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日本語学習者たちと接して思う事

¡Hola! ¿Qué tal?
最近スペイン語の検定、DELEのB2の準備をし始めて実力の無さを認識し、ふが~いな~いや~い♪ ナシおじさんです。

今日はコツコツと続けている、語学学習プラットフォームitalkiでの日本語教師をやりながら出会った日本語学習者たちについて少し。


日本に住んでいて奥さんが日本人でも学びたい男たち

まず、いちばん面白いなぁと思ったのが、生徒さんの中で日本に住んでいて、さらに奥さんが日本人でも会話のレッスンのを予約してくれる方が意外と多い事だ。

すぐそばにいる人に習えば?と思うのだが、どうやらそうもいかないらしい。

最初のうちは日本語の間違いを修正してくれたりしたそうだが、月日が流れるうちに奥さんがいちいち間違いを修正することに疲れてしまい、共通言語(だいたい英語だったりする)で、さっさと要件を済ませたい感じだというのだ。

生徒さん自身の「日本語が上手くなりたい!」という気持ちが強いからレッスンを予約してくれるんだろうけど、中には「妻とケンカになった時に日本語で言い返してやりたいんです!」と悲痛な思いを語ってくれる人も居る。

日本で英語教師を夢見る人と日本に疲れて帰った人

ALT(外国語指導助手)として英語の先生をしている生徒さんも多い。これから来日する事が決まってワクワクしている生徒さんもいれば、現在進行中の人も居れば、数年の経験を経てすで帰国した人も居る。みんな日本が好きだから来日するのだけれど。

現在進行中でALTをしている生徒さんは、「教室では英語しか話しちゃいけないっていう決まりがあるから、日本語を話す機会がない」との声をよく聞く。

もう自国へ帰ったALT経験者の中には、夢見た「オモテナシ」の日本と、「本音と建て前」や日本人が気づかないうちに意識している「ウチとソト」の概念から疎外感を感じたりして、夢破れて帰った感じの人がいる。

「旅するにはいいけれど、住んで働く国ではないね~。」

これには思わず深くうなずいてしまった。

僕はオーストラリアにワーホリで滞在しているとき、小さなオフィス家具会社で勤務していたことを思い出した。

始業は9時だった。日本の感覚で9時15分前に行っても誰も来てない。ほぼ毎日9時過ぎにボスがやってきて会社を開けていた。終業時間は17時。だから、「17時まであの椅子を組み立てて、それから掃除でもして帰るかな~。」と17時から箒で掃除をしてると、「17時だから帰るわよ!」と威勢よく言われて驚いた。「あ。17時で帰っていいんだ。」と。

まぁ組織によっては厳格なところもあるだろうけどね。

英語が下手でも疎外感は感じなかったし、言いたい事も言えて「こういう国で働きたいもんだ。」と思っていた。

これらは個人の感想だから、絶対とは言い切れないけど日本は労働環境はよくないんだろうな。だって労働時間が我が国より短いドイツの方が労働生産性高いんだもん。

来日経験なしでペラペラな人と日本語能力試験最高レベルで会話能力が低い留学生

「こないだ見た5ちゃんのスレで面白いのがあってさー、せんせー。」と、友達と話しをしてるかの様に感じるほど上手に日本語を操る生徒さんもいる。しかし、彼は来日経験はない。

「日銀の量的緩和政策についてどう思いますか?」と、中東の国からとんでもない質問を投げてくる生徒さんもいる。彼もまた来日経験はない。

「あのー、せんせい。サカキバラの事件知ってますか?」と、毎回マニアックな質問をぶっこんでくるアメリカンも来日経験はない。

これらの事から、語学学習において留学の必要性は無いとも言える。かな(笑)

一方、JLPT(日本語能力試験)という試験で最高レベルのN1を持つ留学生でも、圧倒的に会話能力が低い人が居る。この試験は多くの日本語学習者が目指す試験であって、N1とかN2を持ってるとビザの取得だかで優遇されるんだっけかな?

でもこの試験、「会話」とか「面接」の試験が無いんだよね。初めて聞いた時「え?!」ってなったけど。

僕が受けたスペイン語のDELEは「読解・作文・聴解・会話」の四技能がしっかりと図られていたし、英検とかでもスピーキングのテストがあるのに、一番有名な日本語の能力を計る試験ではそれがない。

ちなみにJLPTのN1(最高レベル)はCEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠。6段階で、A1の初心者からC2の変態レベル最高レベル)の中で例えるなら、中上級のB2どまりである。

CEFRの概念を取り入れた日本語教育も推し進められてるとは言え、JLPTにスピーキングが無いのは、「英語を訳して読むのが中心」だった日本の英語教育を見ているようでどこか痛々しい。

話は戻って。

留学生が日本にいるのに、なぜ日本語のレッスンを受けるのか。

学校に行っても仲良し日本人グループが醸し出す「ウチとソト」によって見えない壁を感じて話す機会を失い、コンビニで何か頼む時くらいしか日本語を使わないから、と言っていた。

本人の社交性もあるのだろうけど、なんだか聞いていて悲しくなってしまった。

学習者の目から見る日本

いろんな視点から彼らが思う「日本」という国が知る事は本当に痛快だ。

「まじでみんなの前で裸になって風呂に入るとか意味わからない。無理だわ。」

「先生、なんでタトゥーを入れたコックさんがクビになったの?だめなの?」

「なんで職員室の空気ってあんなに重いの?」

日本語を教えながら、一番日本の事を知ることが出来ているのは僕かもしれない。日本に居ながらにして多様な文化、価値観から見る日本を知ることが出来るんだもの。

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