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日記。インスタ運用なんかに頼らずに、本物のヨガを伝えたい

昨日は雨で、思わず二度寝してしまい起きたら9時。焦った。zoom一件やって、キッチンとお風呂の掃除をした。珍しく掃除しようかなと思ってからすぐ動けた。なんかこういうちょっとしたさりげない時に、ヒーリングが起こってるなあ、と思ったりする。
今までは「あー汚れてきたなー、そろそろ掃除しなきゃなー、でも汚いもの触りたくないなー、掃除したくないなー、でもやらなきゃなー」でずんずん重くなり、その思考を握り続けたまま何日も経って、もはややらないと先に進めませんよ、みたいなタイミングが来たところでやっと掃除する、みたいな。汚くなりすぎるのは嫌なのでその手前で掃除はするんだけど、思考と行動に時差がある。
サボったところでずっとやらなきゃ思考は握ったままなので楽になるわけでもないし、いつかはやらなきゃいけないので、それなら早くやった方がいいんです。変な思考を持ち込む前にやることができると気持ちよく動ける。一人暮らしの最初の頃もこんな感じだったかも。まああの時はただ単に生活を創るのに必死だった。

午後からは図書館へ行って作業。タントラライフジャパンのカビールと連絡をとったり、勉強のための本を読んだり、仕事についての企画を進めたり。最近は17時で閉まるのですぐに帰る時間になる。

タントラの世界は本当に摩訶不思議で、関わらせてもらうことが奇跡でしかないし、ありがとうございますほんとに。カビールの存在も摩訶不思議。なんか、瞑想を深めれば深めるほど、なんなんだこの人は?という気持ちになってくる。これにわたしもいつか到達したい、いやできるのか?って思う。どんどんその深みが見えてくる。そんな人が近くにいてくれてるって、めっちゃすごいことじゃない?

ヨーガの瞑想とタントラの瞑想は、全然ちがうことするんだけど密接に繋がってて、ほんと面白い。みんな両方やったらいいのにな。それでダンスもやったらいろいろわかることが増える。なんで今この3つをバランスよくできてるのか、どうやってここに辿り着いたのか自分でもわからないけど、すごく良い。
ダンスのレッスン、あれなんて瞑想でしかないもんな。
緊張とか、横の人との比較とか、自分への過度な期待とか、その期待が裏切られた落胆wといった諸々の余計な思考が取れて初めて「振り付けを覚えること」に没入できる。わたし振り付け覚えるのってほんと苦手なんだけど、苦手と思い込んでるからもっと苦手になる。あれやばい。思考が取れると意外とすんなり覚えてる。
それで、自分の身体感覚に意識を巡らせてエネルギーのフローや気持ち良さを探る時は意識は内側、鏡の自分を見て確認している時はエネルギーは外側、交互に気持ちよくできるとメディテーティブな状態に入っていく。
でも、インダストリーダンサーたちで自分が瞑想を日々行ってるということに気づいてる人は少ない。その状態に入ってない人ももしかしたらいるのかな。東京のシーンは特に、日々、戦闘態勢。
まあでも鏡の自分は嘘ついてくれないから、自分と向き合うという意味ではひとつスタートラインに立ってるのかもしれない。ほんと鏡にいろいろ見えて辛いよw


脱線した。雨が降ってるのと気圧も低いし朝寝坊したのもあって、今日は一日中身体がだる重すぎて辛かった。カパいな。極力多めに歩くことにした。
夜は、食べたかった鯖の味噌煮を作って食べる。
最近はスーパーに行くと買えるものがなかなかなくて、立ち尽くしてみたりうろうろしてみたり。がっつり食べたい!みたいな気分にはなるんだけど、アーユルヴェーダ的なバランスを考えると、いや、食べなくていいかなってなっちゃって、何食べればいいかわからない。四つ足の動物も食べないし、加工食品も食べないし、お惣菜も一応チェックして全部あんまり美味しくなさそうだなってなって結局買わない。結局豆腐と納豆とかばかり買ってしまう。魚も食べる頻度は落ちたけど、昨日は鯖2切れで200円しなかったので、つい手が伸びた。
なかなか美味しかった。ちゃんと時間かけて料理したの久しぶりかも。いつも鍋に具材つっこんでほったらかしまくってる。
味噌汁とごはんと納豆と鯖、めっちゃ幸せな夜ご飯。

ここ2週間ぐらいこれからの仕事づくりのために考えているけど、考えすぎると出口のない迷いが始まって頭が痛くなってくる。
一人で仕事をしていくとおもったら、ヨガができる、教えられるだけじゃだめなんだわ、まるでひとつの会社の社長のように、企画とか管理とか、全部できて、お金が回るしくみを自分で作っていかなきゃだめなんだわ〜!とやっと気づいて。資格とって1年気付くのにかかったので、だいぶ遅いんだろうけど、いい周り道をしたような気がする。その間におばあちゃん死ぬのも見れたし。

で、そういうマーケティングとか専門的なことを自分ひとりだけでやっていくのはあまりにも難しすぎる。知識がないのに我流でやってもうまくいかないと思う。みんなまとまって競合してるのに。
やり方を勉強しないと、ただ流れに任せてるだけではやっていけない、と思って、やっとそこらへんに手を出し始めたところ。
集客のためには、インスタグラムの運用と、webのマーケティングができた方がいいだろうと思って、本をいろいろ読んだりネットで調べたりお金のかからない範囲で講座を受けたりしてみて、どうやったら多くの人にリーチできるかというアルゴリズムを知ったり、セルフブランディングとか投稿の仕方とか、いろいろ調べた。とにかく新規顧客を集めるためなら、効果的なやり方があることがわかった。昨日受けた、とある企業のインスタ運用講座では、彼らのいう通りにインスタを動かせば、50万の受講費で半年以内に必ず回収できる、どんどん成長して月収3桁も夢じゃありません、まずは月15万から始めましょう、もし1万でも届かなかったら受講費を全額返金します、とのこと。
ん〜たしかにいい話なんだけど。
だけどわたしのなかのどこかで「これじゃない」感が出てきている。
なんか最近のソーシャルメディアっておんなじようなコンテンツばっかり。文字入りのハウツー動画だったり、数ページで画像で専門知識を教えてくれたり。
見てて疲れるし、その人の人間味やリアリティが全然みえなくて気持ち悪い。こういう運用を始めたきっかけにはどんな背景があるんだろうと考えると尚更。
あんまり乗り気になれないから、そういうときは手を出さないほうがいいって思った。講座やってくれた人のぐいぐい感もだいぶ嫌だった。今我々についてこないと絶対損しますよ、いいんですか、あなたひとりじゃどうせできないでしょ、みたいな。
そんなエネルギーに乗っ取られてやって、もしお金が入ったとしても、それはいいお金じゃないな。縁を広げるには役に立たず、そのまま流れていってしまいそうだ。
だし、インスタ運用、広告よりも、自分が何を人々に届けたいかを先にもっと明確に追求する方が先な気がする。

お金を手に入れることと、人に与えたいことを別にしないと、どうやったらお金を手に入れられるか、という軸ではいいものが生まれない。

どんな商品をつくろうかな〜というのは、わたしがいちばんワクワクしてないといけない。

で、今思い出したけど、最初からビジョン明確に決まってるじゃん。ティーチャートレーニング受けた時から最初からずっとずっとめっちゃ思ってること。

わたしの願いは、ヨガを知らずに、よそで困っている人たちが、はじめてのヨガや瞑想を通して、より本当の自分を知って生きていって欲しい。だから、レッスンきて流れでアーサナやってはい〜おつかれ〜また来週〜ってなるんじゃなくて、ヨガをする意味は解脱への手段なんだよとか、自分自身がブラフマンであることを知るとか、そういう普通のレッスンではわからないヨガの要素を、でも初めての人にもやさしく伝わるようにレクチャーしていきたい。
そうなると現行の、スタジオでやってるアーサナ順番に実践するだけのヨガレッスンじゃだめなんだよな。
あれは、マットの上でポーズとってるところを想像して運動不足(大体コレ)だからヨガやりたい!って重い腰をあげた人たちだけが、来れる場所。
重い腰が上げられずに、ヨガの良さを味わえずに、でもヨガがあったら救われるって人たちが絶対沢山いる。

リラックスだけでも意味ないみたいだ。
陰ヨガとかリストラティブヨガとか、自律神経やっちゃってる人にはすごいいいんだけど、自律神経をやっちゃう原因の解消にはならないね。リラックスしてるだけじゃまたすぐやられちゃう。なにもわたしを傷つけないとわかって、この身体もマインドも自分自身ではないとわかったら、新しい視点を得て、強くなれる。

日常の中で、そういう新しい(本当はそれが伝統なんだが)スタイルのヨガを知って、実践できるようにできたらいいよね。ただ単にポーズをやるだけじゃなくてさ。

普通の日常から、インドのヨガのある生活へ。


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