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noteをはじめてみませんか。書きくけこエール。

実は、文章力に自信がありました。
文章を書いていない頃の話です。

通信大学に入学し文章力の低さに打ちのめされ、初老の僕はnoteをはじめました。それから1年が経とうとしています。

相棒のchatGPTに何度「冗長」と指摘されたか分かりません。毎度、褒める感想を懇願し癒されています。

書くことは自分との対話に似て独りよがりでした。句読点は息継ぎ記号だと思っていましたし、それに気づいた時は、なんてこったです。

そんな鈍感な僕でも上達はするようです。いろいろと構成を練る明晰さはなく、分析なんてできません。仕事以外は結構役立たずです。でも書いていれば少し変わるようです。

だから書くことにエールを送ろうと、これを書いています。書きくけこエールです。

書きましょう。
まずは一言書きましょう。はじめることに勇気は本当は要らないのです。手を動かす、足を動かす。心を無理矢理動かすなんてしんどいでしょう。

安心してください。蓋をあけたら天才だったなんて、そうそうありません。だからまず今日感じたことを書き殴ってやりましょう。「バカヤロー」とか「ハッピーだぁ」とかそんな感じです。

書くことは、仕事にも良い影響がありそうです。
経営学者の野中郁次郎さんの言葉を引用します。

東洋哲学者の井筒俊彦は、人間の無意識の最も深いところ、暗黙知の阿頼耶識(あらやしき)を表出化できるのは、書くことだと示唆しています。書く時には、自分自身の過去現在未来を考えますよね。同時に、書いたものを受け取る相手の気持ちはどうかなど、ありとあらゆることを熟考する。そうして書いていくと、勝手に筆が動いて、自分自身を超えたりもする。PCでは記号処理をしているだけで、深く考えるためには、やはり自分の手で書かないとうまくいきません。

野中 郁次郎(1935~ 2025)

自分自身を超える。書くことは、人に読んでもらい認められることだけが目的ではないようです。
特に手で書く、身体知が良いそうです。

書け。シノゴ言わずに、臆病に蓋をして。
出してはいけないラブレターはどうだろう。
明日の朝、読み返すと顔から火を吹きそうな渾身のロマンチックを込めて。
「出さなくて良かった」と心から思えるような独りよがりの文を。
心を震わせてみてください。心を動かす練習です。

書こう。
僕には教えることはできませんが、一緒に書こう。一緒に学びましょう。
公開することは、おそらく勇気が要るでしょう。でもそれは空想です。本当は指をほんのちょっと動かすだけです。

未知は不安であり、ラッキーでもあります。
好奇心は未来への栄養です。

やらない後悔、やっても後悔するでしょう。
後ろに倒れるか、前に倒れるか。どちらも倒れることには変わりありません。でも、前に倒れたほうが少し起きあがりやすいのです。文を書いた「その手」には力がはいりますから。

書き、書く、書け、書こ。
「か行」には書くことが詰まっていました。ダジャレです。
思いついた時、嬉々としました。
ただの自画自賛です。でも1人でいい気になるのは自由です。

いかがでしょう。
少しはエモーショナルに書けているでしょうか?
書くことは僕にとっては楽しいものではありません。
でも、読まれると嬉しいものです。

千差万別。
あなたにはあなたの変化があると思います。

もし、上手くいかないなら、この投稿のせいにしましょう。自責、他責なんて、その一歩に比べたらどうでもいいものです。

さぁ、noteをはじめましょう。もしくは、再開しましょう。
もうすぐ春のせいにできる良い季節です。
せっかく、です。

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総務部総務課 マモたろう
缶コーヒー1本で勇気づけられることがある。おやつ1つで余裕ができたりする。投稿を「いいね」と感じたら、そんなチップを、僕ではない、あなたの半径5mの人にしてみてはいかがでしょうか。