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横顔
それは、浮遊感、とでも呼べばよいのであろうか。
いや、浮遊しているわけではない……どちらかといえば、乖離、であろうか。
名づけることにたいして意味を見出すこともできないけれど、人に伝える、そういう意味ではとても重要なことのようにも思う。自分の感覚を、そのままの状態で伝えることなんて、できないのだから。おおむね共通している、言葉、に変換し、なるべく近しいものを選んでいく。近しいもの? それさえ、だんだんと薄らいで、わからなくなりそうにもなる。本当にそれが私の伝えたいことなのか、だんだんと。
言葉がうまく出てこないのも、そこに理由があるのかもしれない。
長く、長く、息を、吐く。
どうでもいいことに、なんでこんなに気を取られているのだろう。
0か100か、だなんて、そんなに極端に物事をわける必要もないのに。どうしてこんなに、私の感覚は極端なのかしら?
これが、こうなら、これも、こうでは?
そんなこと、状況や場面によって違うことなんて、おおいにありうる。考えるまでもない。
それでも、私は、そう感じてしまうことがある。
なんで なんで なぜ? なぜ?
これが、こうなら、これも、こうでは?
もやもやする、心が逸る、いらいらしている、気持ちが悪い。
そんなこと、どうでもいいことだし、たいしたことではない。そんなふうに考えていてもなお、感じているものは違う。
感じていることと考えていることが違う。
このアンバランスな感じが、気持ち悪くなる。まるで別人のようにも思う。わたしはいったいだれなのかしら
「おーい、さほ、どうしたの?」
突然の声に驚きつつも、体はまったく反応さえせず、静かに振り向く。
きょとん とした顔の同僚がそこにはいた。
何でこんなところに、とも思いながら、それは向こうも同じかもしれない、なんて、即座に思い浮かぶ。ため息を吐きそうになったのを堪えながら、別に、と小さく返す。
「そっかぁ、ここ、いいところだもんね、ぼぅっともしたくなるよね」
私の返事に意を返すこともなく、はっきりとした声色を響かせる。曇りのない笑顔で大きく伸びをしながら、自然に私の横に並ぶ。その言葉と表情、行動に一点の狂いもなく、あまりのなめらかさに思わず惚れ惚れしてしまう。あぁ、きっと、思考だって、一致しているのだろう。きっと、そう……。私みたいに、わけわかんなくなったりしないに違いない。そんな姿、見たこと、ない。
それでも、広がりゆく街並みを眺めながら、何を考えているかまでは、その横顔からは何もわからなかった。
考えてみれば、はたから見たら私も同じことで、こんなふうになってしまうことがあるのをわかる人なんて、いやしないだろう。そうなると、一連の動きも思考にもよどみなく一致していると思った同僚も、もしかしたらちぐはぐになってしまうことだって、あるのかもしれない。
どうなんだろう。
その横顔からは、何もわからない。
「やっぱり、気持ちいいねぇ」
何にも答えられず、ただ、その横顔を見つめている。穏やかな、それでいて、やわらかな、表情。いやらしさも、不快さも、何も、感じさせない。同僚からは、私の表情はどう見えているのかしら。
静かに、流れていく。
この沈黙を、どう捉えているのだろう。
それでもーーあぁ、そうだ、そうなんだ。私はきっと、初めから、自分の感覚でしかものを見ていないから、そんなことを考えてしまう。
「だんだん、こんな風の日も増えてきたねぇ。冬から春への道のりも、だいぶ歩いてきたんだね」
肌に伝う純粋なもの、とでも呼べばいいだろうか、そうして溢れた、こぼれた、言葉を紡ぎ合わせて声色に乗せる。その表現に、良し悪しも巧いも拙いも、さまざま、いろいろ、あるだろう、けれど。
そんなことよりも、そうしてうまれたものが自分にとってすなおなものであるなら、そのほうがよい。きっとそれが、感じていること、考えていること、どちらも矛盾なく私であるから。一致している、私で、あるなら。
と、考えているうちに、同僚がこちらを見ながら、またきょとんとしている。そういえば、私はなんにも返事をしていなかった。慌てて何か返そうとし
「さほって、いつも落ちついた無表情だよね。私みたいに、感じたことと考えたことが一致しないことがあるなんて、なさそう」
いいなぁ と漏らす同僚は、本当にうらやましそうに私を見つめており、それにたいして何も言えることがなかった。たとえ、何を言ったところで、それが伝わるとも、思えなかった。
伝わるものなんて、初めから、あったのだろうか。
結局、そのまま別れた。また仕事で! と明るい、元気な声が響き、同僚は去っていった。
静けさがあたりに暗がりを連れてきて、夜が降りてくる。そのうち、何も見えない、闇に包まれる。あぁ、いっそ、こんなふうにわかりやすければいいのに。初めから、それなら、わざわざ思い悩んだりしなくて、すむのに。
今はここにいない横顔を思い浮かべながら、本当はどんな表情だったのだろう、と思いはせてみても、わかることなんてひとつもなかった。
誰もがそんな アンバランス な自分を抱えながら生きているのだとしたら、そんなあいまいで危うい線の上を歩いているのだとしたら……。
そうして、同僚の言葉に改めて思う自分の表情を噛みしめながら――
空に漂う孤独を眺め、そのむなしさにただ、何も言葉にすることは、できなかった。
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