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誰もが誰にも見せない自分を抱えて生きている。

noteを書いていること、文章を書くのが好きなこと、
わたしは誰にも言っていない。

わたしだけの秘密、うふふ、と軽やかな気持ちがあるからじゃない。

また変な目で見られても、生きにくいしな。
と変な角度で構えているのだ。

中学に入学してまもなく、どうにも学区の違う小学校から来たクラスメイトの女子とわたしとでは、精神面での成長速度が違った。
クラスの男子をすでに異性として見るようになっていた彼女たちは、みんな友達!いえーい!と誰彼問わずに話し、遊ぶわたしが鬱陶しかったに違いない。

2学期に入る頃になると、毎日下校する頃には靴に画鋲が入っていた。

そこで声をあげたり、助けを求めるべきだったのかもしれない。
ただ、生来の頑固者で祖母譲りの気の強さが災いして、ひたすら毎日廊下の掲示板に画鋲を戻して下校していた。

こんなことで人が傷つくと思っているなんて、バカめ。

と強がり続けて、画鋲入りの靴も、机に入った悪口オンパレードの手紙も、しね、と書かれた紙も、全て捨てて過ごした。
最初は言い返したりしたけれど、それにも疲れて必要以上に声を出さなくなった。

強がりとは裏腹に、そんなふうに他人から雑に扱われることに、
ちゃんと傷ついていた。

わたしが人に本当に好きなものや、やりたいことを言わないのは、秘密にしたいからじゃない。
これだよ、と無邪気に取り出して見せて、それを叩きつけられるのが怖いのだ。
自分自身さえ、画鋲踏め!と思われていたのに。
しかもそれが何十年も前のことなのに。
顔を知っている人にそれをされたら、と考えたら、臆病になってしまう。

*****

先日、2作目の原田マハさんの作品を読んだ。

「ロマンシエ」

海外の言語には疎いけれど、きっとフランスが舞台の話なんだろう、と。
ロマンシエの単語はよくわからんが、きっと恋愛小説だ。(多分)

だから最初の一文を読んで驚いた。
フランスが舞台なんだろう、という勝手な思い込みから、ちょっとしっとりめの大人が出てくると思っていた。

それが、出会い頭にギャル。
大学の卒業を間近に控えた、ギャルとぶつかった。

確かに、出てくる。
フランスも。
無骨な作家も、フランスがよく似合う、さっぱりとした大人の女も、夢を追いかける無邪気な女の子も。
主人公が長年好意を寄せる、爽やかさっぱりアート系男子も。

自由を欲している主人公と、その内、頑丈な檻に入れて隠している、人には見せないもう一人の主人公。
本を開いた時から、わたしたちだけは、主人公の「内に閉じ込めているほう」と出会っている。主人公以外の登場人物だけは、それを知らない。

フランスで過ごしていく内に、人、アート、人生そんなに簡単じゃないよな、という問題にも主人公は出会っていく。

そして、徐々に本来ありたい自分に戻っていく。
もう一人の主人公と言っても過言じゃない作家も。

自由であることは、何もしないことじゃない。
好きなことだけして、嫌なことをしないことでもない。
本当に大切にしたいことに付随してくる、
好きなこと以外のことを苦にならずできること。
それはもしかしたら、人から見たら、
大変で、面倒で、なんでそんなことするの?って言われちゃうようなこと。

大泣きするかもしれないし、苦しくて小さくなっちゃう日もあるかもしれない。
それでも、続けたいと思うことの先に自由があるのかもしれない。

ギャルが泣いたり、笑ったり、頬を赤らめたりしているのを見ながら、
頑張れ!頑張れ!と応援し、頑張るね!と思わせられるくらい、励まされていた。

巻末の作家が書いた「あるものの擬人化の掌編」が、またとても素敵。

実際にギャラリーと連動して、小説内の展覧会が実際に行われていたことにもおどろいた。見てみたかったなあ。

この本で知ったので、わたしの来年の手帳には、
「箱根でピカソを観る」がリストに入った。
臆病にならず、わたしはこれが好き、と掌に乗せて見せられるように。
もし地面に叩きつけられることがあっても、傷なんか入らないくらい、その「好き」を強くしておきたい。
きっとそれがわたしが自由になれる方法だと思うから。

ちなみに、英語しか外国語を理解しないわたしは「ロマンス」から派生して、
ロマンシエは恋愛のことだと思っていたけれど、
なんとタイトルは全く違う意味だった。

ロマンシエ、わたしの憧れたことのある人。



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