【映画感想142】機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争 / 高山文彦(1989)〜ガンダム初心者がみるポケ戦
あらすじ
一年戦争終戦間際の宇宙世紀0079年、12月。ジオン公国軍の特務部隊“サイクロプス隊”が、地球連邦軍の新型ガンダムを強奪するため、北極基地を強襲した。しかし、その攻撃を逃れ、ガンダムを積んだシャトルは宇宙へと飛び立った。中立のサイド6、リーアコロニーに住む少年アルは、ふとしたことからコロニーに運び込まれた新型ガンダムのコンテナをカメラに収める。それと同じ日、アルはリーアに戻ってきた幼馴染の女性クリスと再会する。彼女は、新型ガンダム“アレックス”の実験部隊でパイロットを務めていた。それを伏せて優しくアルに接するクリス。しかし、平穏だったアルの日常は、ジオン軍のリーア襲撃で一変する。初めてMS同士の戦闘を目撃したアルは、撃墜されたザクのパイロット、バーニィと出会う。
引用:サンライズ「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争」https://www.sunrise-inc.co.jp/work/detail.php?cid=59」
いまみるべき映画なのかもしれない(ネタばれあり)
「ガンダムシリーズはどれから見たらいいか」と知人に聞いた際、選択肢の一つにあげられたのが『クリスマスにポケットの中の戦争を見る』でした。
タイミングを逃し続け今年やっとクリスマス視聴したのですが、
主人公の少年・アルの置かれた環境が、まさに今、日本人が置かれている状況に酷似している気がしました。
戦争で毎日誰かが死んでいるが、それはゲームのように現実味はなく、学校で学ぶことができて、食事を取ることができる環境を当たり前のように享受している。
冒頭の給食のメニューに文句を言うシーンや、ゲームの中で作業のように淡々と敵を撃っていくシーンは象徴的だと思いました。
彼らは学校が半壊しても「自分たちの住んでいるコロニーが戦争をしている」と言う実感がなく、もしかしたら自分もアルのように親しい人物の死に直面するまでぼんやりしているままではないのかと危機感を覚えました。
「ああ、また爆撃か〜」と言うように、戦争はじわじわと日常の一部になっていって、気がついたらもうどうしようもない状況になって、学校も食料も何もない場所で死に瀕しているのではないかというような。
ガンダムシリーズは初代を途中までしか履修していないのですが、
バーニィが載っている機体って一般兵が乗ってる量産型の機体ですよね?
(認識が違っていたらすみません)
ガンダムがかっこよく敵機体を撃墜していく映像の、その一体一体に人間がのっていて、それぞれにこんなエピソードがある、と考えると途方も無い気持ちになります。
人間ドラマに重きを置いている作品でしたが、もしかしたら異色の語り口だったのかな、と思いました。ガンダムというより戦争映画という印象が強かっだす。
特に、最後の作戦を決行する直前で上官や仲間の人間味が表現されるところはよりむごさを感じました。それぞれ自分はここで死ぬと覚悟していて、最年少のバーニィにはできれば生き残って欲しいと思ってたんですよね……。最後までみると、序盤でバーニィにアルの監視を命じた後の「バーニィ向きの任務ができたな」という発言の意味がまた違って聞こえるんですよね……。
その人物を知ると命が途端に重く感じて、死んで欲しくないと思ってしまいます。ただこれは現実世界も同じで、知らないからこそ相手の命が軽く感じるのではないかと思いました。
戦争をなくすには、だと主語が大きくて思考が停止してしまいますが、
まずは身の回りにいる理解できない、好きではないと感じる人物の背景を想像することから初めて見てもいいのではないでしょうか。
いまもうそんなことをしている状況ではないのかもしれませんが、
ここから始めるより他ないような気はします。
最後のアルと友人たちの、戦争を実感した側とそうでない側の対比がすごかったと思います。後者にとって、戦争はポケットの中の薬莢やゲームの中のものでしかないのでしょう。スマートフォンの中で戦争をみて、いまの日常が崩れることを想像もできない私たちのように。
★余談
「敵兵と仲良くなってしまう」「子供たちの目から見た戦争」という共通するテーマの映画が他にもあるようなので今後見てみようと思います。