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元祖ふりかけ「御飯の友」が100年続いた理由と教わること

社員が一丸となった熊本地震

今井 最終回は安部さんご自身についてお話を伺いたいと思いますが、安部さんはどういった経緯でフタバでの仕事をスタートされたんでしょうか。

安部 私はもともとは大分出身で、最初に就職したところも大分だったんです。たまたまそこで知り合ったのが今の妻なんです。なので娘婿というか、結婚してフタバに入社したわけなんです。

村上 なるほど。そうすると、結婚されるまで、まさかふりかけの仕事に自分が入るとはというか、急に飛び込んだ形になるわけですよね。

安部 そうですね。結婚するにあたっては前職を続けてもいいし、フタバに来てもいいっていう話だったんですね。まあもしフタバに来れば、将来的にはそういった立場に立つんだろうなっていう思いはあって、やりたいと思ってもできるものでもないので、自分にできるかどうかはわからないけど、行ってみようという思いでフタバに来ました。

村上 なるほど。フタバに入られる前はどんなお仕事をされていたんですか。

安部 半導体関係の開発をしていたんです。

村上 全くもって違うと言っていいですよね。

安部 そうです。まあ、ものづくりという意味では同じなんですけど、作ってるものが全く違う。ギャップはありましたね。作ってるものが違っても、半導体を作るのも最終的には品質です。ふりかけも最終的には美味しいもの、品質が良いものをつくるという、目指すところは一緒で、その過程が違うっていう感じなのかなと思いますね。

村上 どうですか飛び込んで来られて、充実されていますか。

安部 そうですね。まあいろいろやっぱり大変なことがありますけど、充実しています。私個人の話ですけど、2015年6月に代表に就任したんですが、2016年4月に熊本地震があったんです。代表になって一年経とうかというときで、うちは社屋がやられたんです。幸い工場の方はなんとか大丈夫だったんですけど、元々古かったのもあり、移転をしようっていうことになりました。そこが自分の中ですごいフタバで仕事してるなというか、それまでもやってたつもりではいたんですけど、ここはもう自分が中心になってやらなきゃいけないなっていうのが、初めてではないですけど、本当に責任感が芽生えたのかなって思います。

村上 震災っていうもの自体はなるべくなら出合いたくないものかもしれないですけど、それがあったからこそ、いいきっかけをもらえた部分も少なからずあったということですか。会社が移るってこともそうなんですけど、社屋が壊れた時に社員の皆さんも気落ちをされたと思うんですね。そのなかで新社屋ができていくプロセスも、復興という中ではすごく大事な時間だったんですか。

安部 そうですね。震災は本当に大変なことだったし、二度と経験したくないなと思いますけど、そういった中でも目標を持って、「大変だったね、でもじゃあ新しい工場を建ててまた頑張ろうよ」っていう、その先に目標があると頑張れるというか、そういった部分はあったんじゃないかなと思ってます。

村上 多分これは答えがないと思いますが、最初のふりかけを作った吉丸末吉さん。九州の中でも熊本でふりかけが生まれたのは、たまたまなのかもしれないですけど、あえて熊本から生まれるのが必然だったとすると、何がこのふりかけを生み出したんでしょうか。

安部 地理的なものじゃないかなと思います。「御飯の友」って主原料はいりこなんですけど、いりこは海でとれるし、海苔は有明とかにあります。そういった面では当時、吉丸さんの考える今でいう「ふりかけ」を考案するのに適したものが身近にあったのが繋がったということなんじゃないかなと思います。

現在の御飯の友

子どものころに振ってもらったふりかけ。いつかは自分が振ってあげる

今井 2020年に新社屋が完成されたということですが、ここから新たなイノベーションが生まれていく予感がしますね。
この番組では「長く暮らしを続ける人」のことをネイティブと呼んで、ネイティブとは何だろうと各ゲストにお伺いしてるんですけれども、フタバさんの場合、一つのジャンルを築き上げた吉丸さんという存在、あるいは「御飯の友」こそがネイティブなのかなと思うんですけれども、いかがでしょうか。

安部 そうですね。難しい質問ですけど、「御飯の友」ってなぜこれまで100年という長い間、続けてこられたのかなって思うと、自分が大きくなった時に子供にかけて食べさせるという、おふくろの味じゃないですけど、自分が食べたものを自分の子供に食べさせるんですね。私もそうでした。そういうのが輪廻転生のようにずっと繰り返されてきて、100年という長い間、続いてきてるんです。なので、当たり前にある、自然にあるっていうところが、いいところなんじゃないかなと思います。

村上 「御飯の友」がこれだけ100年続いてるということは、どれだけふってあげる行為が繰り返されたのかと想像します。お母さんなのかお父さんなのかが振ってくれてる。それがやがては自分で振って、自分で食べるようになり、今度は子供に振ってあげるようになる。このサイクルが何回も繰り返されてるわけですもんね。

安部 私自身、派手なものってすぐに飛びつくんですけど、すぐ飽きるんです。「御飯の友」って、正直そんなに派手さはないんですけど、逆にそれがいいのかなと思います。

村上 クセになるんですかね。いや、クセになるわけじゃないなぁ・・・

安部 伺ったことあるのは、「ごめんね、御飯の友をやめていたんだけど、やっぱり帰ってくるんだよね」と言ってもらったことがすごく嬉しくて。「御飯の友」だけしか知らずに食べ続けていただくのも嬉しいんですけど、ほかのものも見てもらった上で、やっぱり「御飯の友」だよねって言ってもらえるのがすごく嬉しい言葉ですね。

村上 最後に僕はこの4回を通してずっと思ってたのが、吉丸さんってどんな性格のキャラクターの方なのかなっていうことです。想像ですけどすごく実直なんだけど、ちょっとユニークな部分もあって、でも誰かのための栄養を考えている。ちょっとそんな感じのイメージ、そんな後ろ姿や横顔に思えました。実際、何か残ってたりするんですか?吉丸さんはどんな方だった、みたいなことが。

安部 正直、そういうのはちょっと聞いたことはないんですね。ただ、当時の日本人のカルシウム不足を補うためにという発想からふりかけを作ったことを考えると、やっぱり実直な真面目な方だったんだろうとは思います。

村上 フタバさんのロゴマークに、男の子のロゴマークあるじゃないですか。あれは吉丸さんではないですよね。

安部 あれは、吉丸さんではないですね。あれは私どもが「ふたば坊や」って呼んでいるんですけど、あれもそれこそ何十年か前にできたキャラクターで、ずっと商品についてます。

YOSHIMARUブランド すくすくふりかけ

村上 あの子がフタバの「御飯の友」をいつも食べてくれてる男の子っていうイメージですか。

安部 おそらく最初作った時は、そういうイメージで作られたんだと思います。

村上 そういう意味では、強引かもしれないですけど、ふりかけのコアに当たる部分のとこには、やっぱり幼少期の子供の頃の思い出があって、その坊やが大きくなって、お父さんになり、次の坊やにかけてあげるっていうことがロゴマークにもそこがあるような感じがしますね。

安部 なんとなく安心感もありますね。キャラクターものとまではいかないかもしれないですけど、やっぱり子供の顔がついてるのは、安心感を与えたりしますね。

今井 決して派手な存在ではないけれど、子供のころからずっとあたりまえにそばにいる存在であること。そこに100年の時をこえる秘密があるような気がしますね。4回にわたり、本当にありがとうございました。お話を聞いていて、ふと最近ふりかけを食べていなかったことに気づき、食べたくなってきました。
(文 ネイティブ編集長・今井尚、写真提供 株式会社フタバ)


次回のおしらせ

あらゆる商品をつつんで、運び、届けるのに使われる段ボール箱。その開発をしている日本トーカンパッケージの開発センター長、佐藤康博さんに登場いただきます。使い終われば捨てられてしまう脇役ながら、なくてはならない大切な存在ですが、どんな思いで箱を作っているのでしょうか。今回は2シリーズにわたって、段ボール箱に迫る予定です。お楽しみに。

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