narrative Café 店主

2023年11月25日、3年余命宣告を受ける。残された時間で、ココにカタチあるものを造る。いつか消え去る運命だとしても。

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2023年11月25日、3年余命宣告を受ける。残された時間で、ココにカタチあるものを造る。いつか消え去る運命だとしても。

最近の記事

あと999日、死期について

ここ数年、最期の時をリアルに感じられるようになってきた。単純に、その時が近づいてきたことあるし、自分と向き合うことも増えたことも、その一因だろう。 毎朝目が覚めると、「まだ生きてる」ことを実感する。毎晩、一日の終わりには、また明日が訪れることを願う。そんな日々を繰り返すうちに、地に足がついた生き方ができるようになった。悪くない。 死ぬまでにやりたいことも、手入れたいものもない。どうせ死ぬんだから。今、この瞬間に終わってもいい。ただ、大切な人を悲しませたくはない。それだけが

    • 余命1000日に思ふ

      4年に1度の2月29に、余命1000日を迎えた。4年後の今日、自分はもうこの世にはいない。この日付を過ごすのは人生最後だ。生まれてから19000日余り。節目の日に思いつくことをつらつらと書いてみる。 振り返れば、そこそこの人生であった。子供のころから、大人がバカに見えていた。自分が大人になるにつれ、やっぱりみんなバカだったと確信した。そんな自分も、やがてちゃんとバカに成長した。 バカはバカなりに、そこそこの道を行くことに決めた。そこそこ頑張って、そこそこのところを歩いてき

      • 此岸の花

        2023年11月25日、藤沢のホテルにて。 余命3年、1096日。宴席続きで、身体が重い。 身の回りで、人の入れ替えが起こっている。 終わる者あり、始まる者あり、戻る者あり。 この時宜に残る人との関係は、意味がるはず。 カタチあるものをココに残すために何をすべきか。 たとえそれが、いつか消え去る運命だとしても、 此岸に花を咲かせて逝きたい。

        • 情けは自分のためでしかない

          ■人間が人間であることの条件 50歳を超えて人生の終わりを意識するようになり、自分の未来に期待することもなく、何も求めず、何も目指さない境地に入っておりました。  誰かから必要とされるのであれば、できることは粛々とやろう。そんなスタンスで、ここ数年は雇われの身でありながら、気ままに過ごしてまいりました。  ただ、ここのところ、守りに入るのはまだ早いかなとも思うようにもなりました。  やはり攻め続けるというか、前に進み続けたいと願うのが、人間の本質なのでしょう。人間が人間

          「生きがい」について考えてみた

          ■「生きがい」ってなんだっけ? 先日知り合いから、「生きがいを見つけるのが得意ですね!」と言われました。自覚はしていませんが、「どんな状況に置かれても楽しんじゃう」イメージがあるらしい。確かにそんなところはあるかもしれない。  はて、そもそも「生きがい」とはなんぞ? 戦後教育の弊害なのか、いったん英語で考えてしまうクセがあります。  reason for living とか purpose of life とか。  日本語に戻すと、「生きる意味」とか「人生の目的」とか

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          傷だらけでも前に進み続けるのが人生なのだ

          スーパーマリオの目的は「右に行く」こと スーパーマリオのスタート画面です。マリオが画面の左下にポツンと立っていて、右側を向いている視線の先に大きなスペースがある。はじめてこのゲームをやる人でも、なんとなくマリオを右へ動かそうと、直感的に思うはずです。  恐る恐る十字ボタンの「➡」を押してみると・・・  いかにも悪そうなヤツが、前からやってくる。敵がじゃまするってことは、やっぱり右へ行くといいことがあるんだ!と確信します。コイツをやっつけてさらに右へ行けば、きっといいこと

          傷だらけでも前に進み続けるのが人生なのだ