娘はなぜ「娘」をやめられないか#6
毒母と娘の関係は、不健全であるにも関わらず、断ち切りたくてもなかなか断ち切れないという現状があります。
娘はなぜ「娘」をやめられないのか?
私の実体験エピソードから分析していきます。
今回は#6です。
父親の死
音信不通だった7年間。
沈黙を破ったのは「父の最期」です。
これ、よくあるパターンですよね。
子供たちは、実家との関係を理解できる年齢にまで成長し、もう「お年玉は?」という類のことは言わなくなりました。
娘の立場をとっても母親の立場をとっても状況はあまりに辛く、
「世の中には色んな人がいるのよ」
「お年玉ゲットしたいなら、媚びるなり甘えるなりして、自分で関係を構築したらいい」
と、子供たちの判断に委ねさせたことがキッカケとなったのかもしれません(笑)
義父母からの無償の愛を存分に受けていた子供たちにとっては、タイプの違いすぎる祖父母から、多少の社会性を学んだのかなと思います。
子供たちは結局、自ら動くことはありませんでした。
義父母からは「ご両親には連絡しているの?」と尋ねられますが、適当にあしらう技術を徐々に身につけ、かわす方針に切り替えていきました(笑)
うすうす感づいていたとは思います。
ですが基本、他人なので、本音や心の内を話す必要は全くないですからね。
子供が小さいうちは、筒抜けで不可能だったことも、成長とともに環境も変化していくんですね。
※ ※ ※
7年の年月を経て、母から1本の電話が入ります。
お互い、久しぶりが「ド」を超えており、第一声からも、何からどう喋れば良いか、ギクシャクの極みとはこのことです。
「(父の)死期が近いから、最期に会いに来てほしい」
要約すると、これを伝えるだけの電話。
それだけ、シンプルに、冷静に、伝えれば、
「わかった、連絡ありがとう、最期に会いにいきます」
だけですんだわけです。
ですが実際はというと、まぁとにかく感情をぶつけられました。
「なんで、こんな長い間、電話してこないのか」
「なんで、こんな長い間、父親の顔を見に来ないのか」
(いや、しらんがな)
音信不通の間の、壮絶な介護生活の鬱積、父親に会いにこない娘への怒り、母を無視し続ける娘への怒り…親不孝者!
とにかく、怒り怒り怒り…
久しぶりのサンドバッグ(笑)
交わる部分がなくなり、淡い期待も捨て去り、音信不通を貫いきた7年だったけれど、基本パパっ子だった私にとって、最期は父に会っておきたいという想いだけは、どうしても捨てられませんでした。
母は自分を否定したり拒否する相手には、徹底的に攻撃するタイプです。
もしかしたら
父の最期ですら連絡してこないかもしれない。
葬式にも声をかけられないかもしれない。
その実権は母が握っているのです。
そこまで覚悟をしていました。
実際、電話でたわいもない言い合いになった時に、そう捨て台詞されたことがあったので。
でも、それでもかまわないと思っていました。
それでも、母との関係を断つほうが勝っていたからです。
本題は何なのか、解読に時間を要しましたが、私は終始感情をあらわにせず完全「凪(なぎ)」体制で対応します。
(汗)それがまた気に入らないんですね。
投げた玉を受け取らないわけですから。
きっと「怒り」に対し私にアタフタしてほしかったんでしょうね(笑)
怒りの感情は頂点に達し、とうとう泣きじゃくり…
昔の苦労話を延々と持ち出し、自分はこんなにがんばって子育てしてきたのに、理解できないのかと(怒)、もう論点はずれまくり(笑)
我の通しっぷり、その現し方…
まるで母親の胸で泣きじゃくる5歳児のよう。
…この様子には本当に驚きました。
そして、気づきます。
この人は愛情不足なのだ
歳老いても全く精神的自立ができていない
結局ムダなやり取りによる疲弊の中、
とにかく最期に父に会いに来いと言っているとわかりました。
私は、自分に問いかけます。
すべてを取っ払って考えろ!最期の父に会いたいのか?
答えはイエスでした。
そして、「もうひとふんばりだ」
策士の私がつぶやきます。
「わかったよ もうわかったから 会いにいくから」
そういって、母を安心させました。
それからは、母とまた連絡を取るようになりました。
会いにいく日程や、どこに泊まるかとか。
事務的に済ませたいのは山々ですが、それを母は許しません。
油断をすると、すぐに5歳児にもどってしまいます。
私が母親になって、適度に甘えさせてあげることでしか、関係を保つことができないのです。
私は、父に会うために、最後の策士ぶりを発揮しました。
30年経っても、私は、まだ娘をやめることができませんでした。
電話から1ヶ月後、父に会いに行きました。
男親は口ベタですから大した話はしませんでしたが。
お互い顔をみることができた、それだけで十分です。
最期に握手をしました。
衰弱した体からは想像もできないほどの強い力…
握り返してくれたその手の感触は
いまでも忘れることができません。
最期に会えてよかった…
握手から1ヶ月後、
父は、ひとりで、たったひとりで
天国へ旅立ちました。
#7へつづく
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