古代ローマの反逆者が突き落とされた「タルペイアの岩」そこにまつわる悲しい伝説とは。
カピトリヌスの丘は、古代ローマの七丘の中で、一番標高が高いけれども(といっても海抜50mほど)表面積が一番小さな丘です。紀元前6世紀末にはローマの三大神を祀る神殿が建てられ宗教の中心地となりましたが、ローマが建国された当初は敵が攻め込んできた時の要塞として使われていました。
また、丘の南側の凝灰岩の断崖は、国家の反逆者が突き落とされる処刑場でした。その岩壁は、タルペイアの岩と呼ばれています。
このタルペイアの岩には、ローマ建国当時にまつわる悲しい伝説があります。
狼に育てられたと伝えられる双子の兄ロムルスによって建国されたローマ。ところが、男性の数が圧倒的に多かったため、近隣サビニ人の若い女性を略奪します。好戦的と知られていたサビニ人が黙っているはずがありません。女性を取り返すため、ローマを攻撃します。その時、ローマ人がたてこもったのが、カピトリヌスの丘。
古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスによると、サビニ人の王ティトゥス・タティウスはローマの軍司令官の娘で巫女であるタルペイアに「サビニ人が左腕につけているもの」と引き換えに城塞の門を開けるようそそのかします。左腕につけていた金銀の腕輪をもらえると思ったタルペイア。自国を裏切り門を開けますが、サビニ人が左腕に持っていた盾で押しつぶされ殺されてしまいました。(または、逃げようとしたところ、ローマの王ロムルスにみつかり、反逆罪でカピトリヌスの丘の崖の上から突き落とされるというバージョンもあります。)
または、ギリシア人プルタルコスによると、タルペイアはサビニ人の軍司令官ティトゥス・タティウスの娘で、父親の意志でロムルスと暮らすことを強いられ、生まれた時からこの悲しい運命に備えられたと記しています。
そして、詩人プロペルティウスは、タルペイアは、サビニ人の王ティトゥス・タティウスに恋していたため門を開けたとしています。いずれにしても、悲しい結末です。
しかし、これらの伝説は、一番古いリウィウスのヴァージョンでも、約700年もの後に書かれているため、信憑性には欠けています。
おそらく、タルペイアの伝説は、軍神の女神タルペイアから由来していると思われます。カピトリヌスの丘は、もともとタルペイウムの丘と呼ばれており、そこには積み上げられた武器の上で戦勝を祝う女神の像が建てられていました。そして、勝利の行方を左右する国家反逆罪に問われたものは、タルペイアの断崖から投げ落とされていたのです。
ローマ建国史によると、結局この戦いは、略奪されたサビニ人の女性が、現在の夫と父兄弟が戦うのを見ていられず、戦場に割って入ったため、休戦します。そして、サビニ人はローマと一つの国家をつくることに同意し、サビニ人の王ティトゥス・タティウスはその後亡くなるまでの5年間ロムルスと共同でローマの王を務めたとされます。
タルペイアというローマの女性が存在したかどうかは確かではありません。
でも、もし、存在したのならば、彼女が欲したのは金銀の腕輪でなく、まさに盾であったのではないかと思うのです。つまり、武器をすてて和平交渉を欲したのではないかと。結局理解されることなく殺されたのかもしれませんが、タルペイアの意思を継ぐサビニ人の女性が戦争の仲介に入ったのではないかと。
現在のこの世の中でも、タルペイアのような存在が現れ、戦いが早く終わり和平がもたらされることを願って。
参考文献:
https://it.wikipedia.org/wiki/Rupe_Tarpea
https://www.romanoimpero.com/2018/10/rupe-tarpea.html
https://it.frwiki.wiki/wiki/Tarpeia