日記
日記を書きながら考えを掘り下げていこう。
また、文章を書くことについての話。
俺は、noteを始めたての頃から、ずっとその話題を書いてる。また同じ話題。どんな文章を書いたらいいか、ずっとわからないでいるから。自分が何をしたいのかよくわからない。
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俺は昔、哲学に興味があって、哲学書をチラホラ読んだんですよ。解説書も含めて。で、まぁ、面白いな〜と思ったし、憧れていたんだよね、それなりに。
だけど、いま現在はと言うと、それほどでもない。それどころか、哲学ってしょうもないよな、という感覚さえ持ってる。
このギャップが、俺がいまなにをしたいのかよくわからない原因のひとつかもしれん。
当時は、哲学をカッコいいなとか、頭良さそうだなとか、思ってた。また、哲学的記述の非日常感とでもいったものが好きだった。「意味とはなにか」とか、そんな抽象的なハナシに取り組みがいを見出してたんですね。(*_*)
ジャック・デリダという現代の哲学者が考え出した新しい概念「脱構築」「差延」「痕跡」などを、面白いなあと、かつ、カッコいいなと思ってた。これは解説本で読んだものだけどね。でも、それらの意味は、いまはもう、ほとんど覚えてないな……。そもそも、よく理解もしてなかったかも。
ここで、誰かが物識り顔で「『脱構築』の意味はですね〜」と解説なぞし出してくれようものなら、俺はセンチネル族並みの拒絶反応を起こして石を投げつけるからな?そういう概念が知るに値するものだという、そういう前提を、もう俺は持ってないんです。FPS用語の「レティクル」とかと同じくらい、俺にとってどうでもいい用語だわ、もう。ていうか、FPSってそもそもなんだよ?て話だよね。フレンドリー・パイナップル・シンドロームという意味ですね。(嘘)
「痕跡」という概念はいまも覚えてる。ちょっと、その解説するね。英語のpig(豚)とbig(大きい)て言葉あるじゃん?(←いや自分はするんかい。哲学用語の解説……)ここで、もしpigという言葉が存在していなければ、pigと発音しようがbigと発音しようが、どっちもbigと言っているように受け止められる、という話がある、まず。この点は、まあそうかもね、くらいには思えるじゃん。ここで、でも実際には、両方の単語が存在してるわけ。そうなると、「豚」と言えば「豚」と聞こえて、「大きい」とは聞こえないわけだよね。これは、pigという言葉を聞いた時、それ(pig)とは違うbigという言葉が存在することを人は知ってるから、聞こえたその単語を、無意識のうちにbigと区別して、bigではなくpigとして自然と認識するのだ、という。pigは、それ自体でただ存在しているのではなく、「bigではないpigとして相対的に存在している」。このことをデリダは「pigにはbigが痕跡として現れている」と表現したんだとか。pigにはbigの痕跡(trace)がある。逆も然り。pigには直接ではない形でbigが現れている・存在しているのだ、と。これを読んだとき、俺はちょっと感動した。面白いなと思った。
なんでこんな話してるんだっけ?
俺は哲学が嫌いという話だった。
誰か「いや、どう見ても好きでしょう」
……。嫌いだよ?うん……。
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俺はなんで哲学を嫌いになったか?
なんというか、単に「なんか違うな」という気がしたから。それも、結構いろいろな理由から。
でも、説明するのが面倒くさくなってきたから、書くとしても別の機会にするね。
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この日記を書いてて思ったんだけど、俺は、この謎に馴れ馴れしいキャラクターでくだけた内容を書くのが、ひょっとしたら一番楽しいかも。
この方向性をもっと主軸にして、広げていくべきかもしれない。
厳めしい口調でもっともらしく自説を展開するみたいな記事も何度か書いてみたんだけど、どこかしっくりこないものがあった。
特に、俺のnote初期の投稿では、記事本文のキャラとコメント欄でのキャラが違いすぎて、完全に二重人格になってたような。それが、いまは、コメント欄の人が文章を書いている。それができるようになった。
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