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こんな日がある
こんな日がある。
私は喫茶店でコーヒーを飲みながら、一人気落ちしている。ため息は上空に集まり、灰色の雨を降らして私の頭を濡らしていた。頭を冷やせと言わんばかりだ、しかし。
それに反論も反応も、できそうにはない。
私はもう数えるのも諦めたため息を吐くと、コーヒーをひと口飲む。
どうにも、心に余裕を感じなかった。久しぶりだ。
感情が密接し、ことあるごとに表に出そうになるのを諌めることに疲れ、それが拍車をかけてどんどん追い詰められていく。
いつもは受け止め切れることも、今日はだめだった。なぜ、なぜだろう。いや、そんなことはわかっている。心に暇を、お休みどころを作れていなかった。では、なぜ、作れなかったか……。
それには理由がわからない。わからないが、たしかに。
いや、やめよう。そんなことを今さら考えても仕方ない。こうやって思考を循環させてしまうことそのものが、深みにはまって抜け出せない結果につながる。もう、何も考えない。それが、いい。
とは言いつつも、そうそう振り切れるものではない。
絶えず、自問自答を繰り返し、今の結論に至るのは、もう何度目であろうか。
コーヒーをひと口、ため息をひとつ。
ふと、隣を見ると、老夫婦が席にいる。老人のほうはむすっとした顔をし、新聞を穴でも開けるように見ている。老婦人のほうは、それを見つめたり、ときおりカップを手に取りながらーーとてもにこやかな表情でその場にいた。
相手の憮然とした表情への、一切合切を受け止め、受け入れ、ただ笑顔で寄り添うその形が、私には心晴れやかに思うとても美しいものに見えた。
しばらくして、老人がおもむろにくしゃくしゃ新聞を丸めると、何も言わずに立ち上がり、杖を片手に行こうとする。老婦人はそれを受けて、何も言わずに隣につき、ご馳走様でした、と店員に笑顔で声をかけると、店を出て行った。
私はそれを見て、少しの間動くことができなかった。余韻が残り、心に響き、温かな広がりを感じる。
私は残りのコーヒーを飲み干すと、自然と口角が上がっていることに気がついた。
雨は止み、晴れやかに頭が冴えている。
私が求めていたものはこれなんだ。
状況や相手に流されるのではない、自分がどうするか。
あの笑顔を見て、その心の広さを垣間見る。
私は、先ほどの老婦人のように、ごちそうさま、と明るい口調で伝えると、店を出る。
こんな日がある。
温かな出会いが、私を救ってくれる。
こんな、日が、ある。
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