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ベリーショートヘアにしたら嫌な思い込みに気付いた。

私は、ベリーショートにしたくても勇気がなくてできない人間だった。しかし、今ベリーショートと言われるくらいの髪型だ。

それまでの自分には、決して簡単にはできない髪型だった。しかし今となっては、ついにそのハードルを超えられた。そこには、理由がある。

私はもともと、毎回同じ髪型にすることができなくて、つい切ってしまう性だった。人と比べると、私はヘアスタイルは結構思い切って変える方だった。

しかし髪型を変える頻度は高かったから色んな髪型にしたが、自分の中で、できる髪型できない髪型に分けていた。

・・・

ストレートのロングにはするけど、女の子らしい巻髪はできない。

ボブにはできるけど、内巻きは絶対似合わないからやりたくない。

...など、自分で制限をかけていた。

ベリーショートにした時
嫌な思い込みに気づく

ベリーショートにしたくてもできなかったときの自分は、色んな思い込みがあった。

所詮自分には似合わない。
モデルくらい痩せてないとベリーショートなんて似合わない。
そんな顔も小さくないから顔のラインが目立って余計に太って見える。
自分のことがカワイイと思ってるからベリーショートにしてると思われるんじゃ...

...とかとか、そんな自分に対しての無意識な思い込みがあった。

そして実際に、以前の自分はベリーショートにしたくてもできなかったという事実があるということは、「変わることが怖い」「どんな自分も認められる自信がない」という気持ちの表れであり、そんな感情が裏に少なからずあったんじゃないかと思う。

ベリーショートが似合わないと思いこんでる世界では、似合う人と似合わない人で分けていた。

それが自分にとって都合の良い世界だった。

自分を"ベリーショートが似合わない側の人間"だと定義することで、自分には「自分なんかには相応しくない髪型で似合わない。」と言い訳をして、"生きたいように生きられない自分"にしているのも自分だった。

この世界にいた方が、自分は変わらなくていいから楽だった。

しかし、このままでは、「この先の人生も自分の生きたいようには生きられない。」と思った。

私の目的は”生きたいように生きたい”だったのに、「人からどう思われるか/自分自身をどう思うか」を気にして、その目的が達成できないなんて、そんな馬鹿なことは繰り返したくないな、と思った。

髪型の話で大袈裟かもしれないが、どんな意思決定の場面でも大なり小なり同じようなからくりがあると思う。

そしてこのからくりが、"なりたい自分になれない原因"でもあるのだと思う。

今後で同じような選択肢があったときに、目的遂行の可能性を正確に見ずに、"自分の見栄を守るためのエゴの入り混じった意思決定"をしてしまう可能性があるからだ。

現に、以前の自分は、目的はベリーショートにすることであるはずだったが、そこにアイデンティティ(自意識/セルフイメージ)の問題が加わることで、自分の"生きたいように生きる"という目的の達成には至らなかった訳だ。

だから、目的とセルフイメージは一色単にしてはいけないな、と思った話でした!


読んでくれてありがとう。また!

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