書いたことがあったので、自分の見返し用にもここにも載せておこうと思う。
…
ずっと、この世界で赦せなかったこと
私は、子供の頃から自分の身に起こった出来ごとから、何もかもが赦せなかった。
DVのあった家庭環境、
度重なる転校による友人関係の断絶、
肥満体型・ジェンダー差別による虐め、
転校先の学校での虐めによる姉の不登校、
身内の自殺未遂、
精神疾患(摂食障害)等の出来ごとが
自分の人生に起こったとき、
「目に見てきた世界は、至極理不尽で不条理である」と感じ、そんな世の中もそんな世を創ってきた人間も、自分に生を与えた両親も、心底赦せないでいた。
そして、周囲の人間が、私自身が家庭や学校を含む社会で苦しめられてきたことを、現実に行ってきた人間/行っている平然と生きていた人間全員が赦せなかった。
非道な人間が、平気な顔して生きていたことが赦せなかった。
それは、"環境"や"遺伝/生まれ持ったもの"といった
「当人(私自身)にはどうにもできない"先天的ギャップ"により、生きていくのに不利になってしまう世界は、どう考えてもおかしい。」と考えてきたことが根底にあった。
そして、これこそが私の願いだった。
「どうしたら、先天的ギャップによって、生きていくことが不利になってしまう今の世界を変えていけるのだろうか。」と考え、模索していた。
誰にも理解されることのなかった願い
自分の経歴としては、ずっと栄養関連・予防医療辺りの領域が多かったが、自分の中の一貫したテーマとしてはずっと弱者を救う手立てを探していて、世に蔓延る不均衡をどうにかしたいと思っていた。
また、社会への不均衡への違和感と同時に、「どうしたら、自分が特に子供の頃感じてきた生きづらさや苦しみを産んだ社会を変えていけるか」も軸にして、自分の選択をし続けていた。
そして、この本質的な原因は、大量生産・大量消費社会で生まれた消費者と生産者の距離が遠すぎる社会になったことであると確信した。
もっと言えば、人と人との距離も遠くなりすぎて、システム思考で人間をジャッジして、今目の前にいる人をあるがままに見られていないとも感じ続けていた。
国際協力でも、
ヘルスケアアプリのベンチャーでも、
学校給食でも、どんな給食現場でも、
インキュベーション施設でも、
高野山でも、断食施設でも、
世界の不均衡な豊かさ、先天的ギャップによる不利な立場を生み出す今の資本主義社会世の仕組みを変えて、この生きづらい社会をどうにかしたくて、多分十年くらい藻掻いていたように思う。
走り続けていた最中は特に、こういう思想や願いを持った自分はきっと誰にも理解されないだろうと思って、全部の全部を他者に話すことが今までなかった。
今ここで話せるのは、前ほどは他者に理解される必要を感じなくなったからだと考えている。
「自分のことは自分がわかっていればそれでいい」と思ったから。
けれど、それでもいつか自分の思いが世界の何処かで通じて、いつかこの願いが叶うことを望み続けているから、今書いているのだと思う。
一度、人生が終わったベンチャー企業
私には、一生勤めるつもりだった企業があった。
ヘルスケアアプリのスタートアップ企業だった。
いわゆるベンチャー企業で、設立から1年ほどの会社だった。当時は社長とエンジニアしかいなかった、"ど"が付くほどのベンチャー企業だった。
新卒の給食受託会社の病院栄養士は10ヶ月足らずで辞め、次の保育園給食の正社員も1-2ヶ月で辞め、夜大学へ通いながら母校の中学校で非常勤学校栄養職員をしていながらも、どうしても納得の行かない学校の方針に対して意見し、校長に楯突くという社会不適合者だった私に、たまたま運良く巡ってきたベンチャー企業だった。
何の巡り合せかわからないが、いわゆる"ふつう"に足並み揃えて生きられなかった私には、もうその会社で生きる他になかった。
それに、たまたまその会社のプロダクトで実現できる世界が、自分の目指すものと全く一致していた。
だから、無自覚に人生そのものを賭けていた。
その会社のアプリの為、未来の実現の為ならどんな仕事でも喜んでやろうと思えて、当時の社長含めチームの皆のことも大好きだった。
しかし、本当に色んなことがあって、結局私は社長を信頼しきれず、裏切りを感じた出来ごとがあった。
本当によく覚えている、2019年3月の出来事。
おまけにこのチームはうまく行かず半壊し、辞めることになり、私の人生で成し遂げたかった道も断たれてしまった。
どれだけプロダクトを通して人生を賭けて成し遂げたいことのある企業に居ても、チーム(組織開発)がうまくいかなければ変えたい未来は変えられないということを痛感した出来事があった。
一気に、目の前が真っ暗になった
底知れない無力感で、いっぱいだった
夢とか、目指してた世界とか、信頼した仲間とか、もう、私の生きている意味は、全部失くなったみたいだった。いよいよ、本当に分からなくなった体験だった。
やるせなさを抱えて、悔しくてひとりで大泣きしながら社長に渡す予定のない手紙を書いたことを、鮮明に覚えている。喉に何かがずっと詰まったような喉元の圧迫感と、胸が押しつぶされそうな気持ちだった。
信頼を寄せていたが故に、裏切りに感じたこの瞬間は、この上なく苦しく、この後退職になった後の私は、完全にもぬけの殻だった。
もう、人生において、成し遂げたいこともやりたいことも、何もなくなっていた。同時に、できない環境になってしまった。無力さに打ちひしがれていた。
周りの人が当然のように思っているように見えた「生きたい」と思うことすらも、このときの私には難しかった。
ただ、このときはとかく何より、自分自身を信じられなくなってしまったことが辛かった。
この無力感を叩きつけられた虚無の間の私は、「どう生きたら良いか」「どうしたら"生きたい"と思えるか」と自問していた。
当然のように思えていたはずのことが、こんなに疑ったことのなかったはずのことを疑っていた。
なぜ生きているのか、なぜ生きたいと思えないのに生きているのか、生の根底が揺らいだ。自分の命が在る意味が、本当にわからなくなっていた。
しかし、そんな無力感の中で、心の琴線に少しでも触れたもの(他人の確定申告書が見れる仕事、フィリピン、お寺や断食施設など)を選び続けてきた今、偶然と思えないような御縁に結果的には恵まれ、底知れない無力感からは、脱することができてきている。
正確に言えば、無力感とうまく付き合えるようになった、とも言うと思う。
生きている意味がわからなくて起きた自損事故
断食施設で過ごしていた時、そこでの日常が心から楽しいと感じる反面、ふと無力感・空虚感に襲われて、心が耐えられなくなる時間がしばし続くときがあった。
時々訪れる発作のようなものだった。
ある休日に、この発作が起こって、自分の「今、生きてる意味」を考えていた。
考えても、生きている意味などやはり分からなかった。
生が分からなかったから、死について知ろうと思った。
だから、当時自死を選んだ三浦春馬さんのルーツを辿ったり、当時上映されていた彼の最後の遺作だと言われている映画「太陽の子」を観ようと思い立った。
そして、少し前までペーパードライバーだった私は、映画館までの伊東〜沼津という一時間以上道のりを車でを運転しようと車に乗り、そして、その道中に自損事故を起こしてしまった。
車は廃車になり、会社の人に多大なる迷惑をかけてしまったけれど、事故で怪我をしたのは自分だけだったのが唯一の救いだった。
自分という人間が、無条件で生きていて良いはずがないと思っていた
自損事故を起こしてしまったときに、会社には連絡せずに、そのままどこか逃げてしまおうと思った。
会社の人に会って、責められたら耐えられないと思った。
会社の社長や先輩、従業員の皆が好きだったから、批判されたらと思うと怖くて、尚更顔を合わせることを避けたい気持ちになった。
「自分なんて、居ても迷惑な存在で、生まれてこないほうが良かった。」と、本当にそう思っていた。
けれど、現実は違った。
周りは、私に「生きていてほしい」と思ってくれていた
先輩や同僚は、当然のように私を帰れるように各所へ連絡をしてくれて、社長や先輩も心配してくれていた。社長は、怪我をした私を病院へ連れてってくれた。
このことに、本当に驚いていた。
先輩に会ったときに、「本当にごめんなさい!!!」と言いながら泣きながら抱きついたことをよく覚えている(泣)
私が想定していたことが起こらなくて、戸惑ったと同時に、自分が「生きていて良い」ということを許容されたことに、心から歓びと安堵を感じた。
子供の頃の体験から、「生まれてこなければよかった/生まれてくるべきではなかった」と思わされていただけだった。
こういった思想を、反出生主義と呼ぶらしい。
反出生主義
反出生主義またはアンチナタリズムとは、人々が子供を持つことは不道徳だという信念。哲学事典では「反出生主義は極端に挑発的な観点であり、生殖を常時または通常許されないこととする」との記載がある。出産行為は生まれてくる子供への暴力・親のエゴであるとし、この世に生まれることおよび子を持つことを否定的に価値づける倫理的見解。
体験のトラウマから、私は自分自身に『無条件で生きていていい』と感じた体験に乏しく、無条件で生きていることを自分で自分自身に赦せずにい続けてきたことが問題だった。
だから、過去に精神疾患になったり、自暴自棄で無気力になったりした問題の原因は、ずっと外側(いじめっ子や父親などを含む自分を取り囲む環境)にあると思っていたけれど、実は外側だけではなく自分自身の中の内側にもあったことを知った。
やりたいことも、感謝も、自然と湧いてくるものだった
躍起になって自分の存在意義を見出そうとしていたなぁということ、無理にでも感謝しなければいけないと思っていたこと、無力感に耐えられなくて自暴自棄になっていたこと…etc
今思うのは、私は無理してたんだなぁということ。
そして、自我のあったそれまでと打って変わって、流れに身を任せるように生きてみてわかったのは、無理するのをやめて等身大になってみたら、自然と「生きたいな」と思う理由が見つかったりするんだなぁということ。
どうしようもなく絶望していたけれど、その渦中に出逢えた人に、本当に心掬われた。
その恩を忘れずに、いつか恩を返そう・恩送りをしようと思えたとき、自分の生きている意味がわかったような気がした。
誰のためでもなくなってしまった自分の心を掬ってくれた大切なあの人の為・かつての自分のような未だ見ぬ誰かの為・これまで出逢った感謝している友人の未来の為と思うと、生きる気力が湧いてきた。
何も生きる意味が見いだせなかった私は、見出したくて探し続けていた。
そんなときに出逢えた人に心が掬われて、これまでの失敗とか後悔とか不甲斐なさとか、そういうものと折り合いがつけられた。
そして、その人達への恩返しが私の"生きる意味"になった。
だから、世界は、うまくできているなぁと思った。
きっと、この世界は、人生詰んで、どうしようもなくて諦めきった後に、救いの手が差し伸べれられるようになっているのだとそう感じた。
なんにも生きる意味がないと感じてしばらくしたときに、生きる意味のようなものを見つけた。
社会不適合者だった私の最後の頼みの綱の会社も辞めることになったときは、もう本当にだめだと思ったけれど、その後の出逢いで、今生かされている。
本当に"生かされている"という言葉がしっくりくるくらいに、生かされていて、自然と感謝を感じられるようになった。
虚無感・無力感の果てに唯一残ったのは、諦めの悪いこの身一つだけ
そんなこんなの生と死を体感したような2~3年間を経て、結局残ったのはそれでも希望を持ち続けたい私のこの身ひとつだけだった。
結局のところ、自分の願いがあるのなら、言い訳せずに行動するしかない。
会社や組織等の他者は、自分の信念は守ってくれないし、自分の人生の責任や尻拭いなどは決してしてくれはしない。
自分の人生の責任は、全て自分にある。
そう感じたときから、何かに因果を結びつけてなにかのせいするのをやめ、心がラクになった感じがする。
これは、親しい人が教えてくれた大切な決まりごとだ。
こうやって、誰かのお陰で自分の中に大事にしたい決まりが増えると、「私は独りじゃないんだ」と感じる。
今もし絶望を感じて「自分は独りで、信じられるものなど何もない」「人生詰んだ」と感じて生き場所のない人が居たら、こんな類の20代の人間もいるから大丈夫だとそう勇気づけられたら良いなぁと思うし、絶望の淵にいた人とこそ、共に生きてゆけたらと思う。
そんなかつての自分のような人へ、
このnoteが届きますように。
今日、生きてこの文章が書けていることに感謝します。