「お茶」は静岡生まれの僕たちのアイデンティティー
作り手である農家さんが飲み手を想い、お茶を作る。そして、飲み手が作り手を想い、お茶を飲む。一坪茶園は、そんな世界を作り手と飲み手のみなさんと一緒に創っていきたいと考えています。
今回、一坪茶園の製造元である丸山製茶のグループ会社であるまるやま農場の若手茶栽培トリオ、清水さん、白岩さん、村越さんとお茶について、お話をしてきました。この農場では、農薬や化学肥料を極力使わない農法にて茶や野菜を生産しています。そこでは、若いメンバーが中心となって生産活動に取り組んでいます。この農園のお茶は、もちろん一坪茶園の定番やセレンディピティーのお茶に使っています。
僕たちが考える、「お茶」の未来
私が、お茶の未来について尋ねると、白岩さんは「茶業は、衰退していくと言われているけれど、僕はお茶の未来は暗いものではないと思っています」と話します。
「静岡は、美味しいお茶を作る産地として恵まれています。山間地で。2人1組で可搬型の摘採機を茶園の畝をまたいで持ちながらすべて手作業でお茶を摘採する手刈りすることは、キツく、いくら農作業が好きだとしても作業の限界があります。しかし今後、機械化が進んできていけば、農業の”辛いイメージ”が変わると思います。そして、何より静岡県の生産量の順位が鹿児島に抜かれたままではプライドが許さない。クイズ番組でお茶の生産量が1番多いのは?という内容で、回答者は殆ど静岡と答えるが、答えが鹿児島なのがとても嫌です」
私は、改めて、機械化できず作業効率の悪い静岡の中山間地帯(山間の茶園の呼称)のお茶が未来に生き残るためにどうしたらいいのか、質問してみました。
そうすると「中途半端だと生き残れないので、静岡茶としてのブランド価値を上げていく必要があります。手間をかけて作る高級茶、平坦地で機械化して大量生産していくけれど美味しいお茶、その両者が共存する世界を創っていきたいです。」と目をキラキラしなが彼らは話してくれました。
静岡県立農林大学校出身の3人
まず一人目の清水さん。
静岡市本山の小規模農家の出身。ご両親が茶園経営をしている、5人兄弟の三男。「長男が実家の茶園を継いでいます。実家の茶園は小規模なので、いつまで(経営が)続くかわからない状況ですが」と話していました。
農林大学校に入った理由を私が聞くと「なんとなくです」と彼は答えました。入ってみると「自分が今まで出会ってこなかった色々なお茶があって様々な発見がありました。そして、色々な仕上げ(焙煎)方法でお茶(の味わいや香り)が変わるのがとても楽しいです。」
清水さんにとってお茶に馴染みが強く、なんとなく足を踏み入れた茶業。しかしそこには、自身が知らなかった「お茶の魅力」に出会い、魅了されていきました。
2人目は、3人中で兄貴分の白岩さん。
実家は農家ではなくサラリーマン家庭に育ちました。茶業に入るつもりは、そもそもなかったが、高校は総合学科で一通り色々なことを学んでいく中で、屋外で体を動かす農業が一番好きだと気づいた言います。そして、高校卒業後は、就職するというよりも、専門的なことを勉強したいと考え、農林大学校に入学しました。
白岩さんは、日焼けしないように気をつけており、美白を意識しているというだけあって、農作業をしているとは思えないほど、色白です。農作業をしていると聞かない限り、農作業をしている姿の想像がつかない程です。
「静岡はお茶の産地だし、お茶は専門的。農林大学校を卒業して、ここまで来たなら、とことんお茶を突き詰めていきたい。そして、楽しいんでいきたいです。」と目をキラキラとさせて話してくれました。
3人目は、末っ子の村越さん。
浜松市天竜区にある高校で林業を学んでいたが、そうした中で、お茶より林業の方が厳しい現実を肌で感じ、改めて林業の道に進みたい訳ではないことに気づき、農業大学校に足を踏み入れました。
農業系のことを学んだし、農業系の分野で全く知らない分野での就職を模索していたところ、お茶に行き着いたそうです。お茶は、身近ではありましたが、自宅で飲む以外に接点はなく、改めて、お茶のことを全く知らないことがきっかけとなりました。
3人とも口をそろえて、「もともと体を動かすのが好きなので、農作業自体がとても楽しい。」と話してくれました。
「お茶」は、アイデンティティーの一部
丸山製茶の丸山社長は「彼らには、秘めた想いがある。」と言います。
まるやま農場は、若い人に農業に取り組んでほしいという想いで、農業大学校に求人を出しました。今の農業の問題は、農家の子供は農業をしたくない。一方で、非農家の子供が農業をしたいがる傾向があるそうです。
そして、今までとは違うアプローチで、農業をしたい人たちへアプローチする必要があり、農園経営も会社経営のようにしっかりと農作業をする従業員を養える組織になっていく必要があることを教えてくれました。
非農家の子供が(白岩さんや村越さんのように)茶農家になっていくのには、理由があります。それは、小さい頃から親御さんがお茶を淹れてくれて、それを飲んで育ち、気づかないうちに、お茶が大好きになっているから。「なんとなく」お茶の世界に入ったということが、3人の共通でしたが、実は「お茶」がそれぞれのアイデンティティーの一部になっていて、無意識にそれに突き動かされていることを肌で感じました。
偶然が必然になり生まれた”最強のチーム”
彼らがこんなに生き生きとしているのには、理由がありました。それは、彼らの上司であり、お父さん的な存在である、まるやま農場の茶業部 部長北島さんの存在でした。
丸板茶業組合(荒茶工場を経営する組織)が、まるやま農場に経営の引継ぎを依頼してきたタイミング(2020年)は、まるやま農場が農園規模拡大を目指し始め、北島さんが製茶機械メーカーを経て転職、清水さんと村越さんが入社、してきたタイミングとすべてが重なっていました。これは、お茶に対して想いのあるメンバーが偶然集まり”最強のチーム”が生まれた瞬間でした。
白岩さんは、お茶の摘採など茶園作業・管理をメインに担当、リーダーシップを活かし、3兄弟をまとめています。清水さんは、調べ物が得意で、静岡県内茶業指導機関(試験場やJAなど)とのやりとり・荒茶工場の製造部門を中心に担当。村越さんは、元々林業を高校から学び重機を使いこなせる為、農場での機械での茶園整備を中心に担当しています。
今、このチームで管理している茶園は、2020年に丸板茶業組合から4町歩(東京ドーム約1個分。1町歩=3,000坪=9,900㎡)を受け継ぐことになりましたが、その当時そこの茶園は荒れ果てていました。そこで、北島さんは、白岩さんを責任者にして、1反(1,000㎡=600畳=300坪)あたり、生葉で約15万円/反を収穫できるように。そして、この茶園から、品評会に出品するお茶も摘採し、品評会で入賞できるようにしよう、とゴールを決めました。入賞するためにはお茶の滋味をあげる必要があり、新たに茶園を育てていくことが不可欠でした。
こうしたゴールに向かい、このチームは、年齢に関係なく、北島さんがメンバーに仕事を任せる。必要な知見や人脈は惜しみなく提供し、やり方はメンバーに任せる。各自の強みをお互いに理解・尊重し、活かし合っていることが、お話を聞いている場の雰囲気からじわじわと私にも伝わってきました。
北島さんは、若いメンバーがいるからこそ、新しいことに今、取り組んでいけている。(北島さんと)同年代だけが集まっても今の仕事は絶対にできていない、と話してくれました。私自身も小さい頃からチームスポーツをやって育ってきた中で感じるのは、一人ではできないこともチームならやり遂げることができるということ。このチームから改めて「誰と一緒にゴールに向かって行くのか?」が大事だと、気づかせてもらうことができました。
若い農家の新規就農は、農業において、一番ハードルが高いのが事実です。そんな中、このチームのように、若い作り手たちの力をエネルギーに自ら課したゴールに向かい駆け抜けている姿を目の当たりにし、改めて、世界に向け、現代のライフスタイルに合わせた日本茶の美味しい楽しみ方を提案し、それをグローバルでカルチャーていく意義を改めて感じました。
次回は、私が海外展開における足掛かりをつかむべく、一人渡米してきたお話を書かせて頂きたいと思います!
(一坪茶園代表:脇奈津子)