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【悪性リンパ腫・闘病記㉝】父親目線の闘病記
前回、「母親目線の闘病記」を書きました。
闘病をしていたのは、病気になった当事者だけでなく、その関係者も同じ。いや、当事者とはまた違う苦しみを、関係者は感じていたのだなとつくづく思います。
そして、その関係者視点での闘病を、私はまだ経験したことがありません。近しい人間が病気になり、命の危険にさらされる——そのときに抱く気持ちは、私の口から語ることはできません。
だから、これまで私の「恋人」と「母親」に、それぞれの体験を綴ってもらいました。私自身も、彼女たちの言葉を読むと、精神的な余裕のなさから悪態をついてしまったことを申し訳なく思ったり、客観的に自分を見ることで新しい発見があったりしました。
特に気づいたのは、恋人や母親と関わるとき、「喜怒哀楽」の感情が強く出ていたこと。会えたら幸せで嬉しい。その一方で、些細な言葉に傷ついたり、怒ったりもする。病気で弱っている私の表情を見て、同じく弱った表情になってしまった彼女たちの姿を見るたびに、苦しい気持ちになっていました。
無理もない話です。だって、自分が不幸にしてしまっている人が目の前にいるのだから。自分の存在価値がわからない。極論を言えば、「死んだほうがマシだ」と思ってしまった当時の自分を、責めることはできないと思います。
ただ、そんな私がどんな状況でも感情を一定にして関われた人がいました。
父です。
長野県の病院で腫瘍が発覚し、がんの宣告を医師から受けるとき、父は隣にいてくれました。動揺しながらも必死に私を支えようとする母とは対照的に、父は私の前では冷静に病院探しや治療法を調べ、「大丈夫、日本の医療ならがんは治る」と励ましてくれました。
父は単身赴任で地元の福岡を離れています。私が福岡の病院に転院してからは、治療が始まった序盤に会ったのを最後に、私が退院するまで直接会うことはありませんでした。その間、週に一度くらいのペースで電話をしましたが、その時間がとても心地よかったんです。
父は論理的かつ理路整然と話します。そして、知的好奇心が旺盛。私の病気を心配してくれているのは大前提として、がんに関わる知識をどんどん吸収する父の姿は、私の目から見ると……楽しそうだったんです(笑)。
例えば、私が主治医から投与される薬の説明を聞き、それを父に電話で共有すると、
「〇〇って薬ね。効果は調べたけど、医師は何て言ってた?」
「この薬の副作用は2週間後に出るらしいけど、実際どう?」
それを受けて私は、
「主治医は『白血球を一度破壊して、自然回復するのを待つ』って言ってたよ。骨髄に異常がないかも調べてもらった」
「いやー、副作用はきつかったね。口内炎は出なかったけど、味覚障害は継続中」
みたいに返す。
父と話していると、病気で苦しんでいる自分とは別に、もう一人の自分がいて、その自分が冷静に状況を見つめているような感覚になりました。病気の症状や治療の仕組みについて客観的に考える時間が生まれたことで、不安や痛みだけに意識を向けるのではなく、少し距離を取って自分の状態を整理することができたのです。恋人や母は、私の気持ちに寄り添い、感情の起伏を共有してくれましたが、父は治療の過程や医学的な知識を一緒に整理し、冷静に向き合う手助けをしてくれたのだと思います。
さらに、「私という存在が、誰かの役に立っている」と思うことができました。
闘病中、恋人に「僕と付き合い続ける意味がわからない。100歩譲って、がん患者と過ごすことが君の人生のプラスになるならまだわかる」と発言したことがあります。これは紛れもなく、本心から出た言葉です。だからこそ、父が興味深そうに私の病気について調べ、質問してくれたのが嬉しかったんです。
でも、父が当時どんな気持ちだったのかは、父にしかわかりません。良い意味で物理的な距離があったからこそ、私は父の不安な表情を見ることも、父が弱った私を見ることも少なかった。それが、お互いに冷静な態度で関わることにつながったのかもしれません。
これから、父が書いてくれた闘病記を綴ります。ぜひ、答え合わせをするような気持ちで読んでくださると嬉しいです。
・・・
父親目線の闘病記
振り返ってみると、病気が発覚した当時、私はなかなか実感をもてずにいた。
単身赴任先での日常に変わりはない中で、なんだか悪夢を見つづけている気分。あの時の感情、感覚を言語化するのは今でも不可能だ。
息子の夏輝が病気と診断され、ほっておくと死んでしまう。そんな現実が、頭では理解できても、事が大きすぎて心が追い付かない。
本当に現実のことなのかと。
とはいえ、現実は確かにそこにあった。仕事をしている最中にふと涙がこぼれたり、一日中動悸がしたり、一晩中眠れなかったり。頭から夏輝のことが離れない。
単身赴任中ということで、私が彼とやり取りするのは主にLINEと時々の電話だった。少しでも夏輝と繋がっていたいと思っていたことを思い出します。先日、当時のメッセージを読み返してみた。
そこにあったのは、意外にも明るい言葉たちだった。
「大丈夫!」
「ちょっと疲れたけど平気!」
「まぁまぁかな!」
少なくとも、表面的にはそう書かれていた。病気のこと以外の話も多かったし、昔から続けていた他愛もない日常的なやりとり。ひとつ気が付いたのは、やたら「!」多いことくらいか。
ただ、本当の現実は違う。何も変わっていないようでいて、すべてが変わってしまったような。そんな妙な感覚。
もしかしたら、私たちは互いに何かを演じていたのかもしれない。彼は私を安心させようとし、私は彼を不安にさせまいと。
どこまでが本音で、どこからが演技だったのか——今となってはもう思い出せない。
病気が発覚してから治療が終わるまでで、私が特に一番辛かった時期は、病気が確定するまでの二ヶ月間だった。
「ただの良性腫瘍かもしれません」
「いや、おそらく縦隔腫瘍でしょう」
「胚細胞腫瘍の可能性もあります」
「悪性リンパ腫の疑いも……」
検査のたびに期待しては打ち砕かれる。
「良性でありますように」→「悪性です」
「転移していませんように」→「PET検査、全身あちこち光っています。膵臓も」
悪い冗談かと思った。
「なんで僕じゃなくて息子なんだ! 順番がおかしいだろう!」
そんな理不尽な怒りを感じて。
でもそんなことを言っても現実は変わらない。
それでも時間は流れる。おおよそ病名が判明しつつある頃、私の中でひとつの決心が固まっていった。
「どんな事実が突きつけられても、冷静に受け止めよう」
「俯瞰する視点を持ち続けよう」
そんななか、夏輝から病気判明の連絡が来た時、悲しみよりも先に、私は少しホッとした。
「これでやっと治療がはじまる!」
不思議なものだ。
闘う相手の正体がわかり、治療がスタートすることの嬉しさ。大変な病気であることは分かっているけど、ここからは反撃だと。
治療が始まると、私は自分でも驚くほど強くなった。もしかすると、夏輝は「もっと悲壮感を持って接してよ」と思ったかもしれない。でも私は、徹底的に病気を知ることで冷静さを保った。悪性リンパ腫とは何か、抗がん剤の種類や作用、副作用のメカニズム、治療の最新データ。調べれば調べるほど、気持ちが落ち着いた。
LINEは他愛もない話しが中心だったが、電話では医学的な話が中心だった。僕らはもともと理屈っぽい性格で、昔から会話はいつも分析と考察の応酬だった。闘病中もそれは変わらなかった。不謹慎かもしれないが、それはそれで楽しかった。
ただ、実際の闘病は、決して楽なものではなかったことも知っている。治療は無慈悲に彼の体を痛めつけ、精神を削った。それでも、彼は笑っていた。(少なくとも私の前では)
SNSに投稿される彼の言葉は軽やかで、時にはユーモラスですらあった。私は単身赴任先でそれを読むたびに、救われる思いがした。
でも、本当の彼を知っていたのは、そばにいた妻だ。彼の痛み、苦しみ、それを日常として支え続けたのは彼女だった。私はその一部しか知らない。妻から彼の様子を聞くたびに、むしろ彼女の精神状態が心配になることもあった。妹たちも、大丈夫だろうか。
闘病は、家族全員のものだった。
それでも私は、あるときから確信を持ち始めていた。
「彼はきっと大丈夫だ」
理由はない。ただ、そう思えた。
結局のところ、私たち関係者が向き合うことになるのは自分自身の感情だと知った。悲しみ、喪失感、怒り、不安、無力感、虚無感。。。
夏輝は言った。
「落ち込んだって病気は治らないんだよ。だったら笑ってる方がいいじゃん」
私にできることは、ただ彼に寄り添うことしかない。私は、出来る限り悲壮感を持ち込まず、日常を生きようと努めた。
特に夏輝の前では。
ちゃんとできてたかは分からないけれど。
いつか夏輝に当時の自分がどう見えていたか聞いてみたいと思う。
さて、治療はひと段落ついた。ここからは夏輝の人生のリスタート。
幸い、大勢の方が今この瞬間も夏輝のことを気にかけてくださり、実際に応援してくれている。大勢の方々に支えられていることに気づき、感謝の気持ちがしっかりと彼の胸に刻み込まれたことは、闘病生活における唯一のプラス面かもしれない。
最後に、
献身的に治療にあたってくださった医療従事者の方々には、ただただ感謝しかない。そして何より、家族のフロントで頑張り続けた妻。
本当に、ありがとう。
(原文のママ)
・・・
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。いかがでしたでしょうか。
闘病とは肉体の苦しみと同じくらい、いや、それを凌駕するくらい精神の苦しみが強かったです。しかも、その苦しみは当事者だけのものじゃない。加えて、自分の遺伝子を継ぐ我が子が命の危険に晒される、親の気持ちは計り知れません。
改めて、お母さん、お父さん、本当に私を救ってくれてありがとうございました。
次回は1匹の犬の話をしたいと思います。「絶対に病気を治さなければいけない」と強い決意を持してくれた。そして、親の気持ちを想像させてくれた。そんな大切な犬との出会いの話です。