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コンフォートゾーンを、変える選択(子育ての話)


わたし、夫、息子(0歳9か月)の3人暮らし。

息子が生まれてから、世界がひっくりかえったように、考えること、見えるもの、何もかもが変わった。

生活リズム、ワークライフバランス、街を歩いていると目につくもの、会う人も行くところも、読む本も、夫への接し方(笑)も。

妊娠・出産前には、やりたいときにあたりまえのようにできていたことが、できなくもなる。


わたしにとってのそれを一つ挙げると、
「ひとり旅」だ。

旅と言ってもわたしの定義はゆるく、日帰り/泊まり問わず、遠くの山を登ったり、近くの街をただブラブラするのも含まれる、気まぐれで道草だらけの「ひとり旅」。
旅先で必ずすることは、辿り着いたカフェでコーヒーとスイーツを味わいながら本を読んだり何かを書いたりすること。



あぁ、懐かしい。
そんな「ひとり旅」は形を変え、抱っこ紐の中の息子の寝息と体温を感じながら、近所のカフェで飲む束の間のコーヒー時間となった。

生後半年ごろまではまだ、息子は昼寝の回数も多く、抱っこ紐で外に出てしばらく歩くとこてんと眠っていたので、そのすきにカフェに入ることができたのだった。



そして、季節がひとつふたつ巡り、9か月になった息子。

身体を動かすのが大好きで、目もよく見えるようになり、知らないもの、初めて見るものに好奇心いっぱいで。
外を歩いていると、車を見て、木を見上げ、飛ぶ鳥を目で追い、葉っぱに手を伸ばし、ちょん。

そんな息子と店に入り、親が席につこうものなら、身体をよじって抱っこ紐からの脱出を試みる。
こんな面白そうなところに来たのに、紐などに収まってられるかと!
そしてひとたび解放されると、机の上にあるメニュー表、おしぼり、コップを検品(なめる)。
家から持参した見慣れたおもちゃなど見向きもせず。
いいものを見つけたのに遠ざけられたり、自由に動きたいのに捕まえられたりすると、ぷんぷん怒る。



あの自由で余白に満ちた「ひとり旅」は、いよいよあとかたもなくなった。笑


夫や友人とゆっくり外食、本屋巡り、美術館2時間、特急あずさでふらっと松本、上高地、
そうそう、大の字になって朝までぶっ通しで寝ることも……


これからも、今までのようにできなくなっていくことが増えていくんだろうなぁ。でも、赤ちゃんが生まれたんだもの、しかたない。がまんがまん。





と、ここで思考がストップしてしまいがちなのがわたしである。
そうすると、何が起こるか。
『やりたくてもできないこと』『失ったもの』に脳がフォーカスして、「ない」がめっちゃ「ある」ような現実が見事に完成するのだ!

これはマインドの問題。とらえ方、認識の問題なのだ。何にフォーカスするか。それは自分で選べるのに。



ここで、ある日の外食ランチにおける、夫婦の意識の違いを比べてみよう。


【わたし】
息子よ、口に入れても安全なもので遊びながら、待っていておくれ…いや無理よね…。おっと、それはなめちゃいかんぜよ!!
やっぱり夫と交代で食べるしかないか…せっかく来たのに、ゆっくりはできないな。
おっと、不機嫌になってきたぞ、早く食べねば。


【夫】(想像です)
息子の「ありのまま」を、あたりまえとして受け入れている。
だから、それに対して(親が)大変だとか、(子に)こうしてほしいとか思っていない。
いい子、悪い子、というフィルターもない。
そもそも、みんなで落ち着いてゆったりランチしている理想の絵を描いて行っていない。だから、「外食難しくなってきたねー」とわたしが言っても、「あ、そう?」って感じ。

補足:夫には、なにごとにも一喜一憂せず、ものごとを俯瞰して見つめる力が、たぶん先天的に備わっている。


ご覧のように、
わたしには「できない」とか「せっかく」という言葉が出てきているのに対して、
夫は良い悪いというジャッジをせずに、状況をフラットに捉えているのだ。
(くそっ、お主なんでそんなことができるのだ?)


同じ出来事に直面しても、マインド(考え方、価値観、ブロックなど…)がちがえば、とらえ方がちがって、でてくる感情もちがう。


わたしのマインドに
・コンフォートゾーンを侵されたくない
・ルーティンを急に大きく変化させたくない
・今までできていたことができなくなると悲しい
みたいなのがあるのよね。

これは潜在意識ではたらくから、
顕在意識では「わたしは柔軟♩臨機応変⭐︎」とか思っていても(思い込もうとしているからこそ)、無意識では全然ちがう感情がでていることに気づきにくい。


いやいや、
赤ちゃんが生まれたら自分のコンフォートゾーンを保っていられないなんて、

当たり前や!!!


わたしとも夫とも誰ともちがう、ひとりの新しい存在がくわわったのだ。
ひとり暮らしとも、ふたり暮らしとも、変わるんだ。変えていくんだ。これから先は、わかりきっている心地よい過去の繰り返しを当てはめるんじゃなくて、未知なのだ

ひとに、自分のコンフォートゾーンを押し付けるなんて、もったいない。世界を自分で狭めているだけだ。予測可能な未来ばかりじゃ、つまらない。


さきほど外食中の息子の様子を書いたけれど…、
書いていて、くすっと笑えて愛おしくて。
こんな息子とともにランチってさ、いや、最高じゃないか?
ありきたりな言葉だけれど、こんなの今しか経験できないこと。
それを大変ダー大変ダァーと、わたしはさ…。


今わたしがフォーカスしたいのは、失ったものではなく、息子のおかげで日々にプラスされた豊かさ

息子が求めていること、楽しんでいること、教えてくれること、それをしっかり見て、感じる。
新しい考え方、新しい楽しみ方、新しいなにかに心を開く。
そうすれば、大げさだけど新しい世界が見えるような気がする。

これまでもいろんなところへ行ってきたし、この先またひとり旅できるようになる。
息子はテーブルには乗らなくなるし、メニュー表をかじることもなくなる。
むしろ今こそ、今だけのハプニングがあふれた愛すべき日々だ。
この道中を楽しまない手はない。



コンフォートゾーンを、変える。
それはもう、日々、意識して変えるのだ。
わたしが意識せねば、わたしは変わらないのだから。




読んでいただき、ありがとうございました。

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