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柳の木ってなんなん?

1.柳の木って素敵

「柳の木になりなさい」

部署異動の歓送迎会で、ある上司に言われた言葉。

「そよいだ様に見えるだけ。根っこは動かない」

すごい言葉だと思った。理想的な生き方だと思った。

組織で生きていくには、自分が迎合したように見せないといけないこともある。というか、そういうことの繰り返しだ。納得いかないことでもやらないといけないし、同意したふりをしないといけない。それが組織で働くということ。社会に出ればすぐわかること。でもそれは、時に不条理を感じるし、時に憤りを感じる。

そんな時、柳の木を思い浮かべれば、私は頑張っていけるかもしれないと思った。

染まったように見せて、心の中の信念は曲げない。


いいじゃん。自分を曲げるわけじゃない。

2.押し付ける人、押し付けられる人

でもそれは簡単なように見えて、私には凄く難しかった。

私の組織では、仕事をしたくない人がたくさんいた。自分さえ楽になればいい。人に押し付けられる仕事は押し付けちゃえ。

そんな人達に囲まれて仕事をすると、必ず文句を言わずに頑張る人、仕事を捌ける人に仕事が集まってくる。

正確には、働きたくない人が断れない人、受け入れてくれる人に仕事を押し付けてくる。上司も、仕事したくないワガママな人を正そうとして揉めるよりは、すんなりやってくれる人に任せた方が楽だし安全だ。大人はなかなか変わらない。

「押し付ける人」「押し付けられる人」。私は完全に後者だ。私は悲しいほどに「断れない人」だ。どんなに「この人自己中すぎる!何言ってんの!?」って思っても、瞬時に断ることができない。まずは自分が1回受け取ってしまう。なぜなら、いつもまず何か引っかかっても「自分に間違いがないかどうか」「自分の考えに落ち度がないか」丁寧に考えてしまうから。だから、1回受け取ってしまう。そして、もちろん後で「やっぱり相手がおかしいよな?私は間違ってないよな?」って思う。悩む悩む悩む。

「あー!あの時断っとけば良かった!今更断りにくいよ、どうしよう…」

で、我慢しちゃう。今から断りにいく勇気も元気もないし、それで相手と上手くいかなくなったら、自分が仕事で困った時に助けてもらえないかもしれないから。仕事がやりにくくなる。人間関係が面倒臭くなる。

そうしてるうちに、だんだん「文句言わない都合のいい人」になっていく。舐められていく。そういう関係になる。

そして、なぜだろう。懸念していた「自分が仕事で困った時に助けてもらう」という状況は永遠に来ない。

3.頼まれても断れる人になりたい!

それを学習すると、次は「頼まれても断れる人」になりたいと思う。そのために、どんな方法があるか考える。アサーションとか勉強する。相手を尊重しながらも、自分の意見を伝える方法。でもこれも訓練が必要。明日からやりましょうでできるもんじゃない。それをできるようになるまで、結局ストレスなのだ。

「どうやって断ろうか…相手が嫌な気持ちにならないように断る言い方…どう言ったらいいかな?まず、相手が自分を信頼して仕事を任せようとしてくれたことに対する感謝、それから自分の仕事の状況説明、そして代替案…?うーん…」

ストレス。

ストレスです。これも。

大体、相手が仕事を持ってくる理由は「私を信頼しているから」ではなく「この人なら断らずにやってくれそうだから」「この人なら気が弱そうだし頼みやすそうだから」。なのに、なぜ頼まれたことに感謝するの?無理です。

アサーションな対応は、相手にもアサーションな精神があってこそ成立するものだ。自分だけ、「相手を尊重しつつ自分の意見を伝えるスタイル」を取ったって、相手がそうじゃなきゃ全く通用しない。だって人によっては、一方的に自分の意見だけ(「これ、やっといて」とか)言って去っていく人もいる。相手には自分に対する尊重とかないのだ。そんな相手なのに、「私は今○○日までの仕事を抱えておりまして、その後でよろしければ対応できますが、よろしいでしょうか?」とか言うのを、引き止めて聞いてくれるわけないんですよ。

4.アサーションを目指すとして

そして、仮にそれが長年の訓練によりできるようになるとしよう。マスターするその時まで、毎回毎回“断り方に悩むタイム”を取らなければならない。しんどい。

そのうち、断ることに脳みそ使いまくることになる。いつも頼まれることに怯え、その時が来た時どうやってガードするかを考えて考えて考えまくることに時間を費やす。無駄。疲れる。

上手く断れたとしよう。たぶん私の性分だと、断った後に考える。「断ったの悪かったかな?あの人はどう思っただろう?私の印象悪くなってないかな?」って後で絶対モヤる。疲れる。

仮に訓練の結果マスターしたとしよう。多分自分は「面倒臭い人」になるだろうな。そうすれば、「あの人に頼むとごちゃごちゃ屁理屈言って断られるから面倒臭いよ」って思われて、頼まれる率減るかもしれない。その代わり、「面倒臭い人」認定はされる覚悟が必要。

なんか嫌だ。

自分を守るためには必要な手段。そうしなければいつまでも、「頼みやすい人」から脱却できない。わかってる。

でもなんか嫌だ。

だってこっちは真面目に自分の範囲の仕事頑張ってて、それができてない人が楽したいばかりに押し付けてくる仕事を弾くために、アサーションでちゃんと気を遣って説明して断るって当然のことをやってるだけなのに、なんでこっちが変な人、悪い人扱いされなきゃならんのだ?癪だ。すごく気に入らない。

5.柳の木はどれ?

そうこう考えているうちに、「他の人はどうしてるんだろう?」って気になってくる。人を観察する。するとどうだろう。我が組織は3種類の人種で構成されていた。「自分が楽をするために平気で仕事を人に押し付ける人」「真面目に一生懸命に頑張って、人に仕事を押し付けられても黙って諦めて働く人」そして「人が仕事を押し付けられてるのを見ても、自分が要らぬ火の粉を浴びるのは面倒だから聞こえないフリする人」


「柳の木」はどれだろう。


どうすれば憧れの柳の木になれる?


「自分が楽をするために平気で仕事を人に押し付ける人」か?人に仕事を押し付ける自分勝手な人間…は仮の姿で、そよいだ様に見せているだけで、本当はそういうのは良しとしてない人?
自分の性分と照らし合わせて考える。絶対定時で退勤する時に、その人の残業する様子を見る。「やったー!あの人が引き受けてくれたから、私は定時で帰ってゆっくりお風呂入ってテレビでも見よ♪」ってなる…ならない。たぶん、いや絶対、罪悪感に苛まれる。もう辛くて辛くて謝りたくなる。
要するに、できない。なれない。

じゃあ、
「真面目に一生懸命に頑張って、人に仕事を押し付けられても黙って諦めて働く人」か?つまり、文句言わずに引き受けて、そういうの私は絶対やらないし、あんな人になりたくないと密かに思っている人?
自分にできるか?ここで働くからには、自分勝手な人を受け入れて、諦めて、流して、達観してやっていくしかないって?
「いいのよ、私は。頑張るから。真面目に頑張るから。それができない人がいるのは仕方ないの。そういうものなの」ってなる…ならない。たぶん、いや絶対、残業しながらイライラする。「なんで本当はアイツの仕事なのに私がやらないといけないの?アイツの仕事したせいで自分の仕事が溜まっちゃってんだけど!」ってソイツを恨み散らかす。そんなの続けてたら絶対禿げる。
そういう人は尊い。そういう人が組織には必要。そういう人のお陰でこの組織は回ってる。
よくわかってる。
でも私には、できない。なれない。

じゃあ、これか。
「人が仕事を押し付けられてるのを見ても、自分が要らぬ火の粉を浴びるのは面倒だから聞こえないフリする人」。つまり、人が辛い目にあっているのを見て見ぬふりをして、自分を守ることを最優先して、心の中では同情している人?
これ簡単そう?自分は知らん顔してればいい。自己中の人とその人に被害を受けてる人、両方を無視して、自分が安全なら問題ないって?
「仕方ないのよ、私が口出ししたら自分に回ってくるもの。それは嫌だから、被害者はしんどそうだけど知ーらない!」ってなる…ならない。たぶん、それに口出ししなくとも、心の中で「やべーなコイツ!こんなに頑張ってる人によくそんな事できるよな?」って思うし、自分が押し付けられた人を置いて先に退勤した後、帰宅してから考える。「あの人何時まで残ってるだろう…大丈夫かな?」って。そんなの考えてたら、帰ってもモヤモヤする。自分に何かできないかと思ってしまう。何故か物凄い罪悪感と心配に襲われる。
やっぱり、できない。なれない。


え。どうすればいい?

そのどれにもなりきれない私は。


柳の木ってなんなん?


6.柳の木を貫けるか?

柳の木って素敵。柳の木になれたら多分ラク。絶対ラク。

でも…

でも………

私には…

私には……


……なれないよ。


私は柳の木にはなれない。私は幹がスッと真っ直ぐ伸びた杉の木なの。そうやって生きてきたの。大きな風が吹いて、周りの幹がゆらゆらそよいでも、私の幹はそんなに大きくそよげない。そうやって生きてきたことが、誇りなの。周りが馬鹿だって言ったって、私はそうやって生きてきた。それで職場で苛められたりパワハラに遭ったりした。損してきた。でもそれが私のアイデンティティなの。

柳の木になれたなら、この世の中どれだけラクに生きていけるか、よーくわかってる。でもね、でも私には無理なの。柳の木になるために、幹をふにゃふにゃにして、そよいでみせて、そのための努力をする。アイデンティティを変える。

本当に染まるか、染まったふりをするか。本当の気持ちを全部全部心に秘めて、「私は違うのよ」って腹の中で思ってる。職場の私は本当の私じゃない。自分を守るために曲がったように見せるだけ。

できる?

それを頑張れる?

ずっと定年するまでだよ?

演じきれる?

演じる努力を続けられる?

何十年も?


あ…無理だ。

無理だよ…


7.もう、やめた!そっちがそれなら、そのままで。

じゃあ…

じゃあ…もういいや!やーめた!柳の木になるの、やーめた!

私は杉の木なの。私は私。馬鹿なの。それでいいの。それで損してるとか、こんな世の中生きていけないとか言われても知らない。

「組織で働く、生きていくってそういうことだ」?

は?わかってますよ。おっしゃる通りですとも。それが賢い生き方です!ごもっともです!!

でも!
でもここは私の居場所じゃない。一日の大半を過ごす、人生の大半を生きる場所でずっと自分を偽り続けることは私にはできない。みんなはできるのだとしても。

だから、私の生き方認めてくれるところ探してみる!ここに染まれないし、染まりたくない。仕事を押し付ける側にも、押し付けられる側にも、面倒臭い人にも、傍観してやり過ごす人にも、私はなれない。ならない。なりたくない。


「やめた!」


そう考えると、ラクになった。
いいじゃん。今の自分で。
いいじゃん。私の生き方で。

先人からは、きっとこう言われるだろう。

「そうやって、ずっとぶつかって生きていくのかね?」と。

真っ直ぐ生きるってそういうこと。いろんなものにぶつかる。痛い思いする。でも真っ直ぐ生きて何が悪い?人に迷惑かけずに、誰かを傷つけることなく、自分のポリシー貫いて何が悪い?放っとけコノヤロウだ。

ってことで、その仕事は辞めた。辞めたった!

もう知らん。私は真っ直ぐ生きたい。

そっちがそれなら、そのままで。
どうぞ組織も変わらずに、ずっと自分勝手でワガママな人を大事にしてください。

そっちがそれなら、そのままで。
私はそのままの私で生きていきます。
行けるところまで。

いいよね、私が私でいられる場所。
どっかにあるはず。
ないなら作ればいい。
って言っても、まだ何もいい案ないけど。
まぁとりあえず、今はここが私の居場所。

そしてこんな私が、いつか誰かの役に立てたなら。誰かの心に少しでも明かりを灯すことができたなら。そんな日がくることを願って。私の初めての投稿とします。


8.最後に

最後まで読んでくださった方、ありがとう。共感してくれる人いるかな?たぶん「こいつ馬鹿だな。現実が見えてない」って思う人がたくさんいると思う。でも、この広い世界にたった一人でも「あー、わかる」って人がいたら、私もなんだか心強いな。そして、「へー、自分と同じように悩んでる人がいるんだー」って思って読んでくれる人がいたら、その人には「一人じゃないんだ」ってことが伝わったらいいな。

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