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相手の立場に立ってものを考える

 相手の立場に立ってものを考える。

 よく言われる言葉ではあると思う、けれど、それが存外、難しい。

 相手の立場、と言いつつ、自分の立ち位置から視点を変えた場合が多いようにも思え、それはけっして、相手の立ち位置とは言えず、あくまで自分の立ち位置を別のところから見ているに過ぎないからだ。

 相手の立場に立つ、というのは、文字通り相手の視点にならないといけないわけで、それは相手そのものにならなければ成し得ないものなのだ。

 相手の視点やら視野やら思考やら嗜好やら、あらゆるものを理解しながらでなければ、相手の立場に立つ、なんて無理な話しで、せいぜいできることといったら、可能な限り相手の立ち位置から見られるように自分の立ち位置を相手に合わせる、というくらいなものであろうか。

 想像力を持って、心を砕き、相手に寄り添いながら、感じ入る。

 それでもなお、届かないものかもしれない。

 けれど、届かないかもしれない、中でも、見えてくるものもあると思う。むしろ、見えた、わかる、なんて軽々しく言ってしまう人よりも、わからないながらもわかろうとするような寄り添い方ができる人のほうがよっぽど信用できる。

 自分の考えや価値観、基準、想いだけではけっして相手のことを理解できないし、決めつけだけの自分よがりなかかわりしか持てない。

 永遠につながることはないのかもしれない、けれど、それでもなお、わかろうとする気持ちを持ってかかわることができるのか。

 まず、その気持ちを持つことができるのか。

 それは、本当に、大切なことなのかも、しれない。

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ふみ
いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。