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私とコーヒーの話

「コーヒーとの出会い」

 私の実家では、夕食後に「コーヒーを囲んで、なんでもない話をする。」みたいな、所謂”コーヒータイム”がありました。小さい頃は、なんで大人はこんなものを飲むのだろうかと理解に苦しみました。コーヒーが飲めるようになったというか、飲んでみようかなと思ったきっかけは、弟がコーヒーを淹れ始めてからです。
 そもそもコーヒーに対して興味を持ち始めたのも、弟の影響が大半です。彼は漫画「東京喰種」を読んだ際、登場するキャラクターと、舞台の一つである喫茶店、喰種は唯一コーヒーだけ飲めるというお洒落な世界感に魅せられたようで。そこかよ!と思いつつ確かにとも思えなくはないような…笑
 ただ、アニメ化も実写化もされているほどの人気で、間違いなく面白い作品ではあるので気になった方はぜひ!

 …いやいや、東京喰種の話がしたいんじゃないんですよ。ともかくそうして彼はコーヒーに興味を持ち、淹れて飲むようになりました。そこから我が家では、弟の淹れるコーヒーをみんなで飲む時間が生まれたというわけです。家での夕飯後も、外食から帰ってきた夜も、いつだってこのコーヒータイムはありました。

弟の職場(実家)

 私は大学生になり、地元を離れて上京。ホームシックによる孤独と、両親からのしがらみから解放され得た自由をしっかり味わいました。父ちゃん母ちゃん、改めて、大学行かせてくれて、あざます。

 てなわけで、田舎者が一人知らない土地でひとり。授業を終え、夕飯を食べ終え、何をしようか。そう考えたとき、ふとあのコーヒータイムが懐かしく思えました。また弟のコーヒーが飲めたらと、また寂しくなったのも一瞬で、「自分で淹れたらいいんじゃね?」そう考えました。
 早速実家に電話すると、余ってるコーヒー器具あるから送ってもらえるみたいだったで、それならばとこちらも準備することに。

 私はコーヒーの豆の種類やらを調べ、最終的に選んだのはカルディのコーヒー豆、「マイルドカルディ」です。今でも言わずと知れたベストセラーですね。手ごろな値段で飲みやすい云々… まあそんなようなことがいろんなサイトに載ってたので選んだ当時の記憶です。

 早速送ってもらった器具と、辛うじて残っていた弟から教わったコーヒーの淹れ方の記憶を辿りながら、なんとか記念すべきコーヒー第一号が完成。恐る恐る飲みましたよ。
 結論から言います。お世辞にも美味しいとは言えない味でした。熱くて苦いし、確かにコーヒーではある。でもなんか違う…そんな第一印象と同時に、「どうやったらもっと美味しく淹れられるのだろうか?」と、コーヒーに引き込まれていった瞬間でした。

初めて淹れたコーヒーとクロックムッシュ

 それからというもの、大学生活の傍らコーヒーのことを考えるようになりました。コーヒーに関する本やYoutube、実際にコーヒーショップに行って話を聞いてみたり、淹れ方を教わったりしたこともありました。
 そんな大学生活も終わり、今や社会人の端くれです。あの日初めて淹れたコーヒーの味は、いい意味で”苦い思い出です。
 もちろん今でも、私はコーヒーを淹れます。今この記事を書いてますが、書き終えたらコーヒーを淹れて、ゆっくりしてやろうかとか考えてます。無論、今ではあの日のコーヒーと比べて、圧倒的に美味しいコーヒーを淹れられるようになりました。コーヒーを淹れない日、飲まない日はほとんどありません。それでも、たどり着けない味があります。

「あの味」

 私は自分でコーヒーを淹れるようになってから、本や動画、色んな人からコーヒーについて教わり、様々なコーヒー豆とコーヒー器具に触れてきました。おかげで人並程度にはコーヒーについて知識がついてきたかなと思います。それでもたどり着けない味があります。

現在(コーヒー豆は弟が焙煎したもの)

 それは、”弟の淹れるコーヒー”です。実家に帰省したとき、まったく同じ豆、挽き目、湯温と量、同じ道具で淹れ比べたことがありますが、なんでか弟の淹れるコーヒーのほうが美味しい。甘いなとか、苦みがどうとかそういうことじゃなく、何とも形容できない「あの味」の秘密が、最近になってわかったような気がしたんです。

「誰かのため」

 弟は昔からずっと、”誰かのために”コーヒーを淹れていました。それが、「あの味」の秘密なのかなと。決まって弟の淹れるコーヒーは、夕食後、みんなの口の寂しさを紛らし、休日の昼下がりには、なんとなくつけたTVのおともになってくれたり、私が帰省した日の一杯目は、いつもより少し多めに… そんな、誰かのためのコーヒーなんです。

 料理と一緒だなって思います。大学時代から一人暮らしで、今でもそれなりに自炊もしている私ですが、自分一人で食べるご飯って、作ったとしてもどこか飾らないというか、味さえよければすべてよし!みたいなところありますよね。(私だけでしょうか。笑)もっと言えば、どう美味しく食べるかではなく、どう洗い物を少なく済ませるかに重きを置いてる方、同志です。                                                                             

 ただ、人様に出す料理となると話が変わってきます。持っとったんかいって感じのランチョンマットを引っ張り出してきて、味付けから盛り付けからこだわり始めます。食べる側になったときもそうです。人の作った料理、美味しいですよね。あ、ここでいう人の作った料理は、飲食店とかではなくて、知人の手料理的なニュアンスです。

「終わりに」

 結論、弟のコーヒーには絶対にたどり着けない、たどり着こうとするものでもない一杯なのかなと思います。だから、いくつ歳を重ねてもお母さんの料理は美味しいとか、”おふくろの味だ!”とか、そういう言葉があるんだろうなと、代わりの利かないものって本当に尊いなと思います。

 今年の年末も、もちろん帰省します。羽田空港で、あのコーヒーに合いそうなお菓子を目利きするのが恒例になったくらいには、こっちの暮らしにも慣れました。さて、帰省まで残り2ヶ月を切りました。今年は何を買って帰ろうかな。

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