見出し画像

いただいた 言葉を

 たとえばミスをしたとき、人から指摘をされたとき、何を思うだろうか。

 たとえば何か苛立ちを覚えたとき、文句を言いたくなるとき、どんなことを口にするだろうか。

 たとえば、たとえば……。

 新しく入ってきた方、新卒の方、これまでの環境とは違う場で過ごすということは、ある程度のストレスと動揺があると思う。

 そんな中で、その場所で、はたして、何ができるのか。それが問われてくると思う。

 初めからすべてがうまくいくなんて、そうはないであろうし、慣れてきてからふいにできなくなる、なんてこともある。

 今、これから、新人として、新参者として、活躍をしていく人にーーだけではなく、私と同じように、何かつまづいてしまっている方へ。

 私がいただいた言葉を、贈りたい。


 気がつかなければ意味がない。直すことは簡単。やってあげることは簡単。けれど、それでは成長しない。どうしてこうなったのかを感じない。気づかない。疑問を覚えない。それでは、意味がない。

 想像力が足りない。言われたことをやっているだけでは。自分の考えというものがない。

 見立てが甘い。もっと、想像を持って。これもあるかも、こうなってしまうかも、いろんな最悪を想定し、未然に防ぐ。

 おかしい、と思うことに対して、おかしい、と言うことはおかしくはないが、その先のことを考えているか? 言ってしまうことは簡単。その先を考えていないのであれば、根本的な解決ではない。子どものように、文句を言っているだけ。

 言われること、言ってくれる、ということは、期待している、ということ。それなら、その期待に応えなきゃ。

 まず自分が何を感じて、何を思い、何を考えているのか。自分自身で知ろうとしないと意味がない。自分で感じ、思い、考え、疑問を覚えるからこそ「自分の言葉」として、伝えられる。そうでなければ、他人から言われたことを言っているだけでは、相手には伝わらない。


 実感として、自分で何を思い、どう考え、行動し、その結果どうなったのか、そしてそれを受けてどうしていくのか。人から言われたり、何も考えないまま進んでしまうと、自分の血肉にもならなければ、わからないまま経験年数だけが経てしまう。それはとても、危険なことだと思う。

 あるいは、知識だけが立派で、実践できなければ、ただ文句を言うだけで何も改善しない人になってしまうかもしれない。

 どんな言葉も、行動も、自分のものとして吸収し、表現していかなければ、本当に自分のものにはなり得ない。

 自分の手で触り、目で見て、耳で聞いて、皮膚で感じ取ったものを内側に帰納させる。そうでなければ、確らしさ、というものをどうして実感できるのか。

 この言葉も、出会った言葉であるけれど、私も、そう思う。

 迷ったとき、壁にぶつかったとき、途方に暮れるとき、がんじがらめに縛られるとき、いろんな、さまざまなときがあると思う。けれど、

 そんなときに思い出せる、そんなときに立ち返られる、支えとなる、奮起させる言葉、行動を。

 出会って、積み重ねて、大切に大切に、育ててほしい。

 そう、心から、思う。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。