【悪性リンパ腫・闘病記㉓】冬になったのは幸運だった。
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冬になったのは幸運だった。一日が早く終わるように感じるから。
無菌室の個室、日に6回のバイタルチェックと点滴の確認、看護師さんと談笑し、身体の動く日はリハビリをする。エアロバイクを15分間漕ぐ。入院して数日後、担当の理学療法士さんがやってきた。筋力測定をすると、客観的で目を背けられない体力の低下が私の心に突きつけられた。
「多少きつくても身体を動かさないと、体力が低下した状態に身体が慣れてしまう。そうなると体力を正常値まで戻すのは困難になるから、だから辛いと思うけどリハビリをしよう」
前向きで力強くて論理的な話しやすい理学療法士の方だった。病気になったことで知れたことは多いが、その中でも特に医療従事者たちの責任感の強さと、淡々に見えながら常に愛情と冷静さを失わない姿勢には頭が上がらない。間違いなく、彼ら彼女らは社会で絶対に必要なヒーローだ。
病気になったことを公表した時、痩せ我慢で言った言葉。
闘病を経て、人生観は確かに変わった。改めて闘病記を書き続けて良かったと思う。思考の変遷が分かるから。虚勢、希望、不安、楽観、その全ての感情の集大成が今、この瞬間の私の精神を形成している。ただ肉体は違う残酷さを持っていた。時間の経過に沿って、体力や筋力は緩やかに失われていた。
お風呂場で息が上がる。
階段を上り下りすると膝が痛くなる。
スマホを落とすことが多くなった。
アスリートの世界では20代後半が肉体のピークと言われている。だから、この体力が私の人生にとってベストな状態かもしれないと想像すると、これからの未来が真っ暗になる。それだけは絶対に嫌だ。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言ったのは古代ローマの詩人らしい。とある番組では、人間は肉体的ストレスの方が精神的ストレスより感じやすいから、筋トレをするとポジティブな性格になると言っていた。前向きな脳筋たちの言葉が耳に入ってくる。
「頑張らなくていいよ」と言ってくれる人がいる。きっと気を遣ってくれる優しい方なんだと思う。
でも、絶対に頑張らなきゃいけない局面が人生にはある。この痛みを耐えるために、この悲しさを埋めるために、「頑張る」以外方法がないと思うことが多々あった。だから、誰かから言われる「頑張って!」は「だよね、僕もそう思う!」って感じがして嬉しい。
だから、積極的に自分に負荷をかけてみることにした。それが、無菌室で決めた絶対のルールだ。
歩く、バイクを漕ぐ、そして自分ができると思ったことをとにかくこなす。意味とか考えちゃダメなんだよ。日が暮れた後、今日を生きたことを実感できたのは、脳と身体が動くうちにやれることを全部やれたからだ。
病室では電気をつけない。
冬になったのは幸運だった。
少しずつ短くなっていく一日の中でできることを、明日もするだけ。