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000: 35歳を超えて、改めて自分を振り返ったらまだ絶賛イヤイヤ期だった話

昔から、叶えたいことはたくさんあるのに、ここぞの時に頑張りきれず。
そんなことを繰り返してきました。
たとえば、英語をめちゃくちゃ話せるようになりたい!と思って入った高校で、勉強がとっても苦手で半端にしかわからなかったり。(10年以上英語やったのに!)

痩せるぞー!と思って腹筋を頑張ってみるも、3日で飽きてしまったり。

部屋を綺麗に保つぞ!丁寧な暮らし!!と意気込んでも、1週間後には散らかってしまったり。

「なぜ、頑張りきれないんだろう?」
と、自分のことながらわからず、悔しくて、でも変われなくて。
自分の周りには掴みたい!と思う願望や、希望がたくさん浮いているのに、手のひらに収まる少し前に握力が抜けてしまうような感じ。

どこかで「めんどくさいな」と思ってしまったら最後、途端に力が抜けてしまうのです。
そんなズボラなわたし。
自分のズボラさに窮屈感を覚えず、「毎日ここちよく」、暮らせるようになるにはどうしたらいいのか、考えて、行動していきたいと思っています。
noteではその記録を。

もし同じように「頑張りたいけど、頑張りきれない」と思っていらっしゃる方がいたら。一緒にトライ&エラーをしていけたら嬉しいな、と思います。

初めましての今回は、自分のズボラさと向き合うところから始めてみます。

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叶えたいことはたくさんあるのに、ズボラな性格が邪魔をする

わたしの思考には、「こうしなきゃ、こうするのが当たり前」が多い

「出かける前は部屋を掃除してから」
綺麗好きな母が昔から、わたしに言い続けていた言葉です。
きちんと朝のうちから部屋の掃除をして、洗濯もして、洗い物も全て終わらせるのが母のルール。今は早朝から働きに出ているので、さすがにルーティンは変わったようですが、帰宅してコーヒーを飲んだら、同じように過ごしているようです。

パートで午後の早い時間には帰ってこれるから、とは言いますが、わたしには信じられないくらいのバイタリティ。

行動には移せないけれど、教えは忘れないもので、わたしは「掃除してないから出かけられない」という呪いみたいなものを自分にかけるようになりました。
クヨクヨそんなことに悩まないで、さっと掃除してしまうか、出かけるかしてしまえばいいものを、と頭ではわかっているのですが、どうにも動けなくなってしまうのです。

表現が大げさになってしまったけれど、これって「掃除、めんどい」のズボラなわたしと、そんなふうな割に真面目なところが出て「いやいや、掃除してからじゃないと」と思っているわたしのせめぎ合いなんですよね。

いざ掃除を始めると、ここから始めて、床掃除は最後、みたいないろんな本で得てきた「正しい掃除」にこだわってしまって、結局出かける時間が遅くなったり、もういいや、と諦めてしまったり。すっかり出不精になっていきました。

「正しくあらねば」「正解を出さないと」みたいな、変なところに固執しちゃう癖が強いんだなあ、と年齢を重ねて、ちょっと客観的に自分を見られるようになった今、正直面白くさえあります。
いいじゃん、散らかってても。出かけたかったら出かけたらいいのに。

ここ数年でそんな自分を面白がれるようになって、ようやくその癖から抜けられたわけではないけれど、ちょっと横置いといてさ、と対応できるようになってきました。

本当に叶えたいことは何?

次に、なんで「頑張りきれないか」を考えてみた時に、

願望がたくさん見えすぎているからじゃない?

と思いました。

冒頭で書いた、『自分の周りにたくさん願望や希望が浮いている』って感じているのは、それだけ今の自分に自信がなくて、「こうなりたいからこうしなければ」や、「こうなるべきだ」という自分の固定観念が生んでいるような気がしたのです。

じゃあ、わたしが本当に望んでいるのはどういうことだろう?と考え始めました。

そうして考えた時に、たくさんの嫌なことはあるけれど、こうしたい、ということはあんまりなかったんです。

たとえば、人間関係で困るようなことは嫌。
健康や美容のためとはいえ、美味しくないものを食べるのは嫌。

人間って究極の雑食よ?難しくかんがえないで、感覚的においしーい!って思ったものは心の栄養になるじゃん…!

だらしない格好で出かけるのは嫌。
気に入っていないものを我慢して使うのは嫌。

齢35を超えてなお、絶賛イヤイヤ期でした。笑
嫌なことをたくさんひっくり返そうとして、「あれも、これも」と身の丈に合わない願望を浮かべていただけだったんです。

そうして整理した先に思った、わたしの本当に叶えたいこと。
それが「ここちよく暮らしたい」でした。
とにかく、マイナスな感情で人生を埋め尽くしたくない。
テンションは上がらなくても、穏やかに毎日過ごしたい。
イヤイヤ期の先にあったのは、そんなおばあちゃんみたいな暮らしへの憧れ。

「足す」ことばかりに目を向けず、まずは「引く」

穏やかに暮らしたい、と願っても、やっぱり働くと他人が介入するわけで。
自分とは違う人と働くと、時には理不尽なことも起きてしまうし、帰り道に知らないうちに涙出てる、みたいなところまでがむしゃらに働かなきゃいけない日も出てきます。

まさか他人を意のままにコントロールできるわけもなく、ましてやそれが正解なわけでもなく。隠居できるようなお財布があるわけでもないので、仕事のわたしと、働いていない時のわたしは別物と考えることにしました。
一生懸命働いて、なるべく定時で帰ってきて、穏やかにのんびりする時間を作る。

せかせか時間に追われることが多いからこそ、追われない時間を作りたいな。
プライベートな時間をどれだけ希望通りに穏やかに過ごせるか、
ここがこれからの自分にとっての勝負どころかも!と思います。

穏やかと勝負、って並べてみると変なバランスな気がしますが、変なところで真面目さが出てしまう自分には、そのくらいのアンバランスさがしっくりきた気が。

新しくチャレンジしよう、と思うと、今まで何かを足すことばかりに目を向けがちでしたが、今はあえて何も足さないことにしてみます。
足りていないところばかりが目について、自己否定の大嵐が始まる気がするから。

できないんじゃなくて、できる環境が作れていないだけかも

言い訳のように見えるかもしれません。

学生時代いじめられっ子だったわたしは「人から否定されることは当たり前」という感覚が身についていて、自分を貶す、否定する、卑下する、ついでにまわりの顔色を伺う癖や、空気を気にする癖がついていました。
卑屈になってしまった性格はなかなかなおらず…。

どんな環境でも、何かをしようとして頑張れる人はたくさんいると思うんです。
でも、それはわたしには難しい。

いままでたくさん、わたしがダメだからできないんだ…と自分を責めて諦めてきました。

ただ、いま穏やかに、ゆるやかに、ここちよく暮らしたい、というシンプルな自分の願望にせっかく気づいたのに、諦めるにも悔しい。

だったら、「できる環境を整える」ところから始めないと!

手始めに、休日だらだらしちゃって後悔、を変えたいと思います。
夕方から7時くらいの間に、1番自分が嫌いになってしまう過ごし方。
毎回ああ、後悔するよー!って思うのに、1番やりがちなやつ。

太陽が沈んで空が暗くなっていくのと一緒に、何もしなかった、と自分の気持ちまで暗くなる。出かけて何か素敵なことをしなくてもいいから、小さくても今日は有意義だったな、と自己満足できるような過ごし方が目標です。

できる範囲でやってみる、できたらめちゃくちゃ自分を褒めよう

いきなり高みを目指して、背伸びのその先に目標をおいても、挫折、失敗して気持ちも折れてしまうことは散々経験済み。

今回は、ちょっとやってみる、くらいの感覚でトライして、ダメだったら「合わなかったかー」と視点を変えてみる。
できたら、できたー!って大喜びして自分を褒める、をしようと思います。

大人になると頑張るのは当たり前、その上で成果出してよ、っていうのが当たり前になっちゃうじゃないですか。
それは仕事だったらもちろん正しいと思うんです。

でも、大人だって褒められたいよね?
ってわたしは思うんですけれど、そんなことないのかな。

人から褒められることじゃなくても、できなかったことができるようになったら、それはどう考えたってめでたいこと。
ひっそりと自分で自分を褒めるくらいはしてもいいですよね。

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休日のダラダラ過ごして後悔するのをやめる、っていうのと同時に、毎日1つ自分の希望を叶える、もやっていきたいです。

文字にしたときに、希望を叶える、ってちょっと大きなものみたいに見えちゃうかもしれないけれど、もっともっとちいさいこと。

たとえば、今日はポタージュスープが食べたい、と思えばそれを。
または、髪をいつもより丁寧にケアしたい、と思えばそれを。

1日にひとつ、自分の希望を叶えたら、満足度や幸福度がどのくらい上がるか試してみたいです。

Instagramのほうでは日々、希望を叶えた結果を。noteではその振り返りや、言葉で記録しておきたいことを。連動させて記録していきたいです。

どんなふうに変わっていくのか、よかったら見守ってくださると嬉しいです。

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