自分を話した事が無かった

知己を得たい。こんな気持ち、誰にでもあるよな?当然だよな。はぁ。しかし、俺は何を言ってるんだ。俺はそんな事言うキャラじゃないだろう。毒舌芸人だぞ、俺は。

キャラとかそんなチンケな事にこだわってんの?馬鹿みたい。

はぁ?w 誰だよお前。悪りぃか?俺はさ、こうやって文章で自分を存分に表現した事、今まで一度も無かったんだよ。俺は人に、自分を話した事が無かったんだ。そのくせ、理解されたいと思ってた。おかしな話だよな。自分がどこにいるかも言わずに、自分を見つけて欲しかったんだから。

実際問題、俺は納得のいく語り手のキャラを見つけられず、そのせいで文章が書けないで居たのではあった。どんな文章を書いても、馬鹿馬鹿しく思えたんだ。いったいどんな文章に価値があると言うのだ。どんな文章も面白くないではないか。俺は、これまでの評論家や作家が取った態度と同じような態度をただなぞるだけの文章、文体に、くすぶった燃えかすのような物を感じていた。自分は結局、彼らと同じように振る舞い、彼らと同じように人から思われたいだけではないか。それは天才のする事ではない。

俺は、天才は圧倒的なオリジナリティを持っている事を知っていた。天才というものが何なのか、強烈に教えてくれた者が、ひとり居る。アルチュール・ランボーだ。彼の詩を読めば分かるが、俺のキャラクターは、彼の態度から直接に影響を受けている。

ランボーについてはまた今度書こう。俺が読んで良かったと思っている本は、ランボーの『地獄の季節』だけである。あ、他にもちょっとあるか。だが、それはさておき、俺はその他のほとんど全ての本を、別に読まなくても良かった物だと思っている。そんな俺が、最も心酔したのが、ランボーなのである。知ってる人からすれば、なんだアレか、と思う、界隈では有名なヤツである。ランボーのキャラクターは、他の誰のキャラクターとも違っていた。圧倒的なカッコよさがあったんだ。

ま、そんな事で、俺は並みの語りに特筆性を感じられなくなって、結局自分を表現する術を持てないで居た。本当は、自分が思っている事、もっと聞いて欲しかったんだ。もっと若い時に人と語り合う事が出来て居れば、俺の人生はまたちょっと違ったのかもしれない。

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