自閉症の弟のこと Vol 2
弟が、この世に生を受けた頃は、正直な話、弟のことを、かわいいとは思っていなかった。
私が6歳のときで、二人姉弟だ。
両親が九州出身で、その頃の九州の考え方は男尊女卑であり、両親の実家は孫で長男ということで大喜び。
祖母が田舎から出てきて、当時、私たちが住んでいた東京の社宅全戸にお赤飯を配って歩いたりして、上へ下への大騒ぎだったことと、それまで一人っ子状態で、親の愛を一身に受けて育った私は、親を取られたように感じていたのである。
弟の障害が発覚すると、父の実家から「うちの家系にそんな血統はいない」なんてひどいことを言われたこともあった。
でも、母がある日、全力で子育てをする宣言を家族にしてから、父も不器用ながら子育てに協力するようになり、私も幼いながらも、状況を理解して、弟の世話をするようになった。
幼い頃の弟は、とにかくじっと大人しくしていなかったので、目を離すことができなかった。
行方不明になって、警察のお世話になることが度々あった。
また、尿意や便意を家族に伝えるタイミングが合わなくて、トイレの失敗もよくあった。
よく何やら、普段、学校の先生に言われていることを、ぶつぶつ独り言のように呟いていたかと思うと、何回も同じ会話を繰り返して話してくる。
これが、家族にとっては、非常に忍耐が必要で、正直、少し黙っててくれないかなと思うこともある。
でも、それが彼にとって、人とのコミュニケーションの取り方なんだろう。
本当は自分の思っていることをもっと的確に伝えたいのかも知れない。
機嫌の良いときに雄叫びを上げたり、自分の頭を自分の手で、結構強くコンコンと叩くような自虐行為もあったが大人になるに従い、落ち着いてきた。
普通の子がよくやるような、かわいい悪戯もした。
私のリカちゃん人形のサングラスが無くなって探したけれど見つからず、諦めていたら、ある日、飾ってあった雛人形のお内裏様がサングラスをしていた、なんてこともあった。
庭から蛙を捕まえてきて、それを食卓の茶碗に入れて、人を驚かせたりすることもあった。
本が好きな両親は弟に言葉を覚えさせるために、沢山の本を読んで聞かせてくれた。
弟は、片っ端からいろんな本を読んで欲しいと要求するようになり、また、同じ本を何回も人に読ませることもあった。
そのうちに、読んでもらった本の内容を暗記するようになり、父の200ページ以上もある盆栽の本の内容を一字一句正確に覚えていて、それを私たちに読ませて私たちが言い間違えると、わざと訂正するのだ。
本の内容については、理解していないのだけれど、この暗記力と集中力には、両親も私も驚いた。
それだけに両親は、弟が小学校低学年のうちは、普通の生活が送れる日がくるのではないかという期待もあったようだが、会話のキャッチボールができるようにはならなかった。
弟は中学校ではなく、養護学校に進学した。
これで、無理のない環境に行けたのかと思いきや、思わぬトラブルが発生した。
彼は食事のときに食べることに集中しないので、非常にゆっくり食べる癖があった。それを担当の先生が矯正しようとしたのか、どうやら食事を急かされたらしい。
彼は急かされると固まってしまう。食べること自体がトラウマになり、摂食障害で、一時期はガリガリに痩せてしまった。
母がとても心配して、食べようとしない弟の口元まで、箸を運んで食べさせていた。
高等部に進学する頃には、担任の先生も変わって、少しずつ食べられるようになって、精神的に安定してきた。
ローラースケートをしたり、毎朝、養護学校で育てている鶏のお尻を持ち上げて、生まれたてホヤホヤの卵を集めるような仕事もこなすようになった。
体の弱かった両親は将来を考えて、弟が18歳のときに施設に入所することになった。
入所した当時は、なんだか淋しい気もしたけれど、それが両親の負担の軽減になったし、私が弟との良い関係を築けていられるのも、施設あってのおかげだと思う。
弟はイクラが好きなのだが、回転寿司に行って、母が回っているイクラを取って弟に勧めたら、食べようとしない。どうしたのかと思っていたら、一言
「乾いてる」
私だって言わないようなことを言う。
父が他界したとき、お葬式でも泣かなかったので、父の死を理解していないのかなと思っていたら、ある日、仏間に一人で遺影に向かって号泣していた。
一見、理解していないようにみえて、ちゃんとわかっているのだ。
ひとりの大人として、尊重するようにしている。
よく、自閉症の原因は幼少期のワクチンが原因だとか、栄養失調が原因だとか、いろんな情報はあるけれど、私はもはや、弟のそれを障害だとは思わないことにしている。
ひとつの個性なんだと思う。
彼は本と珈琲をこよなく愛しており、外出時にカフェに行くのが、大の楽しみである。
そんな弟と会うのが、私にとっても癒しになっている。
童顔なので、Tシャツ着てキャップなんか被っていると、なぜか中高生みたいに見える。
一緒に歩いていると、「息子さんですか?」と言われるので、すかさず、「いいえ、弟です。」と答えている。