一点の影
ノイズが 聞こえる
日差しが部屋に入りこんで、朝が来たのがわかる。明るさに誘われるように瞳を開けると、いつものように天井が映り、思わず手を差し伸べてしまう。誰に? 何のために? なんて、そんなことを考える間もなく空を切ると、体を起こした。
休みの日だというのに変わらない時間で目覚めてしまう体にうんざりすることもなければ、よいものだとも思えずに、ただただルーティンをこなす。思考がぼやけ、体は澱みなく動く。コーヒーをひと口、ふた口、そうしてようやく、意識もはっきりとして、私の意思を伝えて動けるようになる。だから、なんだというのだろう。
さて、これから何をしようか。そんなことをただ考えるだけの無の時間が始まる。……いや、それをしっかり考えているだけ、無、ではなく、考えている時間、なのだろう。そうしていつまで経っても動けずに、時間は過ぎ、日は過ぎ、一日が終わる。せめて、そうはならないように、とも、思う。思う、けれど。
今日は、どうだろう。
あぁ ノイズが 聞こえる
振り払うように頭を左右に振って、そのままふらふらと立ち上がる。あまり気分ではなかったけれど、外に出ることにする。今日は特に、気持ち悪い。このまま停滞しているだけだと、そのまま飲みこまれそうになってしまう、きっと。
朝だというのに、あまりに強い日差しは生きとし生けるものを焼き尽くそうとでも考えているのだろうか。日傘が一点の影を作り、私はその影の中の一部で、すぅーっと移動している。汗の滴りが地面に落ちるたびに蒸発し、また戻ってきているような。そんな錯覚に陥る。いつまで経っても、循環し、汗が引きそうにない。
弱肉強食をこれほどまでに現している季節はないのではないか。光を浴びて成長できるものは、それを受けて飛躍的にのびるのであろう。かえって闇の中のほうが、落ちつくものもいるに違いない。あまりに眩しくて、生きていけない。光は、眩しすぎる。そんなふうに、輝いて、活き活きと、爽快に、真っ白に、生きてはいけない。私はただの、一点の影だ。
いつか、そのまま、闇に飲みこまれ、消えてしまう。そうであることを、願う。
それとも、そんなことを願うことも、傲慢なことなのであろうか。
あぁ 頭が 痛い
胸が 苦しい
桜並木途中のベンチに腰掛ける。今はすっかり新緑が輝き、煌めきさえ感じる。ベンチには、ほどよい風と木漏れ日が降り注いでいる。目を閉じると、私もここの一部になれそうな、そんな気持ちになる。
ゆっくり、深呼吸をすると、水を飲む。そうしてまた水を飲むころには、少し、落ちついていた。
いっそ、そうだ、いっそのこと、闇の中でなくったっていい。何かの、一部になれたら、こんなことも考えずに、こんな気持ち悪さも感じずに、何も聞こえず、何も感じず、生きてーーううん、そんな感覚すらなく、ただ、在ることができるのだろう、か。
無為自然、とは、そういうことなので、あろうか。
いつか、いつか……。
そんなことばかり願っていても、私はこうして、生きている。
風の心地よさはこの暑さを際立たせ、この暑さが在るゆえに気持ちがいい。そうして葉に濾過された光はほどよく私に届き、ゆれるたびに命もゆらいでいるようで、その儚さに胸が すぅーっと なる。
手を伸ばしても、手にできるのものは何もなく、せいぜいその光をさらに脆く、消え入りそうな呼吸とともに、一点の影に、させるくらいだった。空を切る音は、空気にあふれる音にかき消されて何も聞こえなかった。
すべてがすべてではない。そんなことも、わかっている。けれど、どうしても、いつまで、という気持ちが拭えない。いつまで、いつまで。
再び、瞳を閉じる。
空気に満ち満ちている命が私を包みこみ、そのまま飲みこんでくれそうでもあった。声が、聞こえる。ノイズではない、声が。溶けきれないほど、そこらに蔓延る命たちの、声が、鼓動が、叫びが、脈動が。私を飲みこみ、糧として、生きる、ための、熱量を、感じる。
あぁ、このまま、ここにたゆたい、喰いつくされ、私の命を力に変えて、命が広がり、私はそれらの血肉となって、永遠に続いていくような、そんな在り方ができたら、どうなのだろう。
それもまた、きっと、何か、感じてしまうのだろう、な。
今日も一日が始まる。始まっている。何を、しようか。何が、できるだろうか。
私は日傘を差して立ち上がり、一点の影に戻って、光の中をまた、さまよい始めた。