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私が『amazarashi』を好きな理由


人に言えない気持ちってありますか。死にたい、ぶん殴りたい、こんな社会は間違っている。誰でもそんなドロっとした感情が、ふと沸くことがある。すぐに消えるならそれでいい。でも消えなければ、心に留めておくことになるでしょう。

溜め込むには限界がある。いずれ心の蓋が外れ、行動に現れる。行動といっても程度の差があって、道路に唾を吐く程度なら許される範囲かもしれない。しかし例えば、怒りが爆発して、人を傷つけてしまうかもしれない。満たされない欲求から、犯罪に走るかもしれない。自殺もその一例でしょう。間違っている、辛い、苦しいがたまって、自分を殺すしかなくなる。

だからこうした感情は、胸に押し込めて蓋をするだけではなく、何らかの方法で外に出す必要がある。私のような器の小さな人間は特に。ではどうすれば、このドロドロした感情を、反社会的にならない方法で外に出せるのか。

人に気持ちを打ち明けるのは、最も手軽な方法の一つ。話すだけで胸のつかえがとれるだろう。でもこの手段は選ばれにくいと思う。話す相手を間違えれば、相手から「あいつは危ない奴だ」と危険視されるから。仲間外れにされる、避けられる、いじめられる、陰口を言われる、無視、煙に巻かれる。そんなリスクがあるから、言えない。

どこかへやってしまいたいのに溜め込むしかない、厄介なドロドロした感情に、私も悩んでいる。そんなときに出会ったのが、amazarashiというアーティストだ。amazarashiは、あきたひろむという、顔を見せない男性ボーカルのバンド。”鬱ロック”なんて言う人もいるくらい、一見明るくはない曲を歌う。

通り一辺倒な紹介をさせてもらうと、彼らの曲には社会に対する違和感や、生きるうえでの不自由さが表れている。同調を強いられる社会に行き苦しさを感じている人は特に、共感を覚えると思う。
死や孤独について歌った曲もある。死にたいと思うことは特別なことではないのに、口に出すのタブーとされがちな社会。間違っている、息苦しい、虚しい。人には言えないこんな気持ちも、曲にしてしまえば、声を大にして言えるのだ。

彼らは聴き手のために歌っているのではないと思う。そういう曲もあるかもしれないが。歌い手が自らの感情を昇華させていて、私はそれを聴くことで、その昇華に便乗させてもらっている。私が彼らを好きなのは、つまり自分の気持ちの一部を、彼らに大声で代弁してもらっている気分になれるからだ。

もし興味を持ったらYoutubeで検索してみてほしい。その際にはぜひミュージックビデオを見ることをおすすめする。視覚が加わると、彼らの言葉がより胸の深くに入ってくる。

言葉で語れないことを、創作という形で外に出す。ドロドロがあふれそうになったら、そういう手段をとるのも良いかもしれない。「芸術家に変人(社会一般の人から見た)が多い」のも、なんだか納得がいく。

こうして私は、文章を書いている。才能もたいした道具も必要ない。しかも匿名で声を発することができるネット社会。身近な人には言えない気持ちを吐き出すには、ちょうどいい。だから書かせてもらってる。見苦しいかもしれないが、よろしくお願いしたい。

※表現にもマナーは必要ですけどね。