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1歳になった息子と自分を大事にするために、noteと刺繍を続ける私

息子が1歳になった。1歳からは乳児ではなく幼児と呼ぶらしい。この呼び方の変化など大したことではないと以前の私なら思っただろう。でも息子と1年過ごしてきた私にとってはただの呼び方にすら感傷的になってしまうありさまで、息子の存在が私をいかに変えたのかを思う。

結婚する前も、私は結婚しても変わらないでいようと思ったし、出産する前も、私は出産しても変わらないでいようと思った。結婚に関してはおおむね「そのままの私」でいられたように思うが、産後は無理だ。どう取り繕おうとしても私は半分以上がお母さんとして作り替えられてしまったように思える。

なにせ、命の優先順位が変わった。息子が一番。自分の命より大切だ。白状してしまうが、私は出産する直前まで、もし私か息子かが死ぬような事態が起きたら、何が何でも私だけは生還してやろうと思っていたし夫にもそう宣言していた。夫からはひどいこと言う母親だと冗談交じりで苦笑されていたが、私はほとんど本気だった。私が残れば次の子が望めるじゃないか、私がいなくなれば夫は一人で子を育てるんだぞ、と思っていた。

しかし、出産した日の夜、私は帝王切開術後のため身動きが取れず、息子は呼吸に少し心配があったために保育器で過ごしていたあの夜。会うことも声を聞くこともできず、スマホに撮ってもらった写真だけを眺めていたら、とめどなく涙が流れた。なんてかわいいんだろう、声が聴きたい、早く触って指に体温を感じたい、私のお腹の中にずっといてくれたのはあなただったのね、と感情の波が涙腺に押し寄せていくら拭っても渇くことがなかった。

実際に育児がスタートしてからは毎度号泣はしていられなかったが、息子のことを思って胸が締め付けられたり、私はこの子のために死ねないとか、息子のためなら死ねるとか、心が激情に振れることは度々あった。

昔、私はひとから「子育てに向いてなさそう」とか「ママって感じじゃない」とか言われたことがあって、私自身それを肯定していた。私は教育関係の仕事をずっと続けていながら子どもが好きではなくて、自分が親になるとしても、子どもを外側からの評価で見るような冷淡な親になるのではないかと思っていた。そこから時を経て、結婚して少し経って、この人との子どもなら楽しく育てられるんじゃないかなと思って妊娠出産に至ったわけだが、今ならあのときの私を好き勝手評してくれた人たちに「余計なお世話だ!」と言える。当時の私が肯定していたにせよ、あの言葉たちは私にとって呪いのようなものだったと思うから。

私に結婚なんて、私に子育てなんて、そういう思いは私の内部だけで作られたものではなくて、多かれ少なかれ他人からの言葉に影響を受けていた。だからこそ、結婚しても子育てしても、私は私でいなければと思っていた。あなたは状況が変わっても「変われない」でしょう、だからうまくいかないでしょう、と言われたから、私は「変わらない」でいることでその呪いを実現しようとしていたような気がする。そこにアイデンティティを見出していたのだ、おかしな話だけれど。

しかし子育ては、そんな呪いなど付け入る隙がないほどに蹴破って、新しい私を見つけさせた。そう、見つけたんだと思う、もとから備わっていた私の一部を。だから妙に馴染みがいいのだ。

世の中にはいろんな人がいて、向き不向きもそれぞれで、優先順位も様々。私はずっと仕事にはしっくりきていなかったけれど、子育てはしっくりきた。私にとってはそれはとても幸運なことで、子育てが楽しくて、お母さんをやっている自分が結構好きだ。

この1年、か弱くて未知で生存の責任をすべて負わなければならない赤ちゃんを育ててきて、私はお母さん機能を充実させるべく総力を注いできた。いまや、息子はよちよちながら一人で立って歩き、小さなほこりをつまんで食べようとし、階段を上り、自分で私の胸元を引っ張り出しておっぱいを飲む。確かに親の手助けや目は必要だけれど、1年前に比べれば、なんとまあ立派に一人で生きていることか。

息子が自力で生きられるようになっていくにつれ、私の力配分も少しずつ余裕がでてきて、自分のためにやりたいことにも手を伸ばし始めた。それのひとつがこのnoteで、私の抱えてきた淡い夢を引きずりながら自由気ままにキーボードを打つ夜は、とても楽しくて少しくすぐったい時間だ。

あとは刺繍。少し興味があって息子の1歳の誕生日企画としてかじってみたら思いのほか楽しくて、あれこれちくちく刺してみた。息子が寝ている時間しかできないから、その分noteがご無沙汰になったのだけど、1歳記念にしたことも今後まとめておけたらと思っている。

生き方っていろいろある。予想外なことも度々起こる。この1年、悩んで眠れない夜は数えきれないほどあったし、これからもそうだろう。でもそういう自分が弱った時に、ここなら大丈夫という基地をいくつか持っておくことは生きる上でとても大切だ。なるべくなら息子には、いつもどこかに余裕を持って接したいから、私は私を大事にしたいと思う。

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