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すべて 命 なのであれば

 春先というものは、どうにも気持ちを落ちつかなくさせる。どこか、ふわふわしているような、輪郭の曖昧な空気に線が歪になり、模糊たる存在に漂うような。

 心が沈みこんでしまうのも、落ちてしまうのも、それは自然なことなのだろう。

 命に満ち満ちて溢れているこの季節はそれこそ喜ばしいことであろうし、冬の寒さを超えて芽吹く輝きはそれこそ美しいものだとも思う。

 空気に命が満ちている、からこそ、自分がどこにいるのかもわからなくなる、ぼやけた、感じが、怖く、不安でもある。

 気持ちがどうしても、落ちつかない。というより、落ちているのがわかる。それでも日々は巡り、何も変わらずやってきて、刻み、刻み、過ぎて、いく。

 わたしはいまどこにいる
 わたしはいまどこにいる

 溶けて、漂いながら、それでも思考する。

 完全には、なくならない。
 いや、思考、という存在そのものに、なってしまっているのであろうか。

 それは、もはや、私では、ないのかも、しれない。

 そんな曖昧な空気に息をしながら、命はますます呼吸を続けて、一体となり、包みこんでいる。落ちて、落ちて、沈みこみ、手を取り合って……

 わたしはだれ
 あなたはだれ

 何もかもわからなくなって、循環する。

 命、という、種に。

 取りこまれてしまうのかも、しれない。

 

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ふみ
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。