ものすっごく邪魔、だと思ったお話
朝、仕事に向かうときに通る道で
よく見かける眼鏡の男子高校生。
いつも一人ニコニコ楽しそうに笑ってる。
軽くステップを踏むような歩き方がまたさらに楽しそうに見えて
私もつられて笑顔になってることに気づく。
…と
ここまで読んだ方は、どんな男の子を想像するんだろう。
私の見立てでは
この男の子にはたぶん軽度の知的障害と
歩き方の特徴から身体的な障害もある…と思う。
(もちろん間違っている可能性も多いにあります!)
…と
障害、という言葉でこの男の子のことを表現したら
さっきまでの想像とはまた違ったものになるのかな。
“障害があるから”
人目を気にせず無邪気に楽しそうに歩くその様子
…納得。
ってなるのかもしれないね。
いや、実際私もそう思った。
でもこれって、なんだか違和感というか
一人でも笑顔で楽しそうにステップをふむように歩くその様子で
私はいつも朝から幸せな気持ちにさせてもらってるんだよなぁ。
一方
ある意味“障害がない”とされる私の方は
人目を気にして自分の感情に理性でカバーかけて
朝の出勤をむすっとした顔でいるんだろうなと思うと
この笑顔の男の子の方が格段に心が豊かで壮大。
そのことに私はただただ素直に感動しているのだけど
でもこうやって誰かにこの話を伝えようとすると
障害があるという言葉を使ったら
その途端にそっちにイメージが引っ張られる。(はず)
だからやっぱり
ネガティブイメージが先行しやすい「障害」という言葉の強さは
ものすっごく邪魔、だと思った。
何かをカテゴライズする言葉は
その言葉自体が当事者による発信なのか
第三者による発信なのかで
伝わり方や受け取り方、言葉自体の温もりが全く違ってくる。
だから“障害”って表記に対する議論って決着しないんでしょうね。
あーぁ、また私むすっとした顔してた。
明日もあの男の子に会えますように。
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