「文句を意見だと思ってる人」にはならない
最近、SNS断食をしています。
ネガティブな言葉に溢れていて、他の人の不安に煽られて、不安にならなくていいことで不安になることが増えているなと感じたからです。
どうしてSNSを見て不安になるんだろうと考えて浮かんだことが、以下のようなことでした。
1.文句や否定のあとに解決策や代替策や前向きになれる何かがないから
(解決策等がわかっていれば不安にはならない)
2.発信者に共感してしまい、自分が発信者と置かれた環境も状況も違うことを忘れているから
(同じような悪いことが起こるんじゃないかと思ってしまう)
3.単純に悪意を感じるから
4.その情報の根拠が明確じゃないから
(根拠が明確なら良くも悪くも自分で判断できる)
考えてみたら、漠然と不安になってしまう要素がつめこまれているんだなぁと思いました。それは不安にもなりますよね。
人のフリ見て・・・ではないですが、逆に言えば、自分はこう言う発信をしないようにすれば、誰かに漠然とした不安やイヤな気持ちを与えなくて済むのだなぁとも思いました。
そんなふうに思いを巡らせているうちに、特に「1.文句や否定を言ったあとに解決策も代替策も前向きさもない」については、(悪意あってネガティブな言葉をぶつけてくる人以外は)もしかすると発信者に自覚はないのかもしれないと感じるようになりました。
「文句」を「意見」と思って発信している可能性があるからです。
そもそも、「文句」と「意見」の違いって何でしょうか。
【文句】
1. 文章中の語句。文言。「気のきいた文句」「殺し文句」
2. 歌謡などで、メロディーに対して歌詞をいう。「歌の文句」
3 .相手に対する言い分や苦情。不服。「弁償してもらえるのなら文句はない」
【意見】
1 .ある問題に対する主張・考え。心に思うところ。「意見を述べる」「意見が分かれる」「少数意見」「賛成意見」
2 .自分の思うところを述べて、人の過ちをいさめること。異見。「同郷の先輩が意見する」
(goo辞書より)
「文句」は相手に対する言い分や苦情、不服。つまり感情です。
「意見」は主張や考え。つまり論理的なものです。
イライラとかモヤモヤとかから発生した感情も、論理的に組み立て直して話せば「意見」になります。
でも、イライラやモヤモヤを消化せずに、論理的に組み立てる前に吐き出してしまえば、ただの「文句」で終わってしまいます。
発した本人は、どうして私の意見は聞いてもらえないんだと、余計にイライラを募らせることになるかもしれません。
けれど、それは特定の人だけに起こることではありません。
特に、今みたいな混沌とした前例のない状況のときは、みんな内側からいろんな感情が湧いてきていて、そのまま外にアウトプットしてしまうと、「文句を意見だと思ってしまう」現象は、誰にでも起こり得ることです。
だからこそ、そうならないために、自分から湧き出してきたひとつひとつを見極める癖をつけることが大切だと思います。
これはただの文句や不安なのか? それとも、この感情の先には何か解決策やアイデアや、誰かのためになるものがあるのか?
気をつけなければならないのは、文句だから悪いとか、誰かの役に立ったり解決策やアイデアを思いついたから良いとかではないと言うことです。解決策やアイデアの質を問うものでもありません。
ジャッジするのではなく、ただ文句なのか意見なのかを考える。
ただの文句なら、話を聞いてくれる近しい誰かに愚痴ればいいだけです。
誰かを攻撃したり、自分の文句に巻き込んで不安や心配にさせる必要はない。
もしも、そういう人が増えたとしても、自分はそういう人にならなければいいのです。