"イメージ"が当てにならないことの証明と体感を与えてくれる #価値観カード
価値観カード、知ってますか?
「意外と分かってるようで、分かっていない相手の価値観が垣間見えるカード」であり、「自分が相手に持つイメージの"あてにならなさ"がわかるカード」だと私は思う。
互いの価値観を知り、相互理解が深まる。
企業内のチームビルディングにも役に立つため、企業研修にも使われているという、このカード。
職場の人と5〜8人で、二度ほどやってみた。
ルールは、とても簡単だ。
この手順に習えば、"いまの自分"が大事にしている価値観が残る。
価値観カードの醍醐味とコツ
普段こちらが相手について「知っている」と思う部分が、このゲームによって"知らない部分"を知ることで、自分の"思い込み"に気づくことができる。
これが、このカードのおもしろいところだ。
※ただし、ある程度加工されていない"あるがままに近い自分"を出せる間柄は必要だろう。
1回目、2回目のそれぞれのカードの手札をここで振り返ってみようと思う!
(ちなみに、1回目は、価値観カードが届く前だったため、皆で手作りで作ったカードでやったもの。)
1回目の結果
「直感的」「正直」「友達」「健康」「研究・分析」
2回目の結果(約2週間後)
「愛」「エンパワーメント」「発見」「刺激」「オープン」
私が、この結果を今振り返ってみて思うことは、
「どの価値観カードも、必ず体験に基づいている」ということだった。
たとえば、
心の健康が乱れて、摂食行動をした体験がある私にとって、「健康」は外せなかった。
転校ばかりで、友達関係を継続することが子どもの頃から環境的に難しかった私は、今周りにいる大事な「友達」を外すことができなかった。
理論が優勢な自分に気づいて、なんとか感覚を研ぎ澄ませたいと思った私は自己発見の意味でも「発見」や「刺激」を大事にしていた。
(以下省略)
「どの価値観も、必ず体験に基づいている」と聞くと、
当たり前に聞こえるだろうか。
当たり前に感じるのが"当然"かと思う。
当たり前なようなのだが、私たちは
「"価値観は、必ず体験に基づいている"ことを、ハッキリと体感し認知したことがない。」ということに、気づいた。
しかし、このカードが自分の内を顕在化してくれたお陰で「過去の自分の体験が、全て自分の価値観を作り出している」ということを体感し、ハッキリと理解できた。
そして、1回目→2回目と、
私の内で"何か"が変化したことは感じ取っていたが、こうやって言葉で改めて見ると、その内にあった"何か"が言葉となって顕在化したような気がした。
「体験からしか、価値観は育たない」
このカードを使う中で、
「ある程度、規則性があるかもしれない」と感じたため、自分の中で仮説を立ててみた。
これが今の確信に近い仮説だった。
私の価値観カードに残ったものは、「すでにこの価値観を持っている」とは言えない気がした。
それは、
自分が「いま、大事にしている"こうでありたい"と思うこと」または「"こうなりたい"と思うこと」に近かった。
何かを経験しないと、その願望も考えも生まれないはずだ。
つまりこれらは、
「体験からしか、人の価値観は育たない。」ということを教えてくれた。
とても当たり前なことだ。
シンプルで、単純で、わかりやすい。
言い換えれば
「人は体験のみから、価値観が育てられる。」だ。
「結局のところ人は"百聞は一見にしかず"という言葉があるように、ほんとうの意味で"何か"を身につけられるとすれば、体験からしか得られるものはないのではないだろうか。」
そして、体験が経験となったとき、それは"自分"になるのではないだろうか。
「体験に基づかない価値観は、
フィクション(虚偽)だろうか」
振り返ると私たちは、
「自分で体験したこと以外から"息を吸うことと同じくらい自然に"フィクション(虚偽)の価値観を作り出してはいないだろうか。」
体験したことないはずなのに、「できる」と思ったり、
体験したことあるはずなのに、「できない」と思ったことはないだろうか?
これは、仮説であり、もちろん実証できたとしても、いわゆる"正しい答え"のようなものではない。
実証できれば、私の中の真実になるだけだ。
そして、ひとつの解釈であることに過ぎない。
価値観カードによって、自分の脳が作り出している"フィクション(虚偽) "に気づくことができる。
しかし、それと同時に"ノンフィクション(真実)"にも、まじまじと気付かされる。
真実を見つめることは、勇気が要ることだし、苦痛を伴うものだ。
だけど、その価値はあるくらいに、その後に見える世界は尊いものだと、予感できる。
読んでくれてありがとう、ではまた!